01 前世の記憶
“私”が死んだのは、高校二年の春だった。
花見のスポットとして地元では有名な並木道を、朝早くに散歩していた時のことだ。
どこからか現れた黒ずくめの痩せこけた男に、持っていたナイフでグサリとやられた。随分と呆気ない死に様だった。男の正体は残念ながら冥土の土産にはできなかったけど、たぶん私の知らない人だ。
いわゆる無差別殺人。そこにいたから私を殺した、ただそれだけのこと。
誰でも良かったんだと思う。運悪く私が居合わせてしまっただけで、男でも女でもそうじゃない人でも、子供でも大人でもお年寄りでも。そこに居れさえすれば誰でも良かったんだ。
最期に視界に映ったのは、まるで私の死を祝福するかのようなタイミングで吹雪いたたくさんの桜の花びらたち。
感覚神経がおかしくなったのか、それとも単に脳が刺されたという事実を受け入れたくなかったのか、不思議と痛みは感じなかった。
やってくるのは重たい眠気だけ。
そして微睡みの中でたゆたうようにして、私は死んだ。
――――のを、今、思い出した。
なんてことだ。確かに“私”は一度死んだ。今こうして“私”の半生を追憶している私は、“私”とは似て非なる存在。
つまり今世の私である。
死んだ“私”は生まれ変わり、今の私として新たにこの世に生を受けた……らしい。
らしいと言うのもおかしな話だが、困ったことに前世の記憶を思い出した瞬間、私は今世に生まれてからのかれこれ十六年間の記憶を綺麗さっぱり失くしてしまったのである。やたらと長くてリアルな夢が前世の記憶だと理解できた時、対価として今世の記憶が消去された。入れ替わるようにして雲散霧消してしまったのだ。
いや、二つの記憶が混在して自分を見失ってしまうよりマシだったんだろうけど……うん? マシか? まあ、マシということにしておこう。区切りをつけないと永遠と一人議論する羽目になるからね。
ということで現在、困ったことが三つある。
まず一つ目に、慌ててベッドから飛び起きたはいいのだけど、ここがどこなのかまったく分からない。自室じゃないのかって普通は思うでしょ? 残念。こんな高級ホテル並みの内装をした豪華絢爛な部屋を自分のものだとは到底思えません。根っからの庶民(前世)である私には世界が違いすぎて目が痛いし、この華美を極めたって感じにただただ圧倒される。
二つ目に、私は誰? という問題。分かっているのは十六歳の年齢と、自分が女であること。部屋にあった姿見で確認してみたけど、顔は前世とあまり差異のないように思えた。有象無象を体現したかの如く地味で平凡な容貌。これと言った特徴も無いものだから、将来はスパイにでもなれそうだ。どんなにお金を積まれたって、そんな危険な仕事は絶対に請け負わないけど。
最後に三つ目。シンプルに、これからどうするよ?
生憎、小学生の頃から目を覆いたくなるような通知表しか貰ったことのない私だ。どれだけ首を傾げようが解決の糸口など見つかるはずもなく、試しにふかふかなソファの上で瞑想にふけてみたが、考えようとすればするほどに何も思い浮かばなかった。
まずい……。これはまずいぞ。
自分は蝶になる夢を見たのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか。
いよいよ混乱し始めた頃、部屋の扉がコンコンと控えめにノックされた。
私は反射的に「はい!」と背筋を伸ばして答える。
「おはようございます、お嬢様。お目覚めは如何でしょう」
………なんだって?
お嬢様? それって誰のことだい? この部屋には私しかいないぞ。
キョロキョロ辺りを見回したい衝動に駆られたが、それよりも部屋に入ってきた人物の格好に仰天し、思わず目をひん剥いて凝視してしまった。
いやいや、だって。
メイドさんだよメイドさん!
濃紺のワンピースにフリルのついた白いエプロン。頭にはご丁寧にカチューシャまで付けてあって、生きているうちにリアルで見られるなんて思いもしなかった。や、もう一回死んじゃってるけどさ。なんていうか、気分的に? うん、秋葉原でしかお目にかかることのできない代物だと思ってたよ。
口を開けて唖然とメイドさんを見ていると、彼女は「朝食のご用意ができました」と変わらない表情で淡々と告げる。瞬き一つありゃしないものだから、ちょっと怖い。
てゆーか、このメイドさんの言う「お嬢様」は私になるのか? 彼女の視線は真っ直ぐ私に向けられているわけだし、間違いないだろう。今世の私はどこぞのお金持ちに生まれたのか。
「……お嬢様。まだ着替えていらっしゃらないのですね。モタモタしていては朝食を口にできませんよ」
メイドさんは私のネグリジェ姿(何度も言うけど、私が現在着ているのはまさかのネグリジェ。どうにも動きにくいんだよね)に視線を落とし、微動だにしなかった表情をわずかに歪めた。
「私は他に雑事がございますので、これで失礼いたします。表に通学用の車を用意してあります。いつもの時間内にお乗りください」
義務的にそれだけ言い残し去ってゆこうとする彼女。待ったをかけようとして発声しかけたところ、私の腹の虫が盛大に鳴いた。
ぎゅるる~ぅと。
うわぁ、恥ずかしい。これは恥ずかしい。一体メイドさんになんて思われてるのかと恐る恐る俯いていた顔を上げたが、すでに彼女は去った後だった。
……なんか、うん。どこまでも義務的なんだね。きっと私が屁を放いたってああやって華麗にスルーしてゆくのだろう。しかしそれは優しさに見せかけた非常に残酷な行為だ。せめて笑い飛ばしてくれたならまだしも、何も言われないとなると心の中ではどう思われているのだろうかと様々に邪推してしまう。お願いだから何か反応してってくれよ、メイドさん。
それにしても朝からお腹が鳴るなんて余程空腹なんだなとどこか他人事に思いながらも、壁に掛けられていた制服に袖を通し、身支度を整えて部屋を出る。
想像通り奢侈な廊下にわなないたけど、とりあえず朝食が用意されているだろう場所を目指した。腹が減っては戦はできぬ。今はこの空きっ腹を満たすことの方が先決だ、すべての話はそこからである。
通り掛かる使用人さんたちからおかしな目で見られつつ、「どこでご飯食べればいいの?」なんて今更聞けないがためにひたすら勘を頼りに彷徨った。それにしても使用人さん多いなあ。どんだけ裕福なんだよこの家。
最終的にウロウロしていたところにちょうど美味しそうな匂いがやって来てくれたので、それを辿ることで無事に朝食にはありつけた。めちゃくちゃうまかったよ。前世で一生食べることはないだろうと思ってた高級そうなお膳だった。というより、高級なのだろう。墓に入るまでこの味忘れることなかれ。
「ああ、お嬢様! 何を呑気に……。もうすぐ時間になりますぞ、早くお車に!」
朝食の余韻に浸っていれば、切羽詰まった様子のおじさんが現れた。走ってきたのか肩で息をしている。
バスの運転手のような制帽を被っているため、この人が私を学校まで送り届けてくれるドライバーの方なのだろう。流石は金持ち。
そうか、もうそんな時間なのか。ゆっくりしている場合じゃないな。
「すみません」
首だけを使ってペコリと謝ると、運転手さんは驚いたように瞠目する。え、何故に?
「と、とにかく、早く行きましょう」
そのまま運転手に連れられ、学校とは思えないこれまたきらびやかな建物の門前まで送ってもらった。
さてこれからどうするかと見上げた先。
そこで待ち受けていたのは、生徒たちからのあられもない敵意だった。
いや、訳が分からん。
タイトルとか考えるの、極端に苦手です……。
初投稿ですのでどうぞお手柔らかに。