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ダブルフェイスハンター  作者: 長野 雪
第3話.ニックネームはスワン
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6.挑発風味のアフターケア

「えぇい! くそいまいましい!」


 ヤードの一室で正義新聞を破り捨てる男がいた。見出しには『エレーラの目的は孤児院救済?』とある。孤児院に戻るや否や、正義新聞の雇われハンターから渡されたものだ。明朝に発行するものです、といつも通りの飄々とした顔で。よもや事件の発生直後にこんな紙面を渡されるとは。


(あんの雇われハンターめ! 事件が起こる前に原稿書きおったな!)


 夜も更け、ヤードにいるのは自分だけのような気もするが、もちろん別の部屋には他の事件担当の警官達が詰めていたりもするので、うかつに大声で怒鳴れない。

 先ほど書き終えた報告書にちらり、と目をやって、大きくため息をついた。


コンコン


 そんな一番情けない時間に限って、ノックの音が響いた。


「失礼します」


 入ってきたのはキャリアの新人だった。何をやってきたのか、髪がぐしゃぐしゃになっている。


「おう、まだ帰っとらんかったんか」

「はぁ、先輩方のヤケ酒に付き合わされてしまいまして」


 付き合わされた、という割には口調も足元もしっかりとしている。


「それと、こんな時間に、なんですが、警部に面会者が来ています」


 スワンが少し躊躇して「夜の貴婦人ですが」と付け加えた。

 その単語が何を意味するかを少し考えた警部が、はた、と気づいて、目の前の新人の育ちの良さを痛感する。


(娼婦なら娼婦と言わんかっ)


 ここで怒鳴るのも八つ当たりになってしまうので、ぐっとこらえるアンダースン。


「間に合ってると言って追い返して来い」

「ですが、この封筒の中を見ていただければ、必ず会うことになるから、と」


 スワンの目が「請求書ですか?」と如実に語っている。アンダースンはその疑惑を払拭すべく、封筒を受け取り、中身を彼にも見えるように取りだした。


「あれ、カードですね」


 スワンの言う通り、銀色のカードが灯りに照らされて光っていた。


「……その娼婦はどこじゃい」

「あ、第二面会室に通しましたけど」


 スワンが答えるが早いか、アンダースン警部は手にした封筒とカードを机に放り投げ、部屋を出ていった。


「……忘れ物、ではないのかな?」


 スワンが持ち上げた銀のカードにはかぼちゃの馬車が彫り込まれていた。






「あら、お待ちしていましたわ」


 貴婦人のように顔を隠すヴェールを身につけ、胸元の大きく開いたドレスを身にまとった女性は、面会室のイスに腰かけていた。レースの手袋が大きめのカバンを抱えている。


「よぉも、おめおめと、ここに来れたもんじゃいのぉ」


 アンダースンが扉にもたれかかった。その肩は大きく上下している。


「そんなに焦らなくても、逃げませんわよ? 自分でここまで来たんですもの」


 ふふふ……と悠然と微笑む女性はまるで娼婦そのものだ。


「わざわざ、何をしに来た、この盗人がーっ!」


 憤るアンダースン警部とは対照的に、エレーラの口元には笑みが浮かんでいる。


「もちろん、事件の事後処理のお願いに来ましたの」


 そう言うと、エレーラは手にしたカバンの中から書類の束を差し出した。


「あの宝石類の由来ですわ。残念ながら外側はいただきましたので、中身を証明するのは難しいんですの」


 アンダースンはエレーラの動きをうかがいつつ、書類に目を通す。


「……おんどれの予告状から期間があったのは、これのせいか?」

「あら、それはもっと前に調べていましたのよ。中身だけ一度お借りしましたから」

「無断でじゃろが、こんのボケがぁっ!」


 バンッと机をたたくアンダースンにエレーラは微笑だけで肯定した。


「それに、おんどれが到着する前に、『蔓』を使って予告状をよこしたんじゃろっ!」


 協力者がいることを言い当てた警部に、あら、とエレーラが初めて驚きを見せた。


「やだ、アンダースンさんったら、どうしてそんなに優秀なのかしら?」

「今度は『蔓』に香水付きで予告状をよこせと言っておけ!」


 怒鳴りつけ、ようやくアンダースンはエレーラの向かいに座った。


「なぁ、おんどれも世直し気分でやっとるんかもしれんが、れっきとした犯罪じゃろうが」


 諭すようにつぶやく警部にエレーラは肯定とも否定ともとれぬ笑みだけを浮かべる。


「こんなこと続けてても、結局はいつか終わりが来るんじゃい。そろそろ引き際でも考えて――――」

「おとなしく捕まれ、とおっしゃるのかしら?」

「あたりまえじゃい!」

「ありがとう。だからアンダースンさんが好きよ。死んだお父さんにそっくりなんだもの……」


 エレーラはアンダースンの右手にそっと手を添えた。アンダースンは内心、「もう一押しか?」と考える。


「―――それで、この書類。受け取っていただけるのかしら?」

「おんどれはっ! 人の話を聞いとるんかっ!」

「それはそれ。これはこれ。あんまり怒ると血圧上がるわよ?」


 アンダースンは自分の右手に乗った手を、左手でがっしと押さえた。


「残念じゃが、ワシはこういうのについては門外漢じゃ。悪いが、他の者に頼んでもらおうか?」

「いやん。掴まれてたら、他の人に頼めないじゃない。……扉の向こうのボクはどうかしら?」


 エレーラのセリフに、扉に張りついて盗み聞きをしていたスワンがびくっとした。


「アレクセイ・ピエモフくん。入っていらっしゃ~い」

「おんどれは、人の部下に色目を使うなっ!」


 スワンは自分の名前を呼ばれ、おそるおそる扉を開けた。


「失礼します」


 スワンが最初に目にしたのは、机の上でアンダースン警部が娼婦の手をがっしと両手で捕まえている光景だった。これがエレーラだと知っていなければ、慌てて回れ右をして帰るところだっただろう。


「あなたはどう? できるかしら?」


 エレーラが空いている右手で書類を差し出した。受け取ったスワンはざっとそれに目を通す。内容はあの神像に隠されていた宝石類の、詳しい鑑定書と言ってもさしつかえなかった。宝石の真贋、細工師の名前からその年代まで事細かに記されている。


「あなたの、お父様なら、ちゃんと分かってくれると思うのだけど……」


 言われて、スワンはぎょっとした。


(本当に、僕のことまで調べ上げているんだ)


 スワンの父はおもに上流階級に客を持つ宝石商である。本来ならとるにたらないヤードの警官まで下調べをしているエレーラに、スワンは印象を改めた。


「……分かりました。引き受けます。ただ―――」

「ただ?」

「ひとつだけ、交換条件があります」


 アンダースンは「おや?」という顔をした。この新人が、事件前より格段に成長したのか、それとも元々こうだったのか、どちらにしても、アンダースンの今まで受け持った新人にこれほど骨のある人間はいなかった。


「何かしら? ここで捕まれっていうのはナシにしていただける?」

「―――そこまで望むのは無理というものでしょう。自分は、ただ、あなたに聞きたいことがあるだけです」

「あら、正体かしら?」


 微笑むエレーラに「そんな無粋なことじゃありません」ときっぱりと断り、スワンは質問を口にした。


「あのとき、あなたは自分を誘導したんですか? ハンター二人がいる方へ、警官隊を連れていくように」


 エレーラが、その視線をスワンからアンダースン警部に移した。


「ねぇ、アンダースンさん。やっぱりキャリアってすごいわね」

「……」

「あなたは、ヤードにランクAハンターとランクBハンターの邪魔をさせるために、自分を誘導した。違いますか?」


 スワンがさらに言葉を重ねる。


「そう、あ・た・り」


 これだからハンターあがりもキャリアあがりも油断ならないのよね、と笑うエレーラ。ちなみに向かいのアンダースン警部はどちらでもなく、叩き上げだ。


「それじゃ、アンダースンさん。あたしの用はこれで済みましたので、帰らせていただきますね?」

「だ・れ・が! 帰すかこのアホんだらァ!」


 アンダースンは両手で捕まえた左手を逃すまいと、ぐっと力をこめた。


「焦っちゃ、イ・ヤ」


 エレーラの顔がアンダースン警部に近づき、その頬に軽くキスをする。


「~~~~!」


 ぼぼぼっ、と真っ赤になったアンダースンの手が緩んだその一瞬にエレーラの手が抜き取られた。

 そのまますっくと立ちあがったエレーラはスワンに迫り、これまた頬にキスをする。スワンは唖然としたまま、その甘い香りに気を取られてしまった。


「それじゃ、ね」


 バタン、と面会室のドアを閉め、エレーラは堂々と立ち去った。

 後には二人、呆然として動く気力もない様子だ。


「……警部」

「なんじゃい」

「エレーラって、いいオンナですね」


 日ごろは口にしない類の言葉が、先輩方に付き合わされたヤケ酒の名残が後押しして、するりと漏れ出た。

 その言葉に、アンダースンが肯いたかどうかは定かではない。

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