09 もう分からん
それから数日が経った。
時の流れは思いのほか早いものだとしみじみ実感する。
私に対するイジメは初日から参加者人数が減ったものの、未だ続行中だ。やる側の人間も、よくもまあ飽きないものである。私なんて三日目くらいからイジメの対応がおざなりになりつつあって、今じゃ机に施された悪口も消しては書かれ、書かれては消してのイタチごっこにもはや作業が面倒臭くなりアートの一種なのだと放置するようにした。
筆跡鑑定からイジメに参加する幾人かが割れ、裏でちょいと脅しをかけるとそいつらは簡単にイジメから手を引いた。尚もイジメを続けるクラスメイトは、ほとんどが外部生らしい。内部生の子たちとは違い、少しの脅迫には屈してくれそうになかった。
「安曇杏奈は今度は一年の男子に狙いを定めた」やら「頭がおかしくなってジャージ姿で他学年の廊下を疾走」やら、あらぬ噂は間断なく流れたけど、特に大きな進展はなく。
そう、あれから何度も坪田に接触を試みたものの、すべて躱され邪魔され逃げられて依然として「私」の蛮行理由も赤髪男の秘密事情も分からぬまま一週間だ。
そろそろ、本格的にピンチになり始めた。
何がって、まず、妹のハーレム要員たちが私の過去の悪行を学園長に訴える準備を進めていること。考えうるに、当初はイジメで追い出すつもりだったのだろうが、私がなかなか音を上げないため強硬手段に出ようとしているのだろう。
妹はこれには反対しているらしい。「お姉ちゃんがかわいそう!」と。その本心は……言うまでもない。まあ、ただ自分の虚言癖までバレてしまう恐れがあるからかもしれないけど。
この数日、私なりに「安曇杏奈」について調べてみた。
驚くことに調査を進めていくと、私は全校生徒に嫌われているわけではなく、生徒たちの私に対する印象は賛否両論あった。
無関心な子もいれば、私を毛嫌いしている子もいる。その一方で、なんと私を心配する声もあった。表立って言えなかったけど――そう前置きする生徒のほとんどは内部生で、流石にイジメはやり過ぎだと感じているようだ。
しかしやはり、生徒会メンバーには逆らえないのか見て見ぬフリをする者が大半だった。
教師陣もまた、そこに含まれる。
最近ではモンスターペアレントなんてものが流布して、ただでさえのっぴきならない教師という立場。さらに生徒は金持ちのご子息ご令嬢ばかりだし、自然と腫れ物に触る扱いとなり生徒同士の揉め事には誰も首を突っ込みたがらない。
これが大人の事情ってやつかねぇ。
そして本日も同様に憂鬱な気持ちで車で学校に登校し、うん、車はやめて欲しいと頼んだのだけど、安曇の長子ってだけで様々な危険が伴うからと却下されてしまった。その時ちょうど話を聞いていたらしい義母が「誘拐でもされて、そのまま消えてくれればいいのに」と忌々しげに呟いたのを受け、私は断固として徒歩で登下校するまいと誓った。義母の刺客たちがいつ現れてもいいように、学用品店で新たに防犯ブザーも購入しておいた。継母やばい。
義母の危険な発言を思い出しては戦慄しながら昇降口に向かって歩いていると、突然腕を掴まれた。
「え、ちょ……っ!」
ぐいぐいと引っ張られ、私はあっという間に人目につきにくい校舎裏に連れてかれてしまう。
朝から何なんだ、一体!
「おい!」
掴まれた腕を振り切り、私をここまで連れてきた人物を睨む。
背の高い女子生徒だった。
それもかなりの美人。
艶のあるウェーブ掛かった髪を靡かせ、少しつり目な顔つきはモデルさながら。異国の血が混じっているのか色素は薄めだ。
……どこかで見たことがあるような。
それが私の率直な感想だった。
「………痛いわ」
振り払われた手をさすりながら、美人が口を開いた。
「ああ、私も痛かったぞ。きみのその伸ばされた爪が皮膚に食い込んで」
爪だって凶器になるんだからね。全力で引っ掻けば、ミミズ腫れどころか一皮二皮抉れるんだからね。
速攻で言い返せば、美人はゆっくりと視線を逸らした。
「御免遊ばせ。こうでもしないと、わたくしの話を聞いてくださらないと思いましたの」
「……話?」
「はい。あなたはどうして、わたくしたちのことを庇ったのでしょう。あなたには、何の利益もございませんのに」
庇った? 私が? いつ。
「………勘違いじゃないのか、私はきみを庇った覚えなんてないが」
そもそも、私たちは会うのはこれが初めてじゃないだろうか。
いや、もしかしたら記憶喪失前にそんな出来事があったのかもしれないけど、今の私が覚えているはずもない。
「いえ、わたくしたちは確かにあなたに助けられましたわ。それとももしかして、わたくしのことを覚えていらっしゃらないのかしら。わたくしあの時の、えっと、志穂さんを裏庭で囲っていた時にもおりましたの」
「囲っていたって……」
日の浅い記憶を辿る。
そういえば私が記憶喪失になった日、裏庭で妹の修羅場に居合わせていたっけ。あの時は散々だった。妹に濡れ衣を着せられ、挙句にぼんやりくんに決闘を申し込まれそうになって。二度と妹の修羅場に乱入するまいと心に決めた出来事。
「あーっと、頬を叩いた……?」
「わたくしの友人ですの、申し開きもありませんわ。彼女たち、本気で真宮様方をお慕い申しておりまして、あの時はただただ怒りばかりが先走ってしまい、思わず手が出てしまっただけなのです。性根は優しさ溢れる、極々普通の恋する乙女でしてよ。本当に……志穂さんの暴言さえなければ、手など上げるはずもございませんでした」
「何か言われたのか」
「真宮様方の人権を大いに損する言葉です。申し上げるのは少し……」
「いや、いい。簡単に想像がつく」
あの時止めに入った私に妹は邪魔するなと言った。大方、相手を逆上させて自分が被害者になったところを真宮たちに見せつけようとしていたのだろう。そうすれば、うるさい女たちを黙らせることができる。妹の考えはそんなところか。
結果的に私が加害者役となってしまい、計画は失敗だろうけど。
「わたくしたち、とても感謝しておりますの。あなたは犯人の汚名を被ってもわたくしたちの名を出さなかったそうで。そうまでして庇ってくださる理由は分かりませんが、今こうしてわたくしたちが学園内に留まることができているのもあなたのおかげですわ」
「……庇ったつもりはないけどな」
「それでも、感謝しているのです。友人たちも真宮様方に嫌われては生きていけないと嘆いているほどですのよ。ですからどうか、わたくしたちに協力させてくださいませ。あなたの名誉を挽回するために、尽力いたしますわ」
「………」
なんだかなぁ。
私は一つだけ、質問してみた。
「きみの名前は?」
その問いに、上品な微笑みを浮かべて答える美人。
「花吹麗華ですわ」
………うん、アウトー。
花吹麗華。
最近、二度ほどこの名を見聞きした。
一つ目はメー子の話、“王様”の婚約者として。
この学園では毎年、王様と呼ばれる学園一の生徒を決める制度がある。二、三年の中から選ばれるのが通例だが、昨年は異例も異例。入学したばかりの一年、真宮透が王様に選ばれた。
選抜基準は定かではないけど、家柄の良さだけではどうにもならない超エリートの証らしく、王様の婚約者というだけで花吹麗華も学園内で特別視されているらしい。まあ、妹の存在でその地位が危ぶまれているとも聞き及んでいる。
それにしても、私はやつのことを俺様男と称していたが、俺様ではなく王様だったとか。一人称も俺様から朕とかに変えればいいのに。自分のことを朕と言う高校生……イタすぎる。
そして二つ目。
こちらは私が調べて辿り着いた名前だった。
「ねえ、花吹さん。私への悪口を書くのは、それなりに楽しかった?」
紙に書かれた悪口の筆跡を照らし合わせると、クラスメイトには当て嵌まらない書き方の人物がちらほらいたので、範囲を広げて捜索すれば。
他学年の花吹麗華および、その取り巻きたちが見事に該当した。
「何の話でしょうか」
「私が傷つかないと思った? だから冷血漢なんて書けたんでしょ」
「……あなたが仰ることの意味が、よく分かりませんわ」
「ふーん、まだ白を切り通すんだ」
私は鞄から毎日贈られてくる悪口の書かれた用紙数枚を選んで取り出し、花吹さんに突き付けた。
「冷血漢」「鬼の子」「人でなし」―――これらはすべて花吹さんからの直筆プレゼントだ。
「……こんなものを、取って置いてあるのですか」
「現に今役に立ってるからね。花吹さんはさっき、お友達が本気で真宮たちのことを慕ってると言ったね」
「ええ」
「妹に怒ってるくらいだし、じゃあ当然、私のことも良い目で見られないよねぇ? だって私はその内の二人を弄んで、さらに片方を不登校にまでさせた。恨まない理由なんてない」
「……」
「私を恨む子たちが、わざわざ私のために尽力する? 答えは否」
「わたくしたちは、ただあなたが庇ってくださったことへの恩返しをと……」
「本当に?」
本当に、そう言える?
だったら何で時間を置いた今のタイミングなのか、説明を求めれば納得のいく答えが返ってくるのか。その間、花吹さんは私への嫌がらせを継続させていた。それはどう言い訳するのか。
視線で詰問すると、彼女はようやく貼り付けたような笑みを崩した。
「……そうですわね、正直、あなたがなかなか音を上げないので苛立っておりました。雑草魂というものは、思いのほか根が深くて困りますわ。その味気ない顔も、案外舐めてはなりませんのね。いい勉強になりました」
丁寧な喋り方で、なんという暴言……。
やっぱり、私に協力するなんて言葉は嘘だったのか。油断させて隙あらば、ということなのだろう。
言うねぇ、花吹さん。
「ですがまあ、嫌がらせの件も簡単に見抜かれてしまいましたし、失敗しましたわ。ああ、失敗ついでに、お一つ良いことを教えて差し上げます。わたくし、あなたの妹君に頼まれて今ここにいますのよ」
「……どういうことだ?」
「あら、口調が戻られてしまいましたのね。残念ですわ」
「ハッ。あんた、妹を嫌っているんじゃないのか」
それなのに、妹に頼まれてここにいる?
数日前は敵対関係にあった仲のはず。おかしいだろう。
「まさか。わたくしは志穂さんのことを好いても嫌ってもおりません。例え真宮様を奪われようが、精々悲しむフリしかいたしませんわ」
「フリなのか。随分冷めてるんだな」
「元より親同士が決めた婚約ですから」
淑やかに微笑む彼女に他意は見られない。
ある意味で予想を裏切られた気分だ。ヒロインとヒーローが結ばれる障害、金持ち設定ではありきたりな婚約者という立場のキャラは大体が性格に難があり、やたらとヒーローにご執心なのがお約束。でも目前の彼女は、割り切った考えしか持っていない。
あんなイケメン婚約者なのにね。うっかり恋とかしないのかな。うん、やはり性格がダメなんだよ、あの俺様男は。
「それで、妹に頼まれてというのは?」
まあ、金持ちのお家事情はどうでもいい。今聞きたいのは、先程の花咲さんの言葉の意味だ。
「そのままの意味でしてよ。わたくし、志穂さんに頼まれてあなたをイジメたり、こうして懐に潜り込もうとしてましたの」
「なんで妹なんかに協力してるんだ?」
「世の中、持ちつ持たれつの世界ですもの」
はあ?
どういうことだ、と私は首を傾げる。
「ああそれと、実はもう一つあなたにご用事がありますの」
そう言って花咲さんが差し出してきたのは、一本の薔薇とメッセージカードのようなもの。カードには王冠のような絵柄が印刷されているが、文字は書かれていなかった。
え。何なのこれ。
「それでは本日の放課後に」
流れ的に受け取ってしまった後、花咲さんは会釈をして立ち去った。
ちょっと待ってよ。
この花とカードはどうすればいいの? てか何の意味があってこんなものを私に?
これもまた嫌がらせか!?
気味が悪いので昇降口に設置されたゴミ箱にでも捨ててしまおうと決め、歩き出そうとすると。
「ストォ―――ップ!!」
………真後ろから体当たりされました。
不意打ちを食らった私の体はいとも簡単に地面に転び、手に持っていた花とカードも散らばる。
すると電光石火の勢いでそれらを拾い上げた者がいた。
「あーちゃんってばこんな恐ろしいものを気軽に受け取っちゃダメよ!! いい!? これはあたしがきちんと処理しておくわ!」
最近特攻隊の異名をあげてもいいかなと思ってる、明石芽衣子ことメー子だ。