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ダブルフェイスハンター  作者: 長野 雪
第14話.そして最後の鐘が鳴る
68/75

2.守る苦悩、攻める暗躍

 眼下には、広い中庭が広がっていた。

 いつもはあまり人の来ない、遭い引きスポットだということを先輩から聞いていたのだが、今は式典の準備が着々と進み、人が絶え間なく行き来している。

 彼女は城の屋上からそれを見つめていた。何を思うのか、顔の上半分を覆う白い仮面は、彼女の表情すら覆い隠している。

 ときおり吹き上げる風が、彼女の黒髪のおさげをくくる、白いリボンをゆらゆらと泳がせていた。


「―――シーア?」

「は、ハイ!」


 名前を呼ばれたことに驚いた彼女が、きょろきょろと見まわすと、ちょうど屋上に出て来た国主ティタニエの姿を見つけた。

 その後ろには二つの人影が控えている。

 一人は近衛の制服に身をまとい、帯刀している。シーアも何度か顔を合わせている、国主付きの近衛だった。

 そして、もう一人は、褐色の肌に、日に焼けたパサパサの金髪をきちんとまとめた、壮年男性であった。童顔ではあるのだが、右頬に大きく残る火傷の痕に凄味を漂わせている。この男こそ、英雄ティタニエの右腕、そして泣く子も黙る、この国の宰相であった。


「こんなところで他の人間に会うとは思わなかったな。……これは、本当にあの男のスパイだったのかな」

「そ、ソンなコト、ありまセン、てぃたにえサマ」


 深々と頭を下げるシーアは、あの社長の手先扱いされるのは少しイヤだった。顔を上げれば、その視線で殺さんばかりに睨みつける宰相の深緑の目がある。

 これはマズいと、この場を去ろうと口を開いたとき、


「式典の準備は滞りないようですね」


 シーアに向けて、宰相の方から言葉をかけた。


「あ、ハイ。トクにモンダイもナイようデス」


 見たままを答えるが、その後に続く言葉もなく、ティタニエと宰相は中庭を見下ろしていた。

 シーアは、なんとなくこの場所を離れるタイミングを逃してしまい、そして、つい、してはいけない質問を口にした。


「あノ、えれーらサンにネラわれるコト、しタのでスカ?」


 宰相がギロリとシーアを睨みつけた。


「シーア。お前はもう戻りなさい」


 ダイヤモンドほどに硬い声音に、シーアはしまった、と身体を縮めた。


「スみまセンでシタ。ソレではシツレイします―――」


 ぺこり、と頭を下げたシーアに、何を思ったかティタニエが声をかけた。


「シーア。国を急速にここまで変えるのに、手が汚れないことはない。まして、あの大地震からの復興ともなれば、なおさら」

「ダイジシン、でスカ?」


 シーアは、ここに来る直前、ウォリス警視正から叩き込まれたこの国の歴史を思い出した。


―――三十年前、王制の名残で、貴族と軍部とが()くことなく内戦を続けていた中、救世主のように現れ、この国を共和制へ引っ張っていったのは、他ならぬティタニエとそのブレインであった現宰相である。

 ティタニエは国の隅々まで法の網を行き渡らせ、次々と古い体系を解体し、新時代を築き上げた。

 その事業がようやく軌道に乗り始めた数年前、国の北西部を大地震が襲った。山は崩れ、畑は割れ、川の流れも変わり、運河が干上がった。だが、そこからも恐るべき手腕で、復興のための増税を行うこともなく、北西部を立ち直らせた。それを、宰相の天才的な手腕と誰もが誉めたたえたが、疑惑が残らなかったわけではなかった。巧妙に隠され、ごまかされてはいたが、そこにとてつもない大金が投入されていたのである。


 話を止めようとする宰相に、ティタニエは小さく首を横に振った。


「シーア。お前なら、どう思う? エレーラに助けられたことのあるお前は……?」


 一瞬だけ、やるせない表情を見せたティタニエに、シーアは何と答えたものか困惑した。

 ちらりと宰相の顔をうかがえば、どうにも彼女をスパイ扱いしているフシがあり、冷たい眼差しを向けられた。

 後ろに控えている近衛は――こんな話を口に出すからには信頼しているのだろう――まるで何も聞いていないかのように振舞っている。


「てぃたにえサマ。ワタシのムラでは、ショクリョウにするタメに、カリをしマス。くにーぎ、とイう、シカにヨくニたドウブツをネラって」


 シーアは、近衛と宰相の存在をできるだけ無視して、まっすぐにティタニエを見つめた。


「ショクリョウにするタメ、くにーぎをコロすのはシカタないデス。エ…と、ジャクニクキョウショク、でスカラ。―――デも、くにーぎニモ、フクシュウのケンリはアルとオモいまス」

「それは、かつて私が踏みつけた者の復讐を遂げさせろ、ということか?」

「イエ、モチロン、フクシュウを、フセぐケンリもアると、……オモいまス」


 まっすぐに、自分を見つめるシーアに、ティタニエは笑みを返した。


「つまりは、国を守るために、鹿から身を守れ、と。―――ちなみに、シーアならどうする? どうやって鹿の復讐を防ぐつもりだ?」


 その質問に対するシーアの答えは、まるで既に決められていることのようにするり、と口をついて出た。


「シカが、クるマエに、フクシュウをトげレバ。……ムリにアバかれるマエに」


 シーアは、怪盗エレーラ・ド・シンが予告状を送る意味を知っていた。

 単なる派手好きだと、アンダースン警部あたりには言われているようだが、あれは、エレーラからの最後通告。エレーラに盗みを働かれる前に、全てを白日の元にさらしてしまえば、エレーラの行動は意味を失う。だが、これまで彼女の狙ったターゲットの誰もが、その選択肢を選ばなかった。


「なるほど、自分から懺悔してしまえと。……それは、なんとも乱暴な手段だな」


 ティタニエは、どこか無表情に遠くを見つめ、やがて、くるりとシーアに背中を向けた。

 屋内へ戻るティタニエに、近衛と宰相が後ろにつく。


「来なくてよい」


 ティタニエの拒絶に、宰相は足を止めた。近衛はさすがに一人にするわけにはいかないと、強引に後ろに付き従った。


「……オコらせテ、しマイまシタ」


 ぽつり、とシーアが呟く。


「いいえ、いつものことです。あの人は、いつもああして多くの人の意見を聞き、その上で決断しますから。―――むしろ率直な意見に感謝していることでしょう」


 フォローに回った宰相を、シーアはまじまじと見つめた。ティタニエと同じぐらいの年齢なのだろうが、白髪も少なく、童顔の国主と、宰相の顔の醜い火傷痕に、ちぐはぐな印象さえ受ける。だが、彼が正真正銘、ティタニエと共に国を改革したブレインなのだ。


「ウラヤましいデス。てぃたにえサマのコトをリカイなさッテいるのでスネ」


 その言葉に、宰相は初めてシーアに向けて柔らかい表情を浮かべた。


「ティタニエがあなたを側に置く理由が分かりますね。あなたは本当に素直だ」


 誉め言葉に恐縮したシーアだったが、その直後に「あ」と声を上げた。


「どうしました?」

「キュウケイジカンがオわってシマいまシタ! モウしワケありまセン。シツレイイタします!」


 ぺこり、と頭を下げ、シーアはパタパタと宰相に背を向けて走り去って行った。


「あれがスパイだとしたら、恐いぐらいに優秀かもしれませんね」


 もし、カタコトの言葉遣いで油断させ、純真な人間と思わせているのだとしたら―――


「彼女と、彼女を操る人間に勝つには、わたしは腹を据えてかからねばならないでしょうね」



 ◇  ◆  ◇



 そこは、灯り一つない、真っ暗な部屋だった。

 部屋から出れば、きっと月に照らされ、もう少し明るいに違いなかったが、彼女はそれを選択しなかった。


(リジィちゃん……)


 彼女――ディアナは長くため息をついた。

 思うのは、かつて共に旅をした、従兄弟でもある弟のことだけだ。


(お願いだから、無事でいて)


 ひとりにしないで。置いて行かないで。

 もう、あんな思いはイヤだから。

 ディアナは、いつの間にか自分の頬が濡れていることに気付いた。

 暗い部屋、誰にも見られることはない。そうは知っていても、無意識にそれを拭う。


(ランクAの賞金首が、こんなことで弱気になってどうするの!)


 自分のほっぺを軽くつまみ、そのままぐに、とひねった。


―――今夜、すべての予告状がばら撒かれる手筈になっている。


(計画が動き出している以上、あたしはそれを無視して動いちゃいけない)


 すぅ、っと深呼吸をして、何とか気分を落ち着かせる。


(これで、最後)


 アイヴァンを使って金儲けをした人間、彼らに自分のしたことを分からせるのだ。そのために、ただガムシャラに走ってきた。


(大丈夫。アニキも兄さんも、お姉ちゃんも、ダファーだって、協力してくれてる)


―――だから、きっとリジィちゃんは無事に戻ってくる。


 吐息だけで「大丈夫」と繰り返すと、ディアナは再びベッドに横になった。


 一方その頃、むやみやたらと心配されていた弟は、痛む身体に目を覚ました。


「……ん」


 身体を動かそうとして、自分が縄でぐるぐると縛られていることに気付く。


(そういえば……)


 リジィはゆっくりと記憶を掘り起こした。


―――昨晩、仲間を助けにやってきたレジスタンス『スレッジハンマー』に、「エレーラの手先かもしれねぇ」と無理矢理連れて行かれ、このアジトへ来た。

 その後、イスに縛りつけられ、延々と尋問が続いた。途中、気を失ったフリをして、休憩をとってはみたが、彼らは人をサンドバッグのように殴ったり蹴ったりして、叩き起こそうとするのだ。


(その後、ほんとに寝ちゃったんだな)


 これだったら、国主の所の方が待遇は良かったなーと思うリジィ。

 暗い部屋に目が慣れてくると、中の様子が見えてきた。

 少し離れたところに、テーブルが見える。その上に何枚かの紙が散乱していた。


(あれが、相談していた『計画』だよな)


 スレッジハンマーは式典の会場に火薬をしかけ、騒ぎに乗じてティタニエ以下、国の要人を潰そうと計画していた。まさに、過激派のすることである。話を盗み聞きした限りでは、彼のバックには大物(元)貴族がいるらしいが、ここまで共和制が確立されているのに、今更ティタニエを殺してどうなるというのだろうか。


(いや、逆か)


 ティタニエや宰相など、国の中心人物さえ殺してしまえば、この国はその成長を止めることになる。一刻も早く、共和制を止め、王制復古へと行きたいところなのだろう。


「……起きたみたいですね」


 部屋の隅から聞こえてきた声に、リジィはぎょっと身をすくませた。まさか、こんな夜中に見張りがついているのか―――?


「まったく、あんな小物にリンチされるなんて、わたしがディアナさんに怒られるじゃないですか」


 闇から姿を見せたのは、いつもと変わらぬ微笑を浮かべたダファーだった。いたって普通の服を来ている彼は、夜に忍んできたことを感じさせない。


「かえって迷惑かけることになっちゃったみたいだ」

「謝るのは相手が違いますよ」


 目の前に立つダファーは、縄を解くこともせずに、リジィを見下ろした。


「今夜は予告状を置きに来ただけですから、助けではありません」

「机の上は見た? たぶん火薬の配置が書かれていると思うけど」

「もちろん、全て書き写しました。他には何か聞きましたか?」

「元貴族が後押ししてるみたいだけど、向こうも賢くてね、証拠になるような物は、ここに残していないみたいだ」

「貴族に会っている人間は?」

「リーダーが、その貴族の御用商人と会ってる。商人の名前はダリエ。西地区でレース編みを扱っているようだけど」

「そうですね。それは予測通りです。これから寄ることにしましょう」


 懐から取り出した紙に、ダファーがメモをする。


「明日の夜、エレーラがここに出ます」

「あぁ、じゃぁ、その時に―――」

「いいえ」


 助けてもらえるのか、という続きを、ダファーはあっさり遮った。


「ここに出るエレーラは、リジィさん、あなたです」

「は?」


 間の抜けた声を出したリジィの後ろに回ったダファーは、縛られたままのリジィの手首に何かをくくりつけた。


「時間になったら、わたしが煙幕で霍乱します。その間に、これで縄を切ってください。そこの天井裏に」


 ダファーはリジィの正面に戻り、部屋の一角を指差した。


「エレーラの衣装を置いておきますので。あとは好き放題やってください」

「え、ちょっと……」

「わたしは煙幕を投げてすぐに、もう一方に向かいます。ここで全員を縄で縛り終えたら合図してください。合図に使う『花火』はエレーラの衣装と一緒に置いておきます」

「いや、だから―――」

「あぁ、できるだけ早くお願いしますね。あの人が指揮をとるとはいえ、ヤードも警戒するでしょうし」


 たたみかけるダファーの目が「全て決定事項です」と告げていた。


「やるしかないんだな」

「そうですね、頑張って名誉挽回してください。―――あぁ、もし明日の夜までに身の危険を感じましたら、遠慮なく逃げてくださいね。もしものことがあれば、わたしは五体満足ではいられませんから」

(名誉挽回の後に、そのセリフは……)


―――失敗するな。でも死ぬな。


(どうしろって?)

「それでは、また明日の夜に」


 ダファーは最後まで微笑を崩さないまま、再び闇に消えた。

 これだけ話していて、よくアジトの人間に気付かれないものだ、と思ったリジィの鼻を、微かに甘い匂いがかすめた。

 匂いの元は、ドアの向こうの部屋だった。


(……一服、盛ったんだ)


 げんなりとリジィはため息をついた。このまま洩れてくる香りを嗅いでいれば、五分と経たずに夢の中へ行くことだろう。


(急いで説明したのは、このせいか)


 妙に納得しながら、リジィはゆっくりと甘い香りに身を任せた。



 ◇  ◆  ◇



 その朝、ヤードの仮・セゲド支部は、それこそ天地がひっくり返ったような勢いで騒がしかった。

 セゲドに一番近い支部ヘイドンから、この仮支部に引越しして数日、忙しくない日はなかったが、ここまで慌ただしい日もなかった。


「式典当日、読み通りですね」

「そうじゃのう」


 フロアの一角、衝立で区切られただけの粗末なスペースに、テーブルを挟んで二人の警部が座っていた。

 片方は栗色のさらさらヘアーにはしばみ色のくりくりした瞳の、可愛らしい若い男。キャリア組の有望株であるピエモフ警部だ。その水面下の努力量に、同僚からはスワンとあだ名されている。

 もう片方は無精ヒゲにいかつい顔の、うだつの上がらなそうな中年の男。怪盗エレーラを追いつづけるアンダースン警部だった。


「とりあえず、警備にはヤードも参加できますが、これではハンターや私設の警備会社と同じ扱いですね」

「警備会社はえぇんじゃ。上で協定はなっておるからのう。問題は、ハンターじゃけぇの」


 二人は式典の行われる城中庭の見取り図を眺め、あーでもない、こーでもない、と意見を交わす。


「……ここにいたのか」


 そこへやってきたのは、眼鏡をかけた銀髪の男だった。いかにも神経質そうな、デスクワーク向きの印象を受けるが、実はエレーラと互角に渡り合えるほどの腕前の持ち主である。

 彼の着ている濃紺の制服に飾られた階級章が、彼が警視正であることを示していた。


「ウォリス警視正。何か―――」


 問いかけるスワンとは対照的に、アンダースン警部はウォリスの右手にあるそれを凝視していた。


「今朝、わたしの机に置いてあったものだ」


 それが何であるかを二人に分からせるように、ウォリスはそれを表にして、机に置いた。鈍く光る銀色のカードには、かぼちゃの馬車の絵柄が彫り込まれている。


「ピエモフ警部、めくってみろ」

「あ、はい」


 ウォリスに促され、スワンがカードをパタンと裏返しにする。


『式典の前祝いに、今夜二箇所で花火を打ち上げます。

 小さな花火かもしれないけど、ちゃんと見てね♪

       エレーラ・ド・シン』


 丸っこい文字で彫られたメッセージに、アンダースンは眉間にしわを寄せた。


「前祝い、これは、国主と同様の罪状でしょうか」


 スワンの口にした予測に、ウォリスは首を横に振った。


「いや、レジスタンスだろう」


 二つに割れた意見に、沈黙を守っていたアンダースンは重々しく口を開いた。


「国主の信用を失墜させる前に、内乱の芽を摘む、ちゅうことなんじゃいのう」


 二対一で敗北したスワンは、自分の出した推論への未練を断ち切り、あっさり思考を切り替えた。


「確かに、現状で過激派と思われるレジスタンスは二つあります。ですが、『スレッジハンマー』はともかく、『郷里党』は既に中央体制への進出を果たし、問題ないかと―――」

「そうだな。確かに郷里党は融和した。スレッジハンマーは王制復古を掲げるレジスタンスだから融和の道はない。……だが、スレッジハンマーのアジトが一つとも限らないだろう」


 ウォリスは淡々と言い放った。こういう時の口調の冷たさが、彼の下についた人間を、早々に逃げ出させる所以なのだろう。そうスワンが納得する。


「どっちにしろ、アジトの位置がわからんでは、打つ手も」

「こちらの手間が省けるだけだ。ターゲットは捨て置け」


 ばっさりと切り捨て、ウォリスは言葉を連ねた。


「今夜、すぐにヤードが駆けつけられるような体勢を整えよう。事前にエレーラを捕らえる最後のチャンスだ」

「は、はい!」


 スワンが勢いよく返事をする。


「アンダースン警部、城と公邸の警備はどうなっている?」

「交代制で、常に監視は続けておりますが」

「騒ぎの隙を狙って、侵入者が出る可能性もある。アンダースン警部の言う『ツタ』がな」

「エレーラの協力者ですな。その辺りは警備役に徹底しておきましょう」


 当意即妙のアンダースンの言葉に、ウォリスは満足したように頷いた。


「今夜が一つ目の正念場だ。キツいだろうが、頑張ってもらいたい」

「はっ」「はい」


 ウォリスは激励に対する二人の返事を聞くと、彼らに背を向け、自分の席に戻った。


「……なんたる茶番だ」


 二人に渡したあのカードは、数日前からウォリスの手元にあったものだ。

 ディアナのためとは言え、マックスの計画に乗らざるを得ない自分に腹が立つ。


(元々、あいつの計画自体が、わたしを勘定に入れているのが気にくわん)


 ひとしきり、マックスに対する毒を心の中で吐き出すと、彼は深呼吸をして自分の仕事に戻った。

 手元にあるのは、式典の警備要員のリストである。式典開催にあたり、国主の名で募集を行っていたのだが、既にハンターには「国主はエレーラのターゲットか」という情報が流れているらしく、ちらほらと職業欄に「ハンター」とあるのが見える。

 と、リストに目を通していたウォリスが、ある名前で視線を止めた。


(フェリオ・ドナーテル……?)


 聞き覚えのある名前に、しばし考え込み―――


バキッ


 思い当たったウォリスの右手が、持っていたペンを握り潰した。


(ディアナを傷つけたあの若造か……っっ!)


 ウォリス自身は一度しか会ったことはなかったが、その詳細は師父の法要の際にディアナの口から聞いていた。ディアナ=エレーラを知ってなお、ディアナにコナかけているというが……。


「あ、あの、ウォリス警視正?」


 名前を呼ばれ、リストから顔を上げれば、脅えた顔のスワンがいた。


「どうした、ピエモフ警部」

「い、いえ、今夜の配置についてお話したかったのですけど……」


 彼の視線の先には、たった今、ウォリスが握り潰したペンがあった。


「あぁ、長く使っていたからな、もろくなっていたんだろう」


 ペンを置くと、スワンの差し出した配置図をざっと見た。頭の中にある『エレーラ出現地点』の情報と照らしあわせる。

 と、その付近にはヤードが配置されていなかった。

 改めて全体を確認してみると、メインストリートに沿って配置されている。路地の奥に隠れている、スレッジハンマーのアジト付近に来ないことも納得できた。


「機動力を高めるために、メインストリートに配置したか」

「は、はい」


 言い当てられたスワンは恐縮して答えた。


「……配置の説明のために時間をとっておきたいのは分かるが、スレッジハンマーの情報を洗い直せ。メインストリートに配置するのは、足止め要員だけでいい」 「は、はい……」


 目に見えてしょぼん、と落ち込むスワンに、ウォリスはたいした慰めの言葉もかけず、自分の手にしていた「警備参加予定者リスト(一般)」をぺらり、と見せた。


「アンダースン警部なら、スレッジハンマーの情報を頭に叩き込んでおいた筈だから、ついでに伝言を頼めるか?」


 遠まわしにアンダースン警部を頼ってもよい、と言われたスワンがほっとしたように顔を上げた。


「宰相か国主か、他の人間の意向かは知らないが、こいつは警備に参加させるなというお達しだ。アンダースンも喜ぶだろう」


―――実際は、動きやすく、かつ怪しまれないために、と本人から頼まれたことだった。


「ダファー・コンヴェルさんですか。分かりました。お伝えします。では、自分はこれで」


 自分に背中を見せるスワンをひとしきり見送ると、ウォリスは再びリストに目を落とした。

 ヤード以外の一般警備要員の中には、サミーの門下生の名前もちらほらと見えた。と、サミーの妻がこちらに来ていることを思い出し、門下生の腕前を聞こうとウォリスは立ちあがった。


「ザナクト巡査はいるか?」



 ◇  ◆  ◇



からからからから……


 日当たりのよい、長い廊下を、ワゴンを押していたのは、黒髪のおさげに白いリボンをつけた、サーモンピンクのメイド服の女性だった。その顔こそ、上半分が仮面で覆われていて、第一印象は最悪だったけれど、彼女を知る大半の人間は、それほど気にしなくなっていた。


「ドウも、ナカにイラっしゃいまスカ?」


 扉の前に立っていた衛士に会釈をすると「いらっしゃいます」と穏やかな返事が返ってきた。

 彼女はそこで、ワゴンの上に乗ったティーポットとティーカップ、ティースプーンを指差して点検して頷いた。その一生懸命な様子を、衛士が微笑ましく見守っていた。

 ゆっくりと右手をあげ、ノックしようと拳を握る。


「だいたい、そういう人情に任せた判断ほど、危険なものはないのですよ!」


 中から聞こえてきた怒鳴り声に、彼女は小さくのけぞった。

 救いを求めるように衛士を見ると「さっきからこうです」という答えが返ってきた。

 深呼吸をして、今度こそノックをする。


「誰ですか?」


 中から聞こえてきたのは先程の怒声と同じ声だった。


「シーアンドリロンです。おチャをおモちイタしまシタ」

「入りなさい」


 まだ尖ったままのその声に、シーアはゆっくりとドアを開けた。小さなテーブルを挟んで激論を交わしているのは、この国のトップとナンバー2である。


からからからから……


 ワゴンをテーブルの隣につけ、お茶を、とぽとぽと淹れる。その間、二人はピタリと口を閉ざしていた。

 やりにくさを感じながら、シーアは粗相のないように気をつけ、「シツレイしマス」と二人の前にティーカップを差し出した。

 こういうときは、逃げるに限る、とシーアがワゴンと共に退室しようとくるりと背を向ける。


「「シーア」」


 二人に同時に名前を呼ばれ、「は、ハイっ!」と返事をするシーアの声も裏返った。

 目の前には国主と宰相。そして、何くわぬ顔で、控えていた近衛がワゴンをドア近くまで引っ張っていった。


「ちょうどシーアに聞きたいことがあったんだ。いやぁ、丁度いいときに来てくれてよかった」


 先に口を開いたのは国主ティタニエの方だった。今朝、ヒゲの手入れがなかなか上手くいかなくてイラついていたようだが、それを微塵も感じさせないほどの、朗らかな顔つきである。どうやら、散々宰相に責め立てられていたところに、シーアが来たようだった。


「シーアの素性調査報告書が届きまして、あぁ、推薦してくださった警視正には悪いのですが、独自に調査させていただきました」


 見れば、テーブルの上には書類が広がっている。これがその報告書なのであろう。


「ソレは、すぱいノ、ギワクでスカ?」


 手持ち無沙汰な手をぎゅっと握りしめ、シーアは宰相に向き直った。


「場合によってはそういうことになりますね。あなたや、警視正から聞いた経歴と、報告書に異なる点が見られるものですから」


 宰相の厳しい目つきに、シーアは拳をぎゅっと硬く握った。ここで疑惑を晴らさなければ、ウォリス警視正にも迷惑がかかる。それは避けなければ。

 それを見て困ったように「そんなに構えなくてもいいよ」とティタニエが声をかけた。だが、その隣では、宰相が近衛に目配せをして、たった一つしかないのドアの前に立たせた。逃げ道を封じるためであろう。


「ソレで、ナニにコタえレバ、ヨいのでスカ?」


 シーアがティタニエと宰相を交互に見ると、宰相がちらりとテーブルの上の報告書に目を落とし、口を開いた。


「報告書によると、シーアはコクサイという奴隷商人の元から解放された後、カスタリア高地にある自分の部族の村に戻っています。だが、あなたはいつの間にか、正義新聞に事務として雇われていました。これについて、説明をしていただきたい」


 宰相の詰問に、シーアは驚いたように目を見開き、ついで、パチパチと拍手をした。


「スゴいデス。ソコまでシラべられるモノなのでスネ。ムラはブガイシャをキラっていマスのニ」

「シーア。速やかに答えてください。あまり別なことを話すと、言い訳を考える時間稼ぎだと、みなします」


 あくまで厳しい宰相の態度に、シーアは「ワかりまシタ」と答えた。


「タシかにイチド、ムラへカエりまシタ。デスが、ムラのミンナは、スガオをミらレタかもしれナイ、とイいまシタ。あのムラにイても、ケッコンアイテもナイまま、ソウ、オモいまシタ」


―――未婚女性は素顔を見られてはいけない。それは、夫となる男が初めて見ることができる神聖なものだから。


「カイホウされたアト、シャチョさんから、シュザイさレタことヲ、オモいダしテ、ナンとか、シュッチョウジョをミつケテ、ヤトってモラいまシタ」


 拳を握りしめたまま、シーアは「コレで、ジュウブンでショウか?」と尋ねた。


「私は充分だと思うけど、……どうなんだ?」


 ティタニエの言葉に、宰相はしばらく考え込む姿勢を見せる。


「まぁ、筋は通っていますね。……参考までに、正義新聞の社長と合流した場所はどこなのでしょう」

「エと、ちあい、というムラでシタ」

「……ふむ、リルアタの隣ですね。確かに、計算は合います」


 依然として厳しい眼差しを向ける宰相に、とうとう国主がキレた。


「もういいだろう。シーア、もう下がってよい。イヤなことを話させてしまったな」

「イエ、コヨウヌシとして、トウゼンのコトだとオモいマス。キにナサらなイデ、クダさい」


 気丈にもまっすぐな視線で二人を見つめ、「シツレイしマス」と扉に向かうシーアを、ティタニエは黙って見つめていた。

 彼女が出て行った後、ティタニエは、じっとりと汗ばんだ自分の手を見つめた。


「もうシーアについては問題ないだろう。……隣で聞いてるこっちが泣きそうだ」

「ティタニエがそうおっしゃるなら、これで詮索は終わりにしますよ」


 宰相は報告書を一つにまとめると、一礼をしてティタニエに背を向けた。

 ドアを開けかけた宰相に、ティタニエから声がとんだ。


「イヤな役をやらせてしまった。すまない」


 宰相は「その言葉だけで充分です」と扉を開けた。

 彼は、そこで廊下に立っていた衛士が妙な顔をしているのに気付いた。


「なにかありましたか?」

「いえ、大したことではないのですが」


 小さく言葉を返した衛士が指差す先を見ると、廊下の先でワゴンにもたれて、しゃがみ込んでいるメイド服の女性がいた。黒髪の三つ編みに白いリボン。白い仮面こそ見えないものの、シーアであろう。

 宰相は少し歩を早め、シーアに近付いた。


「どうしたのです。何か―――」


 そこまで言葉を紡ぎ、彼女の背中が震えていることに気付く。


「あ、サイショウサマ。スミまセン。ナンでもナイでスカラ」


 立ちあがったシーアは、気分も悪そうにうつむき加減に答えた。

 嘘をつき続けたことによる、緊張疲れかと邪推した宰相に、彼女は力なく微笑んで見せた。


「ナサけないハナシでス。ムラのコトをオモいダすと、いツモ、ムネがぎゅっトなりマス」


 胸を押さえる手も、微かに震えているのを見つけた宰相は、ぐ、と言葉に詰まる。


―――それまで住んでいた世界から引きずり出され、どうにか戻った時には、その世界は自分を拒んでいた。いったいどんな気分だろう。

 そこまで考えて、慌てて宰相は自分の位置付けを思い出した。国主が寛容さを見せるなら、宰相たる自分はどこまでも厳しく、憎まれ役でいなくてはならない。


「別に、あれが真実だと信じたわけではありませんから」

「ハイ、ソレでもカイコしナイ、てぃたにえサマに、カンシャしていマス」


 シーアは、ぺこり、と一礼をして、ゆっくりとワゴンを押して行った。


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