05 ともあれ情報収集
金持ち校のクセに、制服はまあまあ良いデザインのクセに、どうしてジャージだけがこんなにもダサいんだ。是非ともデザインを手掛けた人物に物申したい。まず色合いからしておかしいだろう。だって蛍光色だよ、蛍光色! 暗いところでも見やすくしたかったのか知らないが、デザイン性を捨てたら若者には見向きもされないよ。
で、ジャージの不格好さに心の中で文句を垂れ流していれば、いつの間にか学校に着いていた。
運転手さんにお礼を言うとやっぱり驚かれたけど、それだけなので特に気に留めることもなく車を降り。
私は下駄箱の前にいた。
「……」
自分の靴入れと数秒にらめっこし、うん、嫌な(というか面倒な)予感しかしないので、私が靴入れの蓋を開けることはなかった。さっきから遠巻きに生徒たちの視線を感じるしね。なんて説明すればいいのか……とにかくニヤニヤしてる視線。ちなみにそれらの内いくつかの視線は私が着ているジャージに対する嘲笑混じりだった。
靴入れの中に一体何が仕込まれたんだろうかと好奇心は若干疼くが、両天秤にかければ私が取るべき行動は面倒事の回避だ。藪蛇なんて御免である。
鞄の中から袋入りの上靴を取り出し、さっさとそれに履き替えると、先ほどまではニヤついていた生徒たちが「えっ!?」という風にどよめいたのを感じ、してやったりと勝ち気な笑みを周囲に見せびらかした。
フハハ……こんなこともあろうかと、学校に来る前に寄り道して予備の上靴を買っておいたのだよ。お店はまだ開店時間前だったが、女主人の粋なはからいによって有り難く品物をゲットすることができた。おまけに、ジャージ姿の私にもし良かったらうちにある展示用の制服を貸そうかとまで言ってくれたのだ。流石にそこまでは悪いのでお気持ちだけと断ったけど、今日の学校帰りには是非とも折り菓子を持ってお礼に行きたい。
昨日の生徒たちの態度からして、何かしらの嫌がらせをしてくるだろうことは予測できていた。学校でできる嫌がらせなんてバリエーションもそう多くはない。昨夜のうちに携帯で色々調べ、世にある校内イジメとやらを知り尽くした私にもはや一点の曇りなし。どこからでもかかってこい状態なのである。
定番中の定番―――下駄箱に画鋲やら虫の死骸やらがっ、ああ上靴も汚いorどこにもない!という嫌がらせで困る点は、上靴が使えなくなること。汚れていれば当然履けない。なので、じゃあ新しいのを買ってけばいいんじゃないかという安易な結論にたどり着いた。先代の上靴には申し訳ないが、嫌がらせをしてきた連中には必ずきみの分まで一矢報いることを約束しよう。
そしてこちらも予想通りだが、教室での私の机は悲惨だった。
ペンで書かれた無数の悪口に、机の中にはまた色々と書かれた用紙が詰められてある。バカ、ブス、キモい……ここら辺は悪口の常套句として、「冷血漢」って何。よく見れば小さな文字でも「鬼の子」と書かれていた。悪口が昔臭いのは何故だろう。
私はまず、机に詰められた紙を一枚一枚確認しながら取り除き、自分のロッカーの中へ残らず入れた。教室のロッカーはプライバシーの保護のためか鍵付きなので、大切なものを保管するにはもってこいの場所だ。名誉を守るために断っておくけど、自分への悪口が嬉しくて紙を保存するわけではない。ご丁寧にもすべて手書きだったから、後で筆跡鑑定して相手を突き止めるのだ。ふふふ。
しかし机の落書きは残しておくわけにはいかないので、携帯のカメラに収めておく(書かれている悪口がはっきり写る一枚と被写体単体、そして教室全体を入れた計三枚)。これも昨夜学んだイジメ対策のネット知識だ。
よしよし、と写真の出来栄えを確認していると、今まで呆然と私の行動を見ていたクラスメイトの一人が「何やってんだよ!」と声を荒げた。
何?
何って……。
「記念撮影だが」
私はつい反射的に答えてしまう。
本当はただの証拠写真だけど。
「い、意味分かんねえ!」
「そうか。それより、誰か箱入りティッシュを持っていないだろうか。数枚必要なんだ」
「はあっ!?」
ポケットティッシュなら持ってるんだけど、できれば箱入りがいいんだよなぁ。
それにしても、ティッシュをほしいと言っただけで何をそんなに驚く必要があるのだろう。金魚のように口をパクパク開閉するだけで返事もくれないそいつから視線を外し、後ろのクラスメイトたちに向ける。数人がチラチラと教卓の方を見ていたので、なるほどそこにあるのかと私はさっそく取りに向かった。
教卓の下段にあったティッシュを持って自分の席に戻れば、先程のクラスメイトが「ティッシュなんかで油性ペンが消えるわけねーじゃん」と馬鹿にしたように笑う。
……こいつ、嫌がらせの犯人確定だな。ペンはペンでも“油性ペン”と断言しているということは、現場を見ていたか犯人かのどちらかになる。しかしこいつの言動を顧みるに、犯人である可能性は非常に高い。おそらく主犯格なのではないだろうか。
私は鞄の中から除光液を取り出した。マニキュアなんかを落とすための溶剤だ。と、同時に指についてしまった油性ペンや接着剤を落とすことのできる便利アイテムである。ちなみにマジックや修正液が出にくくなった時に少量の除光液を先に染み込ませれば、使い続けられることもしばしば。
除光液を三滴ほど四つ折りにしたティッシュに落とし、それで机を磨いてゆく。こう見えて結構な重労働だが、あれだけ酷かった落書きがみるみるうちに消えていくので効果は絶大だ。
「なんでそんなもの学校に持ってきてるんだよ……っ!」
クラスメイトたちも悔しそうにしていたので、ハン! と挑発的に笑ってやった。これも予想の範疇なのだよ。
って、いかんいかん。昨日、冷静に物事を進めてゆくべきだと教訓を得たばかりなのに、こんなことで勝ち誇ってどうするんだ。ほら見ろ、クラスメイトたちの怒りを煽ぐだけである。
「うざっ」
誰かが舌打ちと共に呟いた。女の子の低い声だった。教室を取り巻く空気全体が冷たくなる。
その声を皮切りに、女の子数名は口々に悪態をつき始めた。
「なにあれ。余裕振ってるつもり?」
「ただの現実逃避でしょ。自分がイジメられてるってのが信じられないんじゃないの。なんせあの安曇家のご令嬢様ですから」
「あはは、言えてる!」
あれで冷罵を浴びせたつもりなのだろうか。
特に私の胸を抉る言葉でもない。取るに足らない、義母と同じ下らない謗りだ。これくらいなら平然と聞き流せる。
私を傷付けたいなら、そう……。
『人を傷付けることしかできないお前なんて、 ……消えてしまえば、いい……』
以前ぼんやりくんが言ったみたいに。
もっと的確な急所を突付かなければ。
はぁ。
私は一つ、溜息をこぼした。
「あ、あああ゛ぁち゛ゃぁぁん―――!!」
ガバッ、と。
あり得ないスピードで私に突進してきた影。
「あ、明石さん……」
「呼び方戻ってるぅ! めーちゃんって呼んでくれなきゃイヤよ!」
「はいはい、めーちゃんね」
敵だらけの学校で唯一私に話し掛けてくるへんた……ごほん、明石さんである。
引き攣る口元を押さえて、彼女の希望通りに名を呼んだ。
教室で生徒たちと精神的格闘をしたり、「なんでジャージ……」と顔を引き攣らせながらも私に対するイジメをすべてスルーしていた担任の問い掛けに、「水をかけられたので」と正直に答えることでそれ以上の言及を回避したり、遅刻してやって来た赤髪男の射貫くような視線をすまし顔で撥ね退けたり、女の子たちからの放課のお誘い(別名を呼び出し)に応じなかったり。
とにかく繁忙な午前を過ごし、昼放課に避難先としてやって来たのは昨日と同じく裏庭。滅多に人の来ない絶好の場所だし、何より猫ちゃんに会えるかもしれないと期待していたが、そこにいたのは可愛らしさの欠片もない明石さんだった。
癒やされぬ。
「あーちゃん、昨日の夜っ! あたしたくさんメールしたのよ! ちゃんと見た!?」
私の両肩を掴んで息巻く明石さんに、とりあえずきみは一度私との関係を明確な図式で表した方がいいんじゃないかなと思う。私たちって何だろ。友達? ……には思えないよね。いろいろと。
明石さんも初めの出会いではあんなにも大人な雰囲気を醸し出していたのに、どこでそれを落としてきてしまったのか。ぜひとも来た道を戻って探してきてほしい。
メールは、うん。きちんと見たよ。どれだけ私という絶対神を崇高しているのか熱狂的な信仰心を延々と語ってくれたね。心底どうでもいい内容で、一通一通の膨大な文字数にはかなりびっくりした。同じようなことを繰り返し繰り返し……通信代とか電気代とか勿体ないわ!
「ごめん。すべて目を通しはしたけど、どう返信していいのか分からなかった」
そう正直に答えると、明石さんは不満げに口を尖らせた。
「えぇー! じゃあ、今もう一度見て! あのメールにはね、別の文章が隠されているんだから!」
ほらほらと明石さんに促され、私は仕方なく携帯の受信ボックスを開く。
しかし。
「あれ……」
【受信ボックス 0件】
受信メールが消えてる。
明石さんから送られてきた数件のメールがすべて。
「……」
私は画面を電話帳に切り替えた。
すると、そこに登録したはずの明石さんのデータが消えていて、表示されるのは運転手さんのデータのみだった。
……おかしい。
いくら明石さんからのメールがウザかったとはいえ、私はデータを消した覚えはない。
では、何故データが消去されているのだろう?
「どうしたの? あーちゃん」
「……明石さん、すまない。誤ってデータを消してしまったみたいなんだ。悪いけどもう一度番号とアドレスを教えてくれないだろうか」
「あらやだ。あーちゃんってばドジね! 完全無欠の女王様もいいけど、そのギャップにも萌えるわぁ。意外性ってステキよね」
「…………ソウダネ」
ドジを踏んだわけじゃ、ないとは思うんだけどなぁ。
ポリポリ。頬を掻きながら、明石さんのデータを再び登録し直す。
080-××××-××××。
また何かあってもいいように、電話番号だけでも暗記しておこう。
「ああ、そうだ明石さん。少し聞きたいことがあるんだ」
昼放課のうちに連絡を、と思ってたけど明石さんの方から現れてくれたので好都合である。今のうちに昨夜消化不良だったあの事を尋ねてしまおう。
「……あーちゃん、それってわざとなのかしら? あたし、悲しくて泣いちゃいそうだわ」
「え、何が」
「名前よ、な・ま・え! いつまで経っても明石さん呼びから進化が見られない。あたしたちこんなにも仲良しなのに、酷いと思わない?」
「仲良しって……。まだ出会って二日しか」
「違うわ、出会ったのは入学式でよ! ちなみにあたしがあーちゃんをリスペクトし始めたのは三ヶ月と九日前。この話、詳しく聞きたいでしょう?」
「いや、心の底から遠慮する」
「なんで!」
きみの私にまつわる話の終着点は結局、どれだけ自分が私を尊敬しているのかというどうでもいい内容になるからに決まってる。そのため明石さんから過去の私の情報を引き出すのは困難極まりない。私情というか明石さん特有フィルターが大いにかかってしまっているからね。
ショックを受けたらしい明石さんは膝を抱えていじけ出した。断ったことはそんなにダメージが大きかったのだろうか。
……仕方ない。
「明石さん、メー子って呼ぶのはダメかな?」
「メー子? なんか可愛くない……」
「そんなことないよ。明石さんの本名に近いし、そっちの方が親しみやすさを感じないかな」
「親しみ、やすさ? 親しみやすさ……」
腕を組んでぶつぶつ呟き始める明石さん。その節々に「あーちゃんともっとお近づきになれるなら」と聞こえるが、ここはスルーだ。知らん振りだ。えーえー、何も聞こえませんとも。
「いいわ、メー子大賛成! あーちゃんがつけてくれたあだ名だもの、大切に大切に、私の家宝にするわ!!」
あだ名をどうやって。
明石さんは私の白けた目など気にせず、脳内がパラダイスになっているらしい。ぽわんぽわんと彼女の周りに花が見える。
まあ、いいか。とりあえず今は質問を優先しよう。
おーい、お花畑から戻っておいで。
「明石さん、昨日きみが言ってた人物についてなんだが」
「……誰?」
おお、すぐに反応した。
「私が以前に、気絶させるまで走り続けさせた生徒がいただろう。その生徒が何年何組なのか知ってるかな」
「もちろん! あーちゃんに関わることなら何でも知ってるわ。でも……どうして? 今更でしょう?」
どうして、か。返答に困るな。
当時の詳しい話を聞きたいのと、その生徒がどういった人物なのか知りたいだけなのだが、そんなこと明石さ……じゃなくてメー子に言えるはずがない。
うーむ。
どういう理由にしようか考えていると、それよりも早くメー子がポンッと手のひらを叩いた。その瞳は驚くほど輝きに満ちている。
「ああ、なるほど! もう一度そいつを虐めてやろうって魂胆なのね! 流石はあーちゃんっ」
キラキラキラ……。
って、アホか!! 今だって私がイジメの被害者的立ち位置にいるのに、そんなことをしてみろ。周囲のさらなる反感を買って、イジメがより激化するのは目に見えているじゃないか!
ぶっ飛んだ発想をするメー子には脱帽だが、そうだよね。
メー子は元から悪女・安曇杏奈を慕ってるんだもんね。
思考がそっちに行くのも無理はない。
無理は……たぶん、ない。