07 分からず屋どもめ!
うおっ、人の話を聞けよコラ!
間一髪で避けられたけど、よりによって女の子の顔面を狙うって、一体どんな教育を受けてきたんだこいつは!
「……我慢の、限界……。お前は、俺が、やる」
漢字変換すると差し詰め“殺る”ってところかな。うん、危険。
「おい、文哉!」
俺様男が制止をかけるようにぼんやりくんの名前を叫んだので、おお止めてくれるのか? とわずかにも期待した私が馬鹿でした。はい。
「俺様は志穂を保健室に連れてく。本当は己が手でそいつを殺してやりたいくらいだが、怪我を負った志穂が優先だ。だから俺様の分もそいつを痛めつけてやってくれ。二度と志穂に手を出させないようにな!」
そうだよねー、所詮私は嫌われ者。一瞬でも期待するもんじゃないね。きみたち私のことすっごく憎んでるもんね。
コクン、と頷くぼんやりくん。
何に対しての了承の意だなんて考えなくても分かる。恐ろしい。
俺様男と妹は本当に私たちを残して去っていった。
「と、透くん! 危ないよ、文哉くんがお姉ちゃんに……!」
「大丈夫だ。文哉は空手を習っているし、しかも黒帯だ。俺様たちの中の誰よりも喧嘩が強い」
「でも……!」
「早く手当しないと、治りが遅くなるぞ? あいつめ、志穂の玉の肌に……」
とか言ってね。
失礼すぎるよな、あいつら。私をなんだと思ってる。か弱い華の乙女だぞ? 喧嘩なんてできるわけないだろ!
しかも有段者相手なんて死刑宣告にしか聞こえない……。
参った、これは参ったとぼんやりくんをチラリと見遣る。
話が通じるか分からないが、物は試しだ。俺様男と妹もいないし、少しは冷静になってくれてないだろうかと期待を込めて。
「なあ、きみ。私は妹に暴行を加えた覚えはないぞ」
「志穂、の、頬……赤く、腫れてた」
「あれは私がやったんじゃない。別の人間だよ」
「お前はすぐ、そうやって、人のせいにする……」
だから本当に違うんだってば!!
駄目だ、この男の脳内では私が加害者で決定しているらしい。いくら釈明しようと受け入れてもらえない。差別だ。贔屓だ。不平等だ!
「話せば分かる、話せば分かるから!」
にじり寄ってくるぼんやりくんを必死に宥めようとするが、やつは決して私の話を聞こうとしない。きっと私が命乞いする悪役(しかも雑魚)に見えるんだ。お前の話なんて聞く価値すらねーよ、って。
まずいぞピンチだぞ。一発目の拳はなんとか躱せたけど、二発三発と続けば高確率でノックアウトしてしまうだろう。
くそぅ! あのアバズレ女、もう二度と助けてやらん!!
「……人を傷付けることしかできないお前なんて、……消えてしまえば、いい……」
――――ドキ、と。
私の中で何かが音を立てた気がした。
まるで心臓を握られたかのような、そんな感覚も。
思わず固まる私を他所に、ぼんやりくんは構うことなく拳を振り下ろそうとする。
マズいと思った。
あの子の鳴き声が、聞こえてくるまでは。
「にゃああ~」
緊迫感の欠片もないそれに、私とぼんやりくんは同時に振り返る。
しかしどこにも猫の姿はなく、彼は驚いた様子で辺りを見回し始めたので「しめた!」と思い一目散に走り出した。
「あ……っ」
ぼんやりくんがしまったというような顔で私を追いかけようとするが、私は既に校舎の中へ。捕まるまいと全速力で階段を駆け上がる。
猫ちゃん、ナイス。ナイスだよ。
あんたは私のヒーローか何かなのか? 鳴き声一つであんな窮地から救ってくれるなんて、惚れてしまうやろ。勝手に味方と言い張ってたけど、本当に味方をしてくれるとは。感涙にむせびそうだぜ。
唯一の心がかりはあの場に猫ちゃんを残してきてしまったことだけど、ぼんやりくんもとい超危険人物くんも流石に猫を手に掛けたりしないだろう。なんせあの猫ちゃんは生徒の飼い猫だしね。
あれ? でも学校に猫を連れてくるのは校則で許されているのか?
………なにかと心配なので、後で様子を見に行こう。
「安曇ぉ! 見つけた……!」
げ。息を吐く暇もなく、将来のDV夫候補(今のところ断トツナンバーワン)のあいつに早くも見つかってしまったのかと焦って逃げようとしたら、首根っこを掴まれ引き戻される。
「ぎゃ、ぎゃあああぁあぁぁ!!」
嫌だ、私は死にたくない!
嫌々と首を振り続けていれば、私の鼻腔を微かに刺激する花の香り。
ん……? 男なのに花の香り?
「やだ、ちょっと槇文哉の声真似しただけなのに、そんなに怯えないでよ」
「え?」
「ほんの悪戯心だったのよー。ごめんねぇ、安曇さん」
「……誰」
私を引き止めた腕の持ち主は、ぼんやりくんじゃなかった。まったく知らない女子生徒だ。ものすごく心臓に悪い。
この子は誰だ。あ、もしかして今世の私の知り合いだろうか。雰囲気的に私を邪険に扱う奴らとはどこか違うし、私を知っているみたいだし。
……だとしたら、またしても失言してしまった。知り合いに向って誰? とかもう詰んじゃってるよね。言い逃れできそうにないんだけど。いっそのことボケた振りでもしようかな。
しかし彼女は特に気にする素振りもなく、にこやかな笑みを作って言った。
「放課後、猫のいる裏庭で待ってるわ。あたしならきっと、あなたの助けになれるから」
「……は?」
「じゃあね」
言いたいことだけ言って颯爽と去っていった彼女。残された私は一人首を傾げる。
“助けになれる”って……。
何だったんだ?
その後、ぼんやりくんたちに見つからぬようコソコソと隠れ場所を探して彷徨いていたところを担任に見つかってしまい、保健室に行かなかったことは既にバレているらしく午前の授業はどうしてサボっただの嫌味口調で小うるさく言われた。この人絶対私を疎ましがってるよね。二十代前半という若さをまったく感じさせない長ったらしい説教は今の私の精神的体力にはクリティカルヒットだ。おかげで瀕死状態に直面中。
これで教室に戻って赤髪男に出くわしたら、間違いなくHPが0になる。そう思った私は午後の授業もトンズラさせていただくことにした。だって死にたくないし。
担任に「気分が優れないから、授業には出られない」とそれとなく伝えればどことなく胡乱げに見られはしたが、頑なに意志を曲げようとしない私の姿勢に負けたのか最後にはげんなりした顔で了承してくれた。
うん、なんとなく担任の立ち位置が分かってきたよ。彼はあれだ。真性の苦労人なんだ。その生真面目な性根がものすごく空回りしている、言っちゃなんだけど器用貧乏? まあ、悪い人ではないと思う。だってすぐに暴力に走らないから。重要だから二回言うけど、すぐに暴力に走らない素敵な人なんだよ彼。
ただね、先生。私がサボらないために保健室まで送り届けようとしてくれているのはいいんだけどさ、今行くと“あいつら”と鉢合わせしてしまう可能性が高いんだよね。俺様男と我が妹ちゃん。もしかしたらぼんやりくんも合流しているかもしれないから、保健室という名の地獄行きだけは勘弁してほしい。かと言って赤髪男のいる教室も嫌だ。
ということで、意味があるかは分からないけど時間稼ぎを試みた。
「あのー、先生ってぇ、いつから教師やってるんですかぁ?」
「は?」
これぞ必殺、「ちょっとそこの奥さん世間話でもしましょうよ」大作戦。会話で足止めを狙ってみたがどうだろう。思いっきり怪訝そうな返事をいただいたが、構うものか。
……私の喋り方がおかしいのはスルーの方向で。
「いやぁ、なんて言うか貫禄があるというか。さっきの説教も、教職に就いてそこそこ二~三年の新米教師が使う教鞭じゃありませんしー。ぶっちゃけ先生っていくつなんですか?」
「……」
「せんせぇー?」
「……」
返事がない、ただの屍のようだ。
「先生ー、聞こえてますー?」
駄目だ、こいつ顔色一つ変えずに無視してやがる。なんて高難度の技を……!
もしかして言外に年増と罵っていたのがバレたのだろうか。それとも教師を軽んじるような口調が駄目なのか。せっかく可愛い子ぶってみたのに、ああそうか元が駄目だから可愛くないってそういうことか!
担任は事も無げにのたまう。
「くだらない事を言ってないで、保健室に行きますよ」
ついでに顎で「ホラ進めよ」とばかりに指図され、密かに拳を握った私は間違ってないよね? ね?
渋々歩き出した私の半歩後ろを歩く担任を、できることなら呪ってやりたい。
この唐変木! 朴念仁! 分からず屋めーっ!
保健室に入った途端襲われたら、お前のせいだかんな!!
とにもかくにも、主人公の口癖は「くそぅ」に決定。
▽ぼんやりくんと担任のコンボによる1,500のダメージ!
安曇の精神HP ■□□□□□
▽残り500を切った!!