02 かむばっく今世の記憶
あれから滾々と明石さんが語ってくれた今世の私は、筆舌に尽くし難いとんだ性悪女だった。いや、性悪で済めばまったくマシだというほどに悪の権化状態だった。
誰に対しても高圧的で高飛車な態度に始まり、気に入らないことがあるとすぐに喚き出す我がままお嬢様。何かにかこつけて人を貶すのが好きらしく、挨拶はほぼ悪口から入り悪口で終わる。おまけに人の修羅場が三度の飯より好物で、校内で起こるいざこざには必ず私の姿あり、だそうだ。
しかしこれらはまだかわいい方だ。酷い話では、目をつけた生徒に無理難題を押し付け、その生徒が意識を失うまで走り続けさせた、というのがある。なんて恐ろしい。イジメの範囲を軽く超えちゃってるじゃないか。幸いにも生徒の命に別条はなかったらしいが、いくら何でもやり過ぎだと思う。ここまでして学校側から一切のお咎めなし、ってのもまた……。
うああぁっ。
今世の私は何がしたかったんだよまったく!
私に加虐趣味はないはず(どちらかと言えばSだけど、ああ認めるよ私は隠れSだよ! でも人道に逸れてまで人を甚振りたいとは思わないちょいSなの!)だし、善良とまではいかなくとも真っ当な人生を歩もうがモットーだ。前世で第二の人生は好き放題できたらとわずかなりに願望はあったけれども、ここまで願っちゃいない。
―――きっと何か理由があったんだ。
そう今世の私を信じたい。むしろ信じさせてくれ。
「それでね~、あーちゃんは」
「ちょっと待って、あか……めーちゃん。ストップ」
かれこれ二時間近く私について話す明石さんの口をようやく止める。彼女、時と場所に関係なく一度話し出したら止まらない人間だった。趣味の話ならいくらでも語れる多弁な人。別名をおばちゃん体質とも言う。
「どうしたの? あーちゃん」
「そろそろ下校の時間になるし、この話はまた今度にしよう」
これ以上彼女の話を聞いてたら日が暮れてしまいそうだ。
あと、私を狂信的に見る明石さんが若干怖い。なんせ褒められることなかれ、悪者として尊敬されているのだから、変質者という点を除いても明石さんは十分に私の中で掲げる「関わってはいけない人」の条件を満たしている。
「えぇーっ!! ここからがいいところなのに!」
「だからまた今度。そうだ、電話番号とアドレスを交換しよう。もしかしたら、きみに力を借りる日が来るかもしれない」
「うーん、まあいいわ。番号とアドレスね、オッケーよ」
裏を返せば極力連絡は取らないよ、ってことなのだが、彼女は気付かなかったらしい。笑顔で承諾してくれた。
今朝運転手さんが鞄と共に渡してくれた携帯をポケットから取り出し、彼女と赤外線通信する。いやあ、携帯もすっかり便利になっちゃって……前世の私の時代じゃ、もっと扱いにくい印象だったんだけどなあ。と、思いつつ、惰性で身についているのか慣れてないはずの携帯もすんなりと操作できた。
「そうだわ、あーちゃん。最後に一つ」
「なに?」
明石さんの問い掛けに返事をする。
「たぶん明日から、あーちゃんへの風当たりはさらに強まるわ。この学園を出た方がいいんじゃないかって思うくらい、酷いものになると思うの。あたし、悪役のあーちゃんが好きだけど、物語の中の悪役みたいにヒーローに成敗されてほしくない。だからそうならないよう、なるべく手助けする。でも、それでももし辛いようなら、形振り構わず逃げちゃえばいいわ。あーちゃんには“天下の安曇家の長女”って言う最強のカードがあるんだから」
「明石さん……」
少しだけ驚いた。
明石さんが私を精神的な面で心配してくれたことに、だ。
もしかしたら彼女は、私が思うよりずっと常識的な人間なのかもしれない。
「どこに逃げてもいいのよ。あたしはあーちゃんとサヨナラするつもりなんて微塵もないもの。例え火の中水の中、あーちゃんのためなら地獄の果てまでついて行くわ!」
「………」
ああ、間違えた。
明石さんにあるのは常識じゃなくて、凄まじいまでのストーカー精神だった。
やはり、余程のことがない限り彼女への連絡は控えよう。私は固く誓った。
明石さんと別れた後、迎えに来てくれたらしい朝と同じ高級車で帰宅の途につき、お嬢様って毎日車の送迎があるんじゃ一日の運動量が相当足んなくないか? 厚生労働省は一日一万歩が理想だって言ってるよ? と思いながら自室に篭った。
そう、今世の私が何を思って悪役に身を投じていたのか、その理由に繋がる物を探すためである。
日記なんかつけててくれればいいんだけどねー。面倒臭がりな私がそんなものに手を出すはずがない。部屋中どこを物色しても、日記などの類は見つからなかった。
そもそも全体的に、私の部屋には私物が極端に少ないように思える。クローゼットの中の服は五~六着しかなく、アクセサリー類だって一切見当たらない。話に聞いた我がままお嬢様なら、部屋に宝石の一つや二つあってもいいような気もするが。
「収穫はなし、か……」
どうしよう。
本当に何も見つからない。
広い室内なのに、すべてを探し終えるのにそう時間はかからなかった。それだけ物が少ないということだ。
―――でも、かわりに一つ分かったこともある。
今世の私は、どうやら今の私と思考回路がまったく変わらないようなのだ。
日記のことも然り、部屋のどこに何を置くか、私の思い浮かべる通りに室内も整えられている。例えば本棚の本の並べ方など、まさしく前世通り。右から左に巻数ごとに並べるのは、私以外には滅多にいないだろう。他にも多々、私独自のクセが見て取れた。
これは紛れもない、今世の私が今の私であったれっきとした証拠。“魂”が同じだと思ったことは、間違っちゃいなかった。
だから尚更、“悪役お嬢様”なんかの面を被っていた理由が知りたい。何故、そんなことをする必要があった? 立場を狭めてまで、一体どうして。
腕を組んで唸っていると、ふと、机の上に置いた携帯が目に入った。
………そうだよ。なんで今まで気付かなかったのだろう。
もしかしたら、携帯に何かしらのヒントが載っているかもしれないのに!
「馬鹿か、私は。明石さんとアドレス交換した時点で気付くべきでしょ」
携帯を手に取り、メールや着信履歴、アドレス帳を開いてゆく。
が、しかし。
「わぁ……」
履歴、なし。登録データ、二件のみ。
なんとつい先程登録したばかりの明石さんと、運転手と表示されている二つのデータだけしかない。
友達どころか、あまつさえ家族のデータも登録されていないなんて!
妹はまだ分かるよ、仲が良かったってわけじゃなさそうだし。でも、父親と母親の電話番号もないってどういうこと。
まさかとは思うが、私は家族にさえ疎ましがられてる存在なのか……?
「―――ちょっと、どこまでふざけた真似をすれば気が済むのよ!?」
その時、バアァン! なんて大きな音と共に扉が開かれ、三十代ほどの妹似の美女がヒステリック気味に登場した。
化粧の施された目で睨まれるのは、なかなか目力があって迫力的だ。しかし般若顔で突然現れられても、反応に困る。
「お前は、まだ自分の立場が理解できていないようね! 可愛い可愛い志穂を叩くなんて、よくそんな真似ができたものだわ! ああ、恐ろしいっ! その暴力的な性格、一体どこの誰に似たのかしら!」
その台詞は、とてもじゃないが娘に言う台詞ではないと思う。どこの誰に似た、なんてあんたとその夫の遺伝子が合わさった結果だろう。
妹が歳を食ったらこうなるんだろうなという出で立ちで簡単に予想がつくが、この人、私たちの母親だ。私とは似ても似つかないけど。どこに行った? その美貌DNA。
なんて悔しがってる場合じゃないな。とにかく何か、返事をしなければ。
ええと、とりあえず私は“お嬢様”なわけだから、「お母さん」より「お母様」の方がいいのかな。少し躊躇いつつ、私は声を掛ける。
「あの、お母様」
口に出してからなんとも時代錯誤な言い方だと後悔したが、対する母親が反応したのは別の意味でだった。
「まあ! “お母様”ですって? この私がお前如きの母親になろうとは。これだから野蛮な血を引く娘はなっていないのよ!」
お母様、の呼称はあながち相違なかったらしい。それよりも母親は私にそう呼ばれたことに憤りを感じている模様。
………うん、なんとなく分かった。
妹と私が似てない理由はおそらくそれだ。
血、繋がってなかったんだね。
ってことは異母兄弟?
それとも父親の方とも血縁関係のない養子縁組?
いずれにしても、私は目の前の熟女と直接的な繋がりがないらしい。
「思えば、お前の母親も貧相な女だったわ。しかも下賤の分際で、どんな手を使ったのか安曇の正妻の座を強奪してしまったのだから。血は争えないわね、お前は母親そっくりのどうしようもない醜女だわ」
義母はのべつ幕なしに暴言を吐く。
私は生みの母親の顔も覚えてないし、どんな人だったのかも分からない。けれど、生母を貶されるのはどうしても我慢ならなかった。私の中で眠る「私」が、静かに怒っている。
「……すみません」
耐え切れず私は口を挟んだ。
「なにぶんあなたの言う貧素な血とやらが混じってますから、私もあなたのどうしようもない謗りに付き合ってる時間が惜しいんです。貧乏暇無し、って言うじゃないですか。これ以上生産的でない発言を繰り返すようなら、この部屋を出て行ってもらいます。どうぞあなたの愛娘にでも愚痴ってあげてください。いい子な彼女は、きっと嫌な顔一つせずに相槌を打ってくれますよ」
「お前……っ」
「何か? 母親でない方が、ノックもなしに部屋に乱入してくるのはいささか無作法だとは思いませんか」
「よくそんな口が叩けるわね! 私の志穂を傷付けたことと言い、お前はこの家での立場を理解していないらしい! お前なんぞ、私が貴之様に頼めばすぐにここから追い出せるのよ!」
―――たかゆき様。
大方、義母の夫、つまり父親の名だろう。
頼めばすぐに追い出せる、ね。この台詞を聞く限り、義母に決定権はないらしい。なので思わず言ってしまった。
「やれるものなら、やってみろバーカ」
舌べらを出して、あかんべえをする。
妹のハーレム要員たちもムカつくが、何故だか暴力も振るってない義母の方が数千倍に増してムカつく。いや、何故か、じゃない。理由はちゃんと分かっている。ハーレム要員たちは悪い事をしたのに反省しない私に対して怒っていて、義母は私の存在そのものに憤りを感じているからだ。
お前なんて生まれてこなければいい、次の瞬間にはそう言われてしまいそうで、堪ったもんじゃない。
「口の利き方に気をつけなさいッ、この―――」
真っ赤な顔をして義母が手を振り上げるが、その手が私に届くことはなかった。
「あ……」
義母の腕を、誰かが掴んで止めたからだ。
「貴之様……」
やってしまったと言わんばかりに義母が小さく呟いた単語を、私は聞き逃さなかった。




