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百鬼天女  作者: 響かほり
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第六章




 ぽたりぽたりと、秀丸の頬を冷たい雫が伝い、秀丸は目を覚ました。

 薄暗い闇の中で目を凝らせば、次第に目が慣れて、其処が荒い岩肌に囲まれた洞窟のような場所だと秀丸は気付く。

 体を動かそうとすれば、身動きがとれず、体を見れば硬くしなる白い無数の糸が絡みついていた。糸は、蜘蛛の巣のように広がり、穴を塞ぐように結ばれる。



「気付いたか」



 変声を迎えた少年のような声がして、秀丸が視線を向ければ、糸の上を秀丸よりも少し年上の少年が歩いて近づいてくる。

 浅黒い肌に、金茶の髪。そして赤みを帯びた双眸。少年の捕食者のような眼を見て、秀丸は何故だか土蜘蛛を思い出す。



「…土…蜘蛛?」



 少年は秀丸を覗き込むと、忌々しげに舌打ちする。



「ちっ…あの鬼、余計な真似しやがって。あと少しで、おまえを仲間に変える事が出来たのに」

「…なんで、俺なんて仲間にしようとするんだ?同族がいるだろ」



 秀丸が問えば、途端に少年の表情は曇る。



「もう、一族はおれしかいない。人間に殺された…おまえも一人ぼっちだな」



 まるで他人事のようにつぶやいた少年に、秀丸は怒りが込み上げる。



「お前が村の奴も、じっちゃんも殺したんだろ」

「おまえは喜んでいたじゃないか。自分に冷たくした奴らが俺に喰われて、喜んだ」

「ちがうっ!喜んでなんていない!」



 尖った爪で、土蜘蛛は秀丸の頬を撫でる。



「喜んでたさ。おれは、ずっと小さな蜘蛛を介しておまえを見てた。その心が、おれの妖力と溶け合って、おまえの身体に広がり、美しい模様を作っていたじゃないか。おれのことを強く思って、蜘蛛になろうとしてた」



 まるで隠形と同じことを、喜ばしげに言う相手に、秀丸は必死で首を横に振る。



「だけど、おまえには老いぼれが居た。育ての親を、おまえは大事に思ってた。おまえが思うのはおれだけでないといけないのに」

「…そんな事の為に…じっちゃんを殺したのか?」

「ただ殺したってつまらない」



 楽しげに土蜘蛛は笑い、後ろに視線を向ければ、ゆらゆらと身体を揺らしながら、四本足の影が蜘蛛の糸の上を歩いて近付いて来る。

 近付くそれに目を凝らしてみれば、人間が四つん這いで歩いているのだと分かる。その人間の顔を見て、秀丸は息をのんだ。



「じ、じっちゃん」



 これまで長く、自分を大事に育ててくれた養父は、人にはあるまじき関節動作で這って来ると、ゆらゆらと立ち上がり、ニタリとわらう。その口の中から、無数の蜘蛛が溢れ出て、解ける様に消えていく。

 秀丸は、ぞっとした。



「この人間の言うことを、お前は聞く。大事だと思う。だから、身体を乗っ取って、お前の目の前でわざと殺してやった」

「な、なんてこと…するんだ」

「おれを憎めばおまえの心はおれだけになる。こいつが殺せと言えば、おまえはおれを殺すために心を狂気に歪ませる。事実、おれを思って、お前は妖になろうとしてくれた」



 血の気を失って、カタカタと震える秀丸を土蜘蛛は優しく撫でて、唇を寄せて重ねる。



「なのに、あの鬼が邪魔をした…あろうことか、おれの番いに触れた…また、呪をやり直さないといけなくなった」



 するすると天井から蜘蛛の糸に縛られた魑が降りてくる。



「魑っ!」



 猿轡代わりに、蜘蛛の糸が口に巻き付けられた魑は、じたばたともがきながら秀丸に何かを訴える。



「次は、おまえの前でこいつを殺してやる。そうしたら、おまえは本当に一人だな?」

「やめろっ!魑に手を出すなっ!そんなことしたら、お前を殺してやるっ!」



 理不尽な理由で養父は殺され、また理不尽な理由で、魑まで殺されるかもしれない。

 行き場のない怒りで、感情のままに叫んだ瞬間、秀丸の心臓が大きな音を立てた。

 そのまま、体の奥で熱が弾け、もぞもぞと何かが這い出す。



「そう。そうやって怒ればいい。おれを殺したいって、おれだけの事を考えればいい」



 堕ちて来いとばかりに、土蜘蛛は秀丸から手を離す。



「やめろっ!」



 長く伸びた肥厚な爪を舐め、土蜘蛛は魑に向けて腕を振り上げる。



「やだっ!助けて!魑を助けてっ!何でもするからっ!」

「その言葉、違えるでないぞ、秀丸」



 愉しげな声が耳元で聞こえた瞬間、目の前の魑が姿を消した。

 代わりに、魑を片腕で抱え、片手で刀を繰り土蜘蛛の爪をうけとめた隠形の姿があった。



「ちぃっ、また邪魔をするのか」

「生憎、秀丸は我の主となった。主を下種な蜘蛛になど変えられてはかなわぬ」

「いつまでも、その刀の中で眠ってれば良かったんだよ、ジジイがっ!」

「口のきき方を知らぬ童よな?躾が必要とみえる」



 隠形はそのまま鍔迫り合い、土蜘蛛を押し切って、片腕だけで土蜘蛛の体を弾き飛ばした。

 土蜘蛛はひらりと宙で回転し、洞窟の壁に足をついて着地する。



「金鬼、小さいのと秀丸を守れ」



 隠形は縛られたままの魑を無造作に投げ、それを近くまで登ってきた金蔵が受け止める。

 金蔵は魑に巻きついた糸を素手で引きちぎる間に、隠形は爪を構えて跳ねた土蜘蛛に向かって飛び込んでいく。

 隠形が土蜘蛛と剣戟を繰り広げる間に、金蔵は秀丸の元まで近付き、力任せに彼女の身体に巻きついた蜘蛛の糸を引きちぎって助けだした。



「大丈夫か秀丸?」



 身体の中を蠢くものに力を奪われ、ふらついてしゃがみ込んだ秀丸を金蔵が覗きこみ、魑は秀丸に縋りついて泣く。

 また身体に侵食する痣がジクジクと痛むが、秀丸は頷いて答える。



「ありがとう…でも、どうしてここに?」

「お節介な性格なんだよ。悪かったな。ほら、兄者が引きつけている間に、逃げるぞ」



 小声で金蔵はそう言って、秀丸を魑ごと抱き上げようとした。

 だが、秀丸はそれを拒んだ。

 徐々に左腕から身体をめぐり伸びる痣が、首を這いあがり、それを見た金蔵が眉根を寄せる。



「土蜘蛛に呪を解かせないと…俺が蜘蛛になる…そしたら、魑や金蔵殿たちを襲うかもしれない。隠形だけじゃ…たぶん勝てない」



 戦い慣れた動きをするのは隠形だが、速さだけなら圧倒的に土蜘蛛で、俊敏な攻撃に隠形の反撃と防御が少しずつずれ始めていた。



「…あの動きを封じないと…弓でもあれば…」



 フラフラと立ち上がる秀丸の身体を支えた金蔵は、自分の背に担いでいた布に包まれた長いものを下ろして、秀丸に差し出す。



「そんなら、これ使え。約束したお前だけの武器だ」



 布を外せば、姿を見せたのは三尺程度の、普通の大きさの弓。けれど、決定的に違うのは、かん。到底、しなるとは思えない金属で、しかも押付と手下が波紋を描いた鋭利な片刃になっていた。矢は見た目、ごく普通のものだった。

 手にとってみれば、それは羽根の様に軽く、弦を引けば干はしなやかな動きをする。

 秀丸は矢をつがえ、俊敏に動きまわる土蜘蛛に照準を絞る。

 苦痛で定まらなくなってきた視界と、震える腕で視点がぶれる。射る事が出来るのはたぶん一度だけ。

 秀丸は大きく息を吸い込み、ゆっくりと息を吐き、そのまま息を止めて土蜘蛛だけを見てその足を狙って矢を放った。

 同時に、秀丸身体がその場に崩れ落ちる。

 放たれた矢は、防戦一方の隠形に致命的な一撃を与えようとした土蜘蛛の右足を貫いた。

 刹那、獰猛な咆哮が洞窟の中に響き渡る。

 その人の身体はゆらゆらと霧を纏い、瞬く間に大きな蜘蛛の姿へと変じた。



「秀丸っ…おまえっ…!」



 爛々と瞳を血走らせ、怒り任せに跳躍し土蜘蛛は秀丸に突き進む。

 が、その体を、隠形の太刀が貫く。



「きさまぁぁぁぁぁっ!邪魔をするなぁぁぁぁーーーーっ!」



 隠形を振り払い、妖刀が刺さったまま、血を流してそれでも土蜘蛛はフラフラと秀丸に向かって歩み寄って来る。



「隠形!それ以上は駄目っ!」



 体勢を立て直し、土蜘蛛にさらなる攻撃をしようとした隠形を、秀丸は止めた。



「秀丸…どうして…おれを…」



 妖刀に力を奪われながらも近付く土蜘蛛から、秀丸を庇う様に金蔵が立とうとしたが、秀丸はそれを止めた。

 間近まで近付いて、力尽きる様に足を折って土蜘蛛の巨体がその場に伏した。



「…土蜘蛛…俺はお前の番いにはなれないよ」

「どうしてだ…おれは、ずっと、ずっと一人で待った。親にすら見捨てられて、おれの前に投げ出された一人ぼっちのおまえを、おれが助けたのに…」



 涙を零す土蜘蛛の前足に手を伸ばし、秀丸はそっと撫でた。



「俺は人だ…だから、人として生きて死にたい。だから、俺の呪を解いて」

「いやだ…おまえはおれの番だ。もうじき、おまえもおれと同じ姿になれる」



 秀丸は、弓の押付部分の刃を自分の首にあてる。



「それなら、死ぬ」

「何でっ!おれが…そんなに嫌いか」

「…土蜘蛛は、無理やり人に変えられて人の番いにされたら、どう思う?」

「…そんな傲慢な人間、殺してやる」

「土蜘蛛は、それと同じこと俺にそれをしてるよ…思いが通わなかったら、俺を同じ姿にしても、結局、土蜘蛛は独りと同じだ。淋しい気持ちのままだよ」

「そんなの嫌だ…」

「それなら、ちゃんと土蜘蛛を大事にしてくれる相手を見つけて番いにしないと」



 土蜘蛛は、秀丸の言葉に暫く黙りこんでいたが、ゆっくりと口を開く。



「わかった…無理強いするのはやめる」



 素直に応じた相手に、秀丸はほっとする。



「ありがとう」

「その代わり、秀丸、おれのことは『夕霧』と呼んで」



 刹那、金蔵の顔色が変わった。



「呼ぶなっ!」

「…?夕霧?」



 金蔵が叫んだのと、秀丸が意味も解らず、夕霧と口にしたのはほぼ同時だった。

 強い風が吹き、秀丸は目を開けて入れられなくなり、きつく目を閉じた。

 そして、再び目を開いた時には、そこには人の形をした土蜘蛛が居た。

 刀傷も、矢傷もない土蜘蛛は、満面の笑みで秀丸に抱きつく。



「秀丸、我が名『夕霧』をおまえに与え、おまえに永遠の愛と忠誠をつくすことを誓う」



 耳元でそう宣言された秀丸の身体の中を、熱が通り過ぎる。

 これまで身体を蝕んだ痛みは消え、左手を見れば痣も綺麗に消えていた。



「痣が消えた…」

「あぁ…やっちまった」



 金蔵が溜め息をつき、近付いてきた隠形は不機嫌交じりに、土蜘蛛の身体を秀丸から引き剥がす。



「秀丸と主従関係を強引にむすんだな、この童が」

「…主従?」

「左様。こ奴は、これよりそなたの僕だ。土蜘蛛がその契約を破棄せぬ限りな」

「は、はぁ!?どういうことだよ!?」

「おまえがおれを好きになるように、おれはおまえの為にこれからも傍で守ってやるから」



 土蜘蛛は、秀丸を番いにする事を諦めた訳ではなく、秀丸の言う様に他の相手を探すのでもなく、秀丸をその気にさせると言う方向性に転換したのだと気付き、秀丸は絶句した。



「…き、金蔵殿…魑…もしかして俺、この先、隠形と土蜘蛛に付きまとわれるのか?」

「…頑張れ」

「…まあ、頑張れ」



 秀丸は魑を抱きしめ、そのまま金蔵に縋りつく。



「やだぁぁぁぁぁーーーっ!金蔵殿っ、なんとかしてくれよーーーーっ!」

「!!!ば、馬鹿!抱きつくなっ!わしを殺す気かっ!お前さんが一番厄介だーっ!」



 一瞬にして隠形と土蜘蛛は殺気立ち、金蔵に武器を構えて臨戦態勢に入り、金蔵は全身から汗をふきだしながら、人生最大の危機を迎えた。







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