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07 大変だねぇ


 ところがどっこい。


 赤髪男とはクラスが同じで、しかも前後の席。簡単に逃れられるはずもなかった。


「さっきの一年坊主と、何を話してたんだよ」


「……」


「また男を捕まえてよぉ、いいご身分じゃねーの。理人たちに相手にされなくなったからって、今度は一年か。男漁りに余念がねーな」


「……」


「お前、自分の立場分かってんのか? 全校生徒の前で土下座したって許されねーことをしてきたんだぜ? その図太い神経、俺には理解不能だわ」


「……」


 うざい。

 何これ何の拷問。

 チャイムが鳴ってから数分、延々と後ろから聞こえてくる呪詛に私はうんざりしていた。


 暴力の次は言葉責めか。どれだけ罵倒されようがいっこうに構わない……こともないけど、こう長々と同じような台詞を真後ろで吐かれるのはかなりうざい。塵も積もれば山となると言うか、面倒も蓄積されるとイライラに変わるんだよね。あら不思議。


 つか何で教師はこいつを止めない!

 今は授業中のはずだ。にも関わらず周りに聞こえる大きな声で私語を話す赤髪男に、数学教師は叱るどころか目を泳がせて「どうしたらいいの」状態だ。そこは国家資格の威厳を持って一喝するべきだろう。貴様はそれでも教師か……いや、教師だって人間だもんね。金持ちの親のクレームは怖いよねぇ、今後の死活問題に関わりそうだし。


「あー、もしかして、さっきの一年はお前の協力者か? 裏で色々させてたんだろ。調べれば芋づる式に出てきそうだな。可哀想に、お前なんかに協力したばかりにあいつの人生お終いだわ」


 ポキッ、とシャーペンの芯が折れた。

 くそぅ。これで五回目だ。抑えているつもりなのに、知らず知らずのうちに力が入ってしまっていたらしい。


 とうとう業を煮やした私は、すぅっと息を吸って立ち上がった。


「そいつは関係ない。ただ私が絡んでいただけだ」


 後ろの席の赤髪男を見下しながら、ありのままの事実を伝える。

 変に誤解されて、坪田健吾まで非難の対象になってはとばっちりもいいところだろう。


 それに。


「……今は授業中だぞ、藤並。私語を慎め。お前と違って他の生徒は真面目に取り組んでいる。仮にも生徒の模範たる生徒会会員の名が聞いて呆れるな」


 赤髪男、もとい藤並祐輔。

 建設機械業界で有名な重鎮の三男坊で、二人いる歳の離れた兄たちは親の会社でその才腕を振るう若きエース。赤髪男もそれなりに期待されていたが、周りからの重圧に耐え切れなくなったのか中学半ばにグレる。髪を赤く染め、今では家族とは絶縁状態にあるらしい。が、親も保険として赤髪男をこの学園に入れさせて、様子を見ている段階なのだとか。いやはや、大変な思いをしてきたんだねー。

 そしてこいつは学園内では珍しい不良くんなのだけど、何故だか生徒会に所属している。どうやらここでは親の権力で生徒会メンバーが決まるらしく、安曇家長女である私に断られたために急遽赤髪男に白羽の矢が立ったそうだ。理由は知らないけど、断って正解だよ過去の私! だって生徒会メンバーは全員、こともあろうに妹のハーレム要員のあいつらなのだから。マトモなやついない。


 ―――というのがメー子に聞いた赤髪男の主なプロフィールで、ここからが面白い。


 赤髪男は中学半ばにグレた。優秀すぎる兄二人に劣等感を抱いていたのか、それとも周囲の過度な期待に嫌気が差したのかはっきりとしたことは不明だが、親と縁を切ろうとしたきっかけは他にも一つあるらしい。


 初恋の女の子にフラれたから。


 そう、笑っちゃいけないことなんだろうけど、失恋したくらいで赤髪男は家族と事実上縁を切ったのだ。中学生の甘酸っぱい青春色の恋くらいで! 一度フラれたからってなんだ、女々しいやつめ、と詳しい事情の分からない私は思ったのだが、それは聞けば聞くほど惨めな話だった。


 まず、赤髪男が恋をした時点でその女の子は二番目の兄の彼女だった。初恋で奪略愛とは相当難易度が高い。社会人にとって年の差五つは取るに足りないものとはいえ、当時赤髪男は中坊になりたて。いかに優しくして愛を囁やこうがまったく相手にされなかったと言う。それでもめげずにアタックし続けた中坊赤髪男は、今と比べものにならないくらい健気で純粋だったんだね(あれ? でも妹に対しては健気だから、根本的な部分は変わってないのか?)。どんな悪人にも絶対にあるものだ、そういう時期は。

 しかしそんな赤髪男にも、しばらくして転機が訪れた。次男と彼女が別れたのだ。願ってもないチャンスに赤髪男はすぐさま彼女を慰めに向かい、傷心に付け込む形となったが見事彼女のハートを射止めることに成功。晴れて付き合うことになった。

 で、このまま順風満帆にいくかと思えば――数ヶ月後のある日、彼女が赤髪男の長男との婚約を電撃発表した。そう、赤髪男でも次男でもなく長男と。突然すぎるそれに赤髪男が何故と問いただせば、彼女は事も無げに言ったそうな。

 『え? 私たちって、付き合ってたっけ。でもごめん、年下とかホント無理。おにーさんの方が将来有望株だしお金持ってるしスマートだから、おにーさんと結婚することにしたの(はーと)』と。

 若干略しているものの、要点をまとめるとそういうことだ。ショックを受ける赤髪男とは反対に元元カレ(いや、元カレ?)の次男は諸手で祝福したらしい。ちなみにその頃、次男にはすでに別の彼女がいた。

 こうして赤髪男の淡い初恋は幕を閉じ、それが家を出ようと思った決定打だったとか。


 彼女が強かと言うか、兄弟たちの倫理観はどうなってるのか……と遠い目で思うけど、所詮は他人事なのでドンマイとしか言えない。むしろ「ハハ、ざまぁ」と指を差しそうになる私がいた。

 学習能力なく高校で妹に引っ掛かってしまうあたり、赤髪男の女運の無さが顕著に見て取れる。


 えーっと、話が長くなったけど、とにかく今は赤髪男に口を噤んでもらいたいので、仕入れたばかりの情報をさっそく使ってしまおう。


「藤並」


 威圧感を与えるため、なるべく低音で私は切り出した。


「あ?」


「そんなんだから、お前は初恋の女にフラれたんだよ」


「はあ……?」


 ギロリ、と。

 血走るまなこがちょっと怖い。


「周りのことを考えずいつまでたっても自己中心的。中学の時の彼女も、ソレが原因なんじゃないか? もっとも、お前は初めから対象外だったみたいだがな」


「! なんで、それを……!!」


「二度目の失恋は傷を深くするだけだろう? そうなりたくないのなら、公共の場ではわきまえろ」


「……ッ」


 効果覿面である。傷口に塩を塗られた赤髪男は私を一睨みした後、「クソ!」と叫んで荒々しく教室を出ていった。うんうん、過去の失恋話を持ち出されて気持ちがいい人なんていないよね。

 ざわつく周囲。見るからに数学教師があたふたしていたので、私は華麗に言い放った。


「お騒がせして申し訳ありません、先生。どうぞ授業の方を再開させてください」


「え。あ、ああ……」


 放っておけばいいんだよ、あんな男。

 暗にそう告げると、先生は了承の返事をくれたものの、私と目が合うことはなかった。

 え、私まで怯えられてる? なんで?


 そも、今の授業は私が勉学において突出して苦手とする数学。生物や世界史なんかの暗記教科は丸々頭に叩き込めば問題ないのだけど、基礎問題に応用が重なったり、こう、頭を捻らないと解けないような問題や単純に計算が不得手だった。

 微分積分とかマジで無理。ごちゃごちゃし過ぎでしょ。大体学校で習う単純計算なんて様々な力が作用する三次元においてなんの役に立つの? 世の中計算じゃ未来は見えないよ。

 という感じで、とにかく無駄な言い訳をしたくなるほどに私は数学が苦手なのだ。もはや嫌いと言っても過言じゃない。計算が礎になってる物理も若干の苦手意識があり、故に数学をマスターしようと必死で教師の説明を一字一句聞き逃さず頭に叩き入れ、ノートの書き取りに身を入れていた私に、あの赤髪男はなんたる仕打ち。

 私の堪忍袋の緒が切れたのも仕方がない。

 そりゃあ、メー子から聞いた昔の失恋話を持ち出してしまったのは悪いとは思うけどさ……。


 だからって、何で私が職員室に呼び出されなければならないの!



「……納得できません」


 異議有り。確かに赤髪男を教室から追い出したのは私だけど、それまで赤髪男は授業の妨げを行っていた。自分を正当化するわけではないが、是非ともそのことを考慮してほしい。

 私は目の前の担任に訴えた。


「あなたが納得できるできないの問題ではありませんから、納得していただかなくとも結構。以後、気をつければ良いのです」


「先生は私のイジメについてはスルーしていたのに、赤髪男に対しては過保護すぎませんか」


「赤髪男? あなた、クラスメイトをそんな風に呼んでるんですか」


「……間違えました、藤並です先生。話を逸らさないでください」


 担任は分かりやすく溜息を吐いた。

 この人、一日に何度幸せを逃しているんだろう。


「安曇さん、大人には大人の事情があります。賢いあなたなら分かるでしょう」


 でた、大人の逃げ道。

 その言葉って完全に子供を馬鹿にしてるよね。大人には複雑な背景事情があってなんたら……じゃあ、子供は単純明快な世界だけで生きてるとでも思ってんのか。学校は日々戦場だよ!


「先生は子供の事情をまったく考えてくださらないんですか? そりゃあ大変かもしれませんけど。責任取らないといけない立場って」


「理解しているのならクラスをどうにかしなさい。あなたの机や椅子は学校の所有物です」


「……私が悪いんですか」


「少なくとも、種を蒔いたのはあなただと私は認識してますが」


 種! そうだよ、それさえ真実が分かれば私ももっとうまく動けるんだよ。始まりの記憶がないからこそ、事態の収拾が暗礁に乗り上げてしまってるんじゃないか。


「いえ、まあ、この話はあなたを呼び出すための口実に過ぎないんですけどね」


「うん?」


「養護教諭の穂崎先生が話があるそうですよ。放課後、保健室に来るようにと言伝を預かってます」


「……はい?」


 え、どういうこと。呼び出されたのは説教のためじゃないの?

 担任は赤髪男たちを贔屓にしていて、私に忠告するためとばかり思ってたけど。担任を見る限り、赤髪男の件はどうでもよさげだ。それどころか私たち生徒自体に関心を持っていないように思える。


「穂崎先生も直接あなたに言えばいいものを……」


「あの、先生。私、放課後は用事があるので行けません」


「はぁ。またそれを私が穂崎先生に伝えるんですか」


「……よろしくお願いします」


 やめてくれ、そのあからさまに嫌そうな顔。

 ぶっちゃけ養護教諭には会いたくないというより、会えば妹の件で口論が再熱するだろうし、妹に毒された人間は私が悪いと最初から決め付けているから、あの変に正義感の強い養護教諭はまた妹に謝れだの反省しろだの口酸っぱく言ってくるに違いないのでお断りだ。


 伝書鳩扱いされている担任は陰鬱な口調でもう一つ、と言った。


「あなたの靴箱から悪臭が漂っているそうですよ。クラスメイト数人が苦情を訴えてきたので、早めに掃除しておくことです」


 ノー、それ私ワルクナイ。






 放課後、部活動に励む生徒しかいなくなった頃合いを見計らい、私は靴入れの掃除に取り掛かった。

 なんで私が! と担任に文句を言えば、あなたの靴入れでしょうと言われ撃沈。つまり誰も掃除してくれないから、自分でやるしかないのだ。たとえ私の所為ではなくともね。

 虫の死骸とか入ってたら、そのまんま別のクラスメイトの靴入れに移動させちゃおう。


 しかし蓋を開けたところ、靴入れの中に入っていたのはびしょ濡れの雑巾数枚だった。

 うわくっさ……なにこれ、牛乳?

 うん。この独特の臭い、間違いない。牛乳だ。

 嫌がらせの犯人め、考えたな。牛乳の臭いってなかなかとれないから、今日の嫌がらせの中で一番質が悪いんじゃないだろうか。


 私は雑巾をビニール袋に捨て、すっかり牛乳が染み込んでしまった上靴を取り出す。


「洗えばまだ使えるかな……」


 捨てるのは勿体ないし。


 ううぅ、でもやっぱり臭い。



 靴入れを綺麗に掃除して(臭いはとれなかったけど)学校を後にした私は、当初の予定通り折り菓子を持って学用品店に赴いた。気立ての良い女店主は嫌な顔一つせず、「わざわざこんなものいいのに……」と逆に気兼ねしてくれた。

 そんな遠慮なさらずに! あなた様のおかげで牛乳にまみれた上靴を履かずに済んだんですから! と感謝の意を込めて渋る彼女に折り菓子を押し付けた。うん、かなり押し付けがましかったかもしれない。


 その後、女店主の息子が帰ってきたらしいので、息子さんにも挨拶をして帰宅しようとすれば。


「ああ健吾、帰ったのかい? あんた、今日は部活じゃなかったの。随分早い帰宅だね」


「う、うるせーな! 今日はミーティングだけだったんだよ!」


「健吾! お客さまの前だよ! 親に向かってなんて口の聞き方を……」


「は? 客?」


 ひょこっと顔を覗かせた健吾くん(・・・・)と私の視線が絡み、



「…………あ」



 どちらからともなく声が漏れた。



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