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01 「どうして」

俺様男視点。



 どうして。

 最近はその疑問ばかりが頭を占める。


 生徒会室にあるパソコンの電源を入れ、メールボックスを確認した。

 やはり新着の知らせはない。今ままで定期的に送られていたメールは、一週間ほど前を境に途切れてしまっている。溜まらず更新ボタンをクリックしたが、画面に変化は見られなかった。


「どうして……」


 何度もメールを送った。どうしてメールをくれないのかと憤ったりもした。

 だが、どうしたっていつもであればその日の夜には届いていた返信はなく。翌朝に生徒会室に来てパソコンを確認する日課は、メールの返事が来なくなってからも変わらない。


「透。おはよう……」


 ガラリと開かれた扉から現れたのは文哉だった。俺は慌ててメールボックスのウインドーを閉じるが、文哉の声がやけに陰気臭いことに気がつく。

 そもそも、文哉が朝に生徒会室にやって来るなど珍しい。そういえばここ二三日、どうにも塞ぎがちだったなと思い返す。

 原因は考えるまでもなく、十中八九あの女だ。


「浮かない顔だな、文哉。この俺様がお前の話を聞いてやろうか」


 文哉はフルフルと頭を横に振るう。相変わらず言葉数が少ないやつだ。

 せっかく俺が聞いてやろうとしたのに断るなんて。

 わずかにムッとしたのが分かったのか、文哉は「ありがとう」とだけ言った。そのことに毒気が抜け、まあいいかと視線を画面に戻す。


 ……志穂が来てからだな。文哉の言動に苛々が募らなくなったのは。


 元来俺と文哉はそりが合わなかった。他人の感情の機微を察することが不得手な俺は、めったに口を開かない文哉を苦手としていた。何かあるなら言葉で話せ、そう言う俺に向こうも接し辛そうにしてたしな。

 だが高校に上がり志穂と出会ってから、文哉は少しだけ変わった。

 ありがとう、ごめん、おはよう、さよなら。

 必要最低限の挨拶をするようになったのだ。それだけであれだけぎこちなかった会話が円滑に進むようになった。

 聞けば志穂が文哉に一喝したらしい。そんなんじゃ社会に出てやっていけないよと。

 そして今もコミュニケーション能力のリハビリは続けているようで、志穂はやたらと文哉に構う。

 嫉妬しないと言えば嘘になるが、それでも他の連中とのツーショットを見るよりマシだった。

 何故なら二人はどう邪推しようと、母と子にしか見えないからだ。もしくは年の離れた姉弟。血は繋がってないとはいえ書面上の姉であるあの女とよりも、余程か“家族”に見えた。


 ―――“あの女”。

 思い出すだけで腹が立つ。

 こちらが下手に出てやれば益々つけあがって。円満に解決しようとする俺たちを嘲笑うような傍若無人ぶり。学園は何故あいつをのさばらせておくのか、理解に苦しむ。いくら安曇の長女とは言え、問題児は問題児だろう。そんなにも多額の寄付金を手放したくないのかと、何を置いても富や名声を優先する大人たちに吐き気がした。


「ねえ。透は……」


 入り口近くで立ち止まったまま、文哉はぼそりと呟いた。

 なんだと思い顔を上げると、予想に反して重々しい表情がそこにはあった。


「透は今も、やっぱり、あいつ……悪いと思ってる?」


「は……?」


 何を言ってるんだ。たどたどしく紡がれた言葉に眉を顰める。

 “あいつ”って誰のことだ?


「文哉?」


「俺、嫌い。でも、分からない……。何が正しい?」


「おい、何を言ってる」


「分からない!」


 突然叫び出した文哉。

 いや、分からないのは俺の台詞だし、自棄になりたいのもこちらだというのに、まったくお前は何が言いたいのか。

 俺は文哉の言わんとすることがすぐに分かる志穂ではない。難解なパズルを解くように、仕方なく次の言葉を待つことにした。


「文哉。あまり思い詰めるな。分からないのなら、分からないことすべて俺に吐き出せ」


 優しく宥めるように。志穂の真似をして、俺は文哉の側に行き肩に手を置いた。

 だが、文哉の表情は曇る一方だった。


「………理人たちがやってることは、本当に正しい?」


 ボソリと呟かれた言葉は、何よりも俺の心に動揺を齎した。心臓に直に冷水をかけられたような、そんな妙な感覚に陥る。

 何を言ってるんだ、とは言えなかった。言わなかった。その言葉は、俺たちにとって禁忌に値する。


 理人たちのやっていること。

 それは生徒たちを扇動し、一人の女子生徒を惨憺な目に合わせるという――要は、イジメだ。

 直接手を下してないとはいえ、示唆しているのは間違いなく理人たちである。たとえ相手が志穂を傷つけた憎きあの女だとしても、高邁な精神と高潔な心を謳う学園に在籍している以上最もやらかしてはいけない行為。

 “王”の冠をいただく者として、負い目を感じずにはいられなかった。


 けれど、心の底にある罪悪感の存在を認めてしまえば、志穂の今までの痛みと悲しみを否定するようなもの。悪人には罰を下さなければならない。絶対的な正義の鉄槌を。

 安曇杏奈は、俺たちにとっての悪だ。同情する必要なんてどこにもない。そう思わなければならない。

 ああ、クソ。物事の収拾が滞って時間がかかればかかるほど憎悪の中に別の感情が生まれてきてしまう。

 頼むから、これ以上俺を悩まさないでくれ。


「大丈夫だ、文哉。あの女がいなくなれば、きっと昔のような俺たちに戻ることができる。理人や祐輔だって。本来ならあそこまで攻撃的な性格じゃないんだからな」


「……」


「今は、それまでの辛抱だ」


 心を鬼にしろ――。優しい文哉には残酷な選択かもしれないが、俺たちは志穂を愛している。彼女が深く傷ついた代償をあの女に払ってもらわなければ、納得できないまでに。

 志穂はもう、十分すぎる痛みを受けてきた。


「う、ん……」


 ぎこちない動作で頷いた文哉。

 再び覚悟を決めてくれたのだろう。何が理由で一度決めた覚悟が揺らいでしまったのかは分からないが、二度と安曇杏奈に対する同情心が芽生えないようにしてもらわなくては。あの女は、犯してはならない事をしたのだから。


 ただ、それでも。王の印が入った“招待カード”をあの女に手配したのは、最後の良心からだった。

 王城と呼ばれる、その年の王に与えられる学園の温室。王と、王が認めた者だけが入ることのできる特別な場所だ。

 そこに、何かメッセージをつけずとも安曇杏奈なら察してくれるだろうと、カードだけを送り呼び出した。


 しかし、翌日の放課後。

 待てど暮らせど安曇杏奈が姿を現すことはなかった。

 あの女の答えは、そういうことだった。


「もし仮に、彼女が招待に応じていたなら……貴方はどうなさるおつもりでしたの?」


 傍に控えていた麗華が柔らかい口調で問うてきた。

 親の取り決めた婚約相手である花吹麗華は、どこまでも従順な女だ。

 詳細を説明せずとも、俺がああしろというだけで二つ返事で従う。理人たちに見つからないようあの女を呼び出すため麗華にカードを託した時も、彼女は何も言わなかった。

 一歩身を引いて、それとなく男を立てる女。昔は俺にはこういう女が理想的だと麗華との婚約には乗り気だったが、志穂に出会った今ではまるきり考えも変わってしまった。

 麗華はつまらない。一緒にいて矜持は満たされても、楽しくはない。志穂といるときだけ、俺は真宮の人間であることを忘れられるのだ。


 家のために、いずれ麗華と結婚しなければいけないのは分かっている。だからこそ、今だけは自由に恋愛を楽しんでもいいんじゃないかとも。

 俺が志穂に熱を上げているのだと噂が流れても、麗華は黙ったままだった。何も言わない健気な姿に少しだけ心が痛んだが、どうせ最終的には麗華のもとへ戻るのだ。麗華にとってフィフティフィフティだろう。


 そんな麗華が俺に物を尋ねてくるのは非常に珍しく、どうしたんだと問えば、少し気になっただけですといつもの控えな笑みが返ってきた。その様子は、至って平常通りだった。


「どうする、か。あの女に志穂へ誠意を見せるよう説き伏せるだけだな。許してやろうなどとは毛頭思ってもいない。俺様がそんなことをするはずがない」


「………そうですの」


 麗華は一呼吸置いてから、また同じように微笑んだ。その表情がどことなく冷たく感じられたのは、気のせいだろうか。


「学園創立記念パーティー、楽しみにしてますわね」


 ドキッ、と一瞬血の気が引いた。

 何故このタイミングでパーティーの話をするのだろうか、と。


 創立記念パーティーで、俺たちはある謀を企てている。

 発案者は理人だ。いくら直訴しても相手が安曇というだけで耳を貸さない学園長に代わり、パーティーで蝟集する親連中に真実を見せ、知ってもらうことにした。安易だが、あの女を弾劾する方法はもうそれしかなかった。

 学園内での安曇杏奈の評判は最悪だ。子供を通して保護者たちもある程度はあの女の素行の悪さについて知っているはずだろうが、だからといって何か行動を起こすような人間はいない。

 故に、大衆の面前であの女の正体を暴露する必要があった。そうすれば、如何に狡賢い大人といえど流石に見て見ぬ振りもできないだろう。

 外面がいいのか親連中には好印象を持たれているらしいあの女。中には俺の片親も含まれており、これがまた厄介だった。


 実を言うと、志穂を除く俺たち生徒会メンバーと安曇家長女であるあの女は幼い頃より交流がある。お互い親に連れて行かれるパーティーで顔を合わせる程度だったが、中でもあの女の評判はすこぶる高かった。

 習い事のすべてをそつなくこなし、成績優秀、品行方正、挨拶の仕方や所作に至るまで完璧であると。おまけに小さな気遣いもできて、大人顔負けだとも言われていた。

 俺の父親は当時、口癖のように安曇家のお嬢さんを見習いなさいと言っていたほどだ。


 安曇杏奈に対する俺の第一印象は、気味が悪い、だった。

 おおよそ子供らしくない。大人が……それも安曇家当主である安曇貴之がそのまま小さくなったような、そんな印象を受けた。

 安曇の人間はあまり好きではない。使用人に至るまで、どこか機械的だ。とくに安曇貴之は醸し出す雰囲気からして近寄りがたく、時折本当にこの人には血が流れているのだろうかと確認したくなる。まあ、志穂の母親と結婚したあたりから、大分表情も柔らかくなって人間味も出てきたが。それでも、未だあの人には慣れない。


 安曇杏奈が志穂に日常的に暴力を振るっていたことは、あの人は知っているのだろうか。志穂は何も知らないはずだと言っていたが、果たして本当にそうなのか。

 志穂の母親は? 同じ家で暮らしていて、気づかないのか。使用人は?

 もしかしたら学園内でイジメを誘発させるより、安曇貴之に相談した方が早かったのでは――。


『お義父様には、言わないで……』


 ふと、か細い声で泣いていた志穂の姿が脳裏に思い浮かんだ。


 大事にはしたくないと言っていた彼女。

 俺たちがやろうとしていることは、志穂の思いとは裏腹だ。


 ―――本当にこれでいいのか?


 言ったところで、理人は止まりはしないだろう。

 理人だけじゃない。祐輔もだ。そしておそらくこの俺も。


 あの女には、当然の報いを与えたい。

 でなければ腹の虫が収まりそうになかった。





 下校する前に一度生徒会室に寄り、俺はパソコンのメールボックスをチェックする。


 新着の知らせはない。

 臍を噛む思いだった。どうして、相手の正体をきちんと確認しておかなかったのかと。


 創立記念パーティーが間近に迫る頃、俺はどうしようもなくイライラしていた。



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