2.準備には口先ひとつで
『ガイア祭のシンボルであるギルヴィア像を頂きに参ります。
―――怪盗エレーラ・ド・シン』
「姉さん、はぐれないで」
「そうは言ってもぉ~……」
広い筈の大通りには所狭しと露店が並び、人もごったがえしてぎゅうぎゅう唸っている。そんな中をよく似た顔立ちの二人がはぐれないように気をつけながら進んでいた。
「ほら、手、つなごう」
「うんっ!」
両側から聞こえる呼びこみの声、誰かと誰かの話し声、喧騒の中には楽しさがある。
「こんな時でなければぁ、ちゃんと見物したかったのにぃ……」
ここガイウスで行われる祭は、広く有名なわけではないが、近辺の町から人が集まってくるぐらいには名が知れている。
元々荒地であったこの地を拓いた聖女ギルヴィアを祀るガイア祭は、2年に一度、この日に行われるもので、今回、エレーラは祭の期間中にしか公開されない聖女ギルヴィア像を奪う、ということになっている。
(まったく、冗談じゃないわよぉっ!)
ホンモノであるディアナが腹を立てるのも無理はない。
自分が名を売り始めた頃に乱発したカタリはことごとくとっちめてきた。それなのに、こんな場所でまだニセモノが出るとは。
(人の仕事増やしてくれんじゃないわよ)
心の中で素に戻りつつ、ずかずかと歩く。手をつないだ先には何も知らない弟が同じように歩いていた。向かう先は予告状の届けられた祭本部である。
「姉さん、あれかな」
弟の指差す先には、聖女ギルヴィアをかたどった噴水と、とものものしい濃紺の制服の群れがあった。その先に祭本部があるのだろう。
「そうみたいねぇ~」
ヤードにおけるエレーラ対策の要、アンダースン警部は今回、駆け付けられる場所にいないことは調査済みだ。あとは、ここにいるヤードの頭が『適度に無能』であることを願うばかりだが。
「すいません、ガイア祭本部ってここでよろしいですか?」
リジィが手近なヤードに声をかけた。相手は無遠慮にリジィを見つめた。
「そこのテントだ」
こちらを祭の見物客とは思わなかったのだろう、不機嫌そうな目で答え、すぐさま仕事に戻る。
(ま、こんなもんよね。ヤードの対応なんて)
ディアナは軽く肩をすくめて指差されたテントの方へ歩き出した。
「すいませぇん。今夜の警備に参加したいんですけど~」
その声に、くるりと振り向いたのは三十路ぐらいの男性と、彼と話していたとても見覚えある人物だった。
(げっ)
なんであんたがここに、という心の声を喉元でぐっと抑え込むと、ディアナは無視を決め込んだ。
「もしや、あなたもハンターの方ですか?」
近付いて来たのはそいつと話していた男だ。
「私はこの祭の実行委員長でテラ・ドンチャと言います」
ドンチャは明らかにリジィに向かって話しかけた。どうやら、いつも通りのふわふわひらひらの格好をしているディアナは遺失物係にでも用があると思われているらしい。
ディアナは落ちつき払って、カバンからハンター証を取り出した。この格好をし始めてからはよくある間違いなので、たいして気にも止めない。むしろこんな格好をしている自分が一般のハンター像からかけ離れていることがいけないのだし。
「え……、あなたもハンターなんですか? しかもランクB……」
呆然とドンチャはディアナを見つめた。その表情が「信じられない」と語っている。
「失礼しました。先ほどもハンターの方から警備に雇って欲しいというお願いがあったんですが、残念ながら今、祭の実行委員の方で自由に使えるお金の余裕はないんです。申し訳ありませんが―――」
「構いませんよぉ?」
お引取り願えますか、という続く言葉を、ディアナはあっさり打ち消す。
「は?」
見れば向こうにいるハンター=フェリオも驚いた顔でこちらを見ていた。隣のリジィは少しばかり渋い顔をしている。
どうやら居合わせた中でディアナの言葉の意味を正しく受け取れたのは弟である彼だけのようだった。
「ですからぁ、それで構いませんよぉ~」
あっけにとられたドンチャは彼女の邪気のない微笑みに一瞬だけ我を忘れた。
「雇うということではなくてぇ、警備の許可をください~」
にこにこと言葉を続けるディアナに、「マジかよ」というフェリオの顔。
「元々、警備に無理に雇ってもらいたいのではなくてぇ、外にいるヤードの人に追い払われないためにぃ、こうして伺ったわけですから~」
「そ、それは、ボランティア、のような扱いで構わないんでしょうか?」
「はいぃ~。ヤードの方達にはそれで十分かとぉ……」
「で、ですが、ハンターの方にそんな―――」
「実行委員長の言う通りだ。そこのハンター」
いきなり会話に入ってきたのは、ヤードの制服に身を包んだ、四十代ぐらいの男性だった。油ぎった顔と、やたらと濃いもみあげが特徴的と言えば特徴的だ。
「えぇっとぉ~……」
ディアナはちらりと彼の腕章を確認する。
「警部補さんですかぁ? こちらの現場の指揮をとっていらっしゃるぅ?」
ほやほやとした言葉遣いに、苛立ちを隠そうともせず、その男は「そうだ」と答えた。
「私はメリダ。この事件は私が管理している。残念だが、私はハンターなど信用しないタチでね。早々にお引取り願おうか」
高圧的な態度を隠そうともせずに、自己紹介をするメリダ。地方によくいる「ヤードは偉いんだ」という思想をそのまま形にしたような人物だった。
「それはボランティアでもダメってことですかぁ~?」
「当たり前だ。ほれ、とっとと失せろ」
あまりな物言いにカチンとくるリジィを片手で抑え、ディアナはここぞとばかりに微笑んだ。
「でもぉ、ヤードの方にそこまでの命令権はありませんよねぇ?」
「ふん。何を言うかと思えば。……いいか、ヤードとハンターは使う者と使われる者の関係なんだ。同件において雇われたハンターはヤードの方針に従わなくてはならないと、法規にも」
「雇われたハンターは、ですよねぇ?」
ディアナは極上の笑みを浮かべた。
「……へ理屈をこねる気か、貴様は」
今までとは質の異なる低い声を出したメリダは真っ向からディアナを睨みつけた。
「いいえ~? ただ単に法規をきちんと覚えてるのはすごいなぁ、って思うだけですよぉ」
「―――何が言いたい」
「同じ法規のぉ、えぇっとぉ十七条とぉ、三十二条さえ守っていただければ~……」
十七条は、ヤードによる特定の職業に対する差別の禁止。三十二条はヤードとハンターは等しく賞金首を捕らえる上で協力しなければならない云々という法規である。
早い話が、
(とっととこっちの警備ぐらい認めろや)
と言っているというわけだ。
にこにこと今や凶悪な雰囲気さえ漂わせる笑みを浮かべて答えを待つふわふわフリフリのハンター。
指定された法規をちゃんと覚えているのか、苦々しい顔の警部補。
しばし睨みあった後で、先に折れたのは警部補だった。
「私たちの邪魔をしないのならば、どこへなりとも待機するがいい」
穏やかな結論が出た、と、ほぉっと胸を撫で下ろしたリジィの隣で、ディアナはなおも言葉を続けた。
「分かりましたぁ。それじゃぁ~、ヤードの警備体勢を教えてくださいますぅ?」
なっ!と目を大きく見開いたのはメリダだけではなかった。傍観していたリジィと実行委員長も驚きを隠せない。
「……んだとっ! 警備体勢まで教える必要など」
「『邪魔』って言う定義をぉ、ちゃんとして欲しいだけですよぉ? ヤードがいる場所すべてで邪魔扱いされたくありませんから~」
ぐっと言葉に詰まったメリダを見て、あぁ、図星だったのかとリジィが納得した。
(こんなヤードの人もいるもんだなぁ)
ヤードの目の届くところ全てを『邪魔』と決められては確かに困る。だが、いくらハンターを毛嫌いしているとは言え相手が悪すぎた。
「……教えていただけますよねぇ?」
極上の微笑みにメリダはようやく負けを認めることとなった。
「準備は整ってるの?」
「はい。それは問題なく。あなたが警備体勢を教えてくれたおかげで、だいたいは」
「……ふぅん。それじゃぁ、あとは相手が出て来るのを待つだけね」
祭の喧騒の中、時間まで見物すると告げて出て来たディアナは、メインストリートから1本外れた道端の露店でその人物と話していた。
ディアナのフリルたっぷりのスカートは祭の見物客でごった返すここではあまり目立たない。
相手はゆったりとした服をまとった女性である。金色の髪は長く風にひるがえり、その艶めいた顔立ちはナンパの標的になること間違いなしだ。女性にしてはトーンの低いその声も、彼女の色気を引き立てる材料でしかない。
「それで、アタリはついたの?」
露店で買ったミックスジュースを片手に尋ねたのはディアナ。その声にはいつもののんびりとした響きは消え失せている。
「それらしい方々は、ね。まだ断定できないところが痛いですけど」
「一人でできそう?」
「後始末はお願いしたいですね」
「……ってことは、そのアタリは賞金首なの?」
「はい、あくまでアタリが正しければの話ですが。元々、このネタそのものが、その賞金首の目撃例ですから」
「そういえば、そこを聞き逃していたわね。なんで、ニセモノが出るって話になったのか」
ディアナの視線はまっすぐに向かいの女性を貫いた。
(情報があるんだったら、出しおしみはしないでよね)
その心のセリフが届いたのかどうか、彼女はにこり、と笑った。
「あの聖女の前で、事もあろうに呟いたらしいんですよ。―――自分がエレーラだったら盗んでやるのにって」
彼女の言葉に、一瞬、きょとんとした顔を見せたディアナは、
「それは、なんていうか、直球ね」
とだけ感想を洩らした。
「そうでしょう。だからこそ逆に信憑性が薄いと感じたんですけどね。残念ながら社長はそれを挑戦と受け取ったらしくて」
「そうね、あの人はニセモノを許せない。……あんな新聞出してるのにね」
「社長が言うには誰にでも分かるニセモノだったら問題ないみたいですよ。残念ながらわたしにはよく分かりませんが」
女性は笑みを浮かべると、「そろそろ行きます」と呟いた。
「そうね、こっちも戻らないと。でも、とりあえず教えてくれてもいいんじゃない? アタリの正体を」
ディアナの問いに女性は困ったような笑みを浮かべた。
「―――『桂』という集団をご存知ですか」
「盗賊団か何かだったかしら、聞いた気もするけど」
「その頭領が代変わりしたらしいんですよ。しかも、前の頭領の愛娘に」
それだけ言い残すと、彼女は席を立ち、ディアナに背を向けて歩き出した。これで情報は打ち止めということらしい。
一人残されたディアナは、エレーラとしての自分に良く似せた彼女をしばし見送り―――
「なんだ、まだ結構見れるじゃない」
と呟いた。