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01 「ムカついてる」

赤髪男視点。


 ムカつく……。

 ああムカつく!!


 透から昼放課の出来事を聞かされた時、思わず怒りで我を忘れそうになった。

 あのクソ女、性懲りもなくまた志穂に手を出したらしい。

 ふざけてるのかよ。前に一度勧告したにも関わらず、まったく意に介していないようだ。

 完全に俺たちのことを舐めてやがる……。


「一発ぶん殴ってやんねーと、気が済まねえ!」


 ガンッ! と、近くにあったゴミ箱を蹴った。

 周囲の生徒が驚いたようにこちらを見るが、キッと睨みを利かせれば揃いも揃って青褪めた顔で視線を逸らす。普段はどうでもいい周りのそのあからさまな態度でさえ、今の俺にとっては鬱陶しくてならなかった。


 姉と呼ぶのも差し出がましいあの女に、志穂が日常的に暴力を振るわれていると知ったのは一年の終わり頃。袖を捲り上げた際に偶然透が腕の痣を発見し、これはどうしたんだと尋ねたところ、堰き止めるものが無くなったように泣きながら話してくれた。


 お姉ちゃんにやられた。

 これが初めてじゃない、と。


 いつも笑みを絶やさず明るく振る舞う彼女が見せた初めての涙。それだけで分かる。今までずっと、姉からの暴虐に一人耐えてきたのだろうことは。

 それまで安曇姉のことは正直、どうでもいい存在だった。嫌な性格をしているとは思っていたが、一応は志穂の身内。会えば挨拶は欠かさない仲で……とは言っても俺が一方的に声を掛けるだけで、クソ女は決まって馬鹿にしたように鼻で笑うだけだったが。けれどその不遜な態度にも大した憤りを感じないほどに、あいつのことは俺の眼中になかったし、他のやつらも似たようなものだった。

 しかし志穂の告白をきっかけに、俺たちはクソ女への認識を改めざるを得なかった。あいつは間違いなく志穂を不幸にする、排除した方がいい異分子であると。


 思えばその頃からかもしれない。志穂を好きだと俺たちが自覚したのは。

 か弱い彼女を守ってやりたい、自分が支えてやりたい。生まれて初めて芽生えた恋心。

 故にクソ女のしたことは許し難かった。愛しの志穂を傷付けるなど、万死に値する。

 俺たちは全員でクソ女を糾弾した。大事にしたくないという志穂の願いもあって、志穂に謝罪し、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓うなら許してやってもいいと透は言っていたが、俺は違った。そんな甘ちゃんな考えでこのクズが更生するはずもない。様々な意味で純粋な文哉も、俺と同様にただの謝罪だけでは納得できないようであった。


 予想通り、クソ女は俺たちの非難の言葉を物ともせず、やはり悪びれもなく嘲笑うだけだった。


『証拠はあるのか? 私がやったという、確固たる証拠は。志穂の言葉だけを鵜呑みにするなんざ、ひどい話だと思わないか』


 相変わらずの男寄りな口調で、裁定を下す側にいるはずの俺たちを逆に責め立てた。

 確かに証拠はないものの、志穂の涙が嘘だとは思えないし、何よりクソ女の傲慢な性格そのものが肯定を物語っている。そう反論すれば、ただの状況証拠に過ぎないだろうと言われ、元より口達者でない俺は押し黙るしかなかった。頼みの綱である理人も、舌先の口論ではクソ女に勝てないらしい。


 結局、クソ女を引っ叩くことは出来ず、代わりにあいつを志穂に接触させないよう手を回すことと監視の目を強めることしか俺たちが講じられる策はなかった。

 自慢の俺たちの家柄も、同等の権力を持つ安曇家の長女が相手じゃ何の効果も発揮されない。クソ女に然るべき制裁を加えたいのに何の得策も思い浮かばず手をこまねいていると、つい先週末、泰斗と連絡が取れなくなった。

 あまりにも突然だった。

 電話もメールも一切応答がない。こんなことは初めてで、何かあったのかと心配して家を訪ねたが、泰斗の祖父兼保護者である佐野壱弐グループ代表によって追い払われてしまった。二度とうちの子に近づくんじゃないとの言葉付きで。訳の分からなかった俺たちはなんとかして泰斗に会おうと試みるも、すべて徒労に終わてしまった。

 そんな最中の翌日である。今から五日前の土曜日。

 理人が驚くべき話を激白した。


『―――僕は一年の半ば頃から、安曇さんに脅され、関係を迫られていました』


 淡々と、台本に書かれた台詞でも朗読するかのように、何の感情も篭っていない表情で。


 それだけでも信じられないと言うのに、理人はさらに


『文哉も僕と同じです。彼女に脅されて、色々と強要されていました。今回連絡がつかなくなったことも、それが関係しているのだと思います』


 と、続けた。


 俺たち―――少なくとも俺にとっては、衝撃的な話だった。今の一度だって、理人も泰斗もそんな素振りを見せたことはなかったからだ。

 それも半年……。好きでもない女と付き合うなど、一体どれほどの苦杯か。もし自分が、と考えただけで嫌悪感を催す。

 泰斗はもう限界に達してしまったのかもしれない。気付いてやれなかった自分が情けない。SOSのサインは確かにあったはずなのに、どうしてあの頃の自分はきちんとそれを受信してやれなかったのか。

 俺たちがもし泰斗の苦しみを見抜いていたら、もちろん泰斗だけじゃなく理人もだ、そしたら、こんなことにはならなかっただろう。今だって皆で笑い合えていたはずだ。

 それを、それをあの女は……!

 あるべきはずの日常を簡単に壊してしまったクソ女。俺たちの怒りの矛先は当然鋭いものとなりそこに向かった。

 加えてどこから情報が漏れたのかは不明だが、理人と泰斗がクソ女にされたことは瞬く間に学校中の生徒が知るところとなり、蛇蝎の如く不評を買った。一時期だけでもあんな女なんかの言いなりにさせられていたことが関係ない人間にまで知られるのは、本人たちの心情を思えば良いものではないだろうが、俺にとっては喜ばしくもあった。男子生徒からは同情の声が集まるだろうし、二人に好意的な女子生徒たちはクソ女を徹底的に甚振ってくれるはずだからである。理人たちには悪いが、ある意味で感謝した。


 だが、週明け、今か今かと待ち望んだ当のクソ女は、まるでこうなることが分かっていたかのように学校を欠席した。登校してきさえすれば、鼻つまみ者として針のむしろに座らせられただろうに、とても残念である。

 二日、三日経ってもクソ女は姿を現さない。同じ家に住んでいるとはいえ、俺たちの手回しで顔を合わせないようにさせたため志穂もクソ女の状態を知らず、けれど病欠でないことは確かだそうだ。

 そして待望の四日目、クソ女はようやくやって来た。

 それも、あたかも何も知らない風を装って。

 あくまでもすっとぼけるだけのあいつに、拳を一発のめり込ませたくなったのは言うまでもない。


「やっぱり今朝、こっ酷く痛めつけてやればよかった……!」


 いくら痴愚なクソ女と言えど、痛みの味くらいは分かるだろう。今朝の俺、クラスメイトの前だからと遠慮することなんてなかったんだ!

 そうやってまた近くにある物に八つ当たりしようとすれば、いつの間にか隣にいた理人に止められた。


「物に当たってどうするんです」


「……うるせえ」


「まあ、当分その溜まった鬱憤は、根源である本人には返還できませんけどね」


「はあ? どういうことだよそれ!」


 今日一日、どれだけクソ女を懲らしめたいと思ったことか。姿さえ見せてくれりゃあこっちのものという状況にも関わらず、クソ女で鬱憤を晴らせないだと? 意味分かんねーよ。


「平和的解決が求められるんです、あくまでもね」


「平和的って……口で言ったところでどうせあいつは謝らないし、反省もしねーよ」


「ええ、もちろん。彼女が反省しようとしないのは決定事項でしょう。だからこそ、僕たちの手出しは不要なのです。

 これからは生徒の皆さんが頑張って・・・・くださいますよ」


 それは……。


 尋ねようとして、口を噤んだ。

 腹黒こいつのことだ、俺が考えていたこととまったく違わない謀を企てているに違いない。いや、もしかしたらそれ以上に凄惨な考えをしているのかもしれない。女どもから王子様と称されるその爽やかな笑顔の下にとんでもない鬼畜な一面を持っているのだから、末恐ろしいやつ。


「……理人。お前は―――」


 お前は。

 その続きはなんと話せばいいのか分からなかった。


 理人が具体的にクソ女に何をされたかは聞いていない。あの泰斗が俺たちにも会いたくなくなるほどのこと。むやみやたらに聞くものではないと判断したからだ。それでもクソ女と戦う選択をした理人は、本当に強い人間だと思う。だからこそ、どこでその強さが崩れてしまうか分からない。

 言葉は紡げなかったが、俺が何を尋ねようとしたのか理人は分かったらしく、くいっと眼鏡のフレームを上げた。


「傷付いてますよ、これでも。いえ……ムカついている、という方が正しいでしょうかね。ここまで頭にきたことは生まれてこの方初めてかもしれません。安曇さんには僕を好き勝手に弄んだこと、きっちり後悔させてやります」


「………」


 理人の目に暗澹な光が見えた気がして、何も言えなくなった。




 ―――クソ女を学園から追放し、泰斗を取り戻す。


 それが俺たちの目標だ。



閲覧、感想等ありがとうございます。

更新がノロマでごめんなさい。

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