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百鬼天女  作者: 響かほり
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第伍章




 日は穏やかに三日過ぎた。秀丸が拍子抜けするほどに。

 金蔵は作業場に籠りっきりで、昼夜を問わず鉄を打つ音が聞こえた。

 隠形はあれっきり、秀丸の前に姿を見せない。

 単調に、秀丸は金蔵の家を掃除したり、狩りに出ては食事の支度をする。

 変わったのは、眼に映る蜘蛛の数がまた増え、腕の痣が急激に胸まで広がった事。

 だが蜘蛛は近付いては来ず、家に糸を張るだけ。秀丸はそれを取り払って家の外に蜘蛛を追い出す。



「何故、殺さぬ?」



 夕刻、縁側で箒についた蜘蛛を放つ秀丸の背後から声が聞こえた。振り返れば、見慣れぬ長躯の美丈夫がそこに居た。



「…隠形?」



 額上にあった角は消え、青白くとも土気とも似た肌色は血色が戻り、こけていた身体は生気を取り戻し瑞々しく張りがある。だが、顔のつくりと身に纏っていた物は隠形のものだった。

 秀丸が少し身構えて相手を睨めば、隠形は薄い唇に酷薄な笑みを浮かべて、近付いて来る。



「そなたを狙う妖の眷族など、何故生かす?」

「…殺すと大蜘蛛が来るから殺すなって、うちの村じゃずっと言われてた」



 すぐ隣に並び、足を止めた隠形は、庭の土の上を這う蜘蛛を眺める。

 一匹だった蜘蛛の周りに、何処からともなく蜘蛛が集まって来る。



「…この間だってそうだ。俺のことを蜘蛛憑きだって謗った村の子供が、俺の周りに集まってきた蜘蛛を気味が悪いと、何匹も殺した…そしたら土蜘蛛が来て、村の人間を皆、喰っちまった」



 養父が土蜘蛛に殺されてしまったことは哀しいけれど、村の人間が殺されたことには、秀丸に同情など浮かばなかった。

 腕にあった痣のせいで白い目で見られ、誰も秀丸と口などきかなかった。ただ、養父だけが普通に接し、大事にしてくれた。

 その養父も、自分を育てているせいで、白い目で見られ迫害されているのを、秀丸は子供心に理解しずっと罪悪感を抱いていた。

 だから、村の人間が殺された事は、可哀想などと思わなかった。自分のせいだなどと思わない。自業自得だと、せせら笑う黒い感情が秀丸の中で渦を巻く。



「村の人間が死んだことが、そなたは嬉しいのだな?」



 不意にそう言われ、秀丸は驚いて隠形を見つめる。



「そなた、村人が喰われたと嬉しそうに笑っていたぞ」



 言われて、秀丸は身体が冷えた。

 逃げようとしたけれど、それよりも早く、隠形が秀丸の腕を掴んだ。



「村人を殺してくれた土蜘蛛を、そなたは何故、殺そうと妖刀を探す?矛盾していよう?」

「矛盾なんかしてない!あいつは…じっちゃんを殺した。たった一人、俺のこと大事にしてくれたじっちゃんを殺した!じっちゃんは、死ぬ間際に仇を討てと言った!」

「…のう秀丸、そなたを大事にする人間が、何故、そなたに仇を討てなどと言って危険に晒す?普通ならば逃げよと言う。仇打ちなど考えず、穏やかに生きよと望む」



 隠形の言葉が、秀丸の心臓に牙を立て、ドクリと音を立てる。

 この鬼の傍に居ると、自分の心の中を暴かれ不安を煽られ、秀丸は怖かった。



「まるでそなたの心を歪め、鬼に魅入られよと唆しているようだ」

「そんなことないっ!じっちゃんを悪く言うな!」



 もがいて腕を振り払おうとした秀丸の脚を払い、隠形はその場に組み敷く。



「金蔵の作る妖刀が完成すれば、土蜘蛛を殺せる…そなたはそう歓喜し、常に土蜘蛛を思い、心を支配されてはいないか?」

「煩いっ!煩いっ!」



 激しく抵抗する秀丸の襟の合わせを、隠形は大きく開いた。

 薄い胸まで露わに晒されたその肌には、赤黒い蜘蛛を貌取った痣が大きく伸びていた。

 それを目にした隠形は、眼を細め、痣を指でなぞる。そこが、火に触れた様にビリッと痛み、びくりと秀丸の身体が撥ねた。



「これが広がったのは、じっちゃんとやらが殺されたからではないか?土蜘蛛を殺すと、強く心に思ってからではないか?」



 夕暮れの茜に染まる光の中で、隠形の瞳は黄金に揺らぐ。まるで糾弾されているようで秀丸は隠形から、視線を逸らした。



「土蜘蛛に心を囚われれば囚われるほど、この呪はそなたの身体と心を蝕む。直にそなたは蜘蛛になってしまうぞ。妖になりたいのか?」



 左の耳元でそう隠形はそう囁けば、秀丸は首を横に振る。

 その答えに、隠形は唇を釣り上げて満足げに笑い、鎖骨まで伸びた痣に唇を寄せる。



「ぃっ!」



 肌をなぞる隠形の唇が、何かを呟きながら触れていく。それだけで、秀丸の痣に包まれた左半身が、焼けつく熱に襲われ、身体の中で何かがのたうつように蠢く。



「うぅっ…やっ、だっ…い、痛いっ…」



 身体が燃えるような苦痛に喘いで、秀丸は必死に身を捩る。



「耐えよ。直に馴染む」



 秀丸の左腕に巻かれた布を解き、ドス黒く染まった秀丸の指に自らの指を絡めた隠形のそこから、炎が浮かび、秀丸の中に消えていく。



「ひっ!あっ、あぁ!あつ…いっ!やめろっ、おん…ぎょう」



 息も絶え絶えに秀丸がそう声を上げた瞬間、秀丸の中で熱がはじけた。

 ひゅっと、苦しげな呼吸を繰り返す秀丸の、熱を孕んだ肌が淡く朱に染まり、彼女の額にじんわりと汗が滲んでいた。



「これで、暫くは土蜘蛛の力がそなたを蝕む事はない。だが、そなたがまた土蜘蛛に心を囚われれば、我の呪符は解ける。これは、一時的な措置故な」



 どうしてこんな真似をするのか、声に出せず、視線で秀丸が訴えれば、隠形はそう答えた。



「人でいたいならば、土蜘蛛に心を奪われるな。妖に堕ちるような主は要らぬ故、土蜘蛛に堕ちるならば殺す。忘れぬ事だ」



 無表情にそう警告した隠形は、薄く開いた秀丸の朱の唇に自らのそれを重ねた。秀丸が抵抗する隙さえ与えず、啄ばんで離れ、そのまま姿を消した。

 秀丸は、乱れた息を整えながら重い体を起した。

 肌蹴た胸元を見れば、先程まであった痣は綺麗に消えていた。左の腕も、手にも痣は何一つない。

 襟を手繰りよせ、隠形が触れた唇に指を当てる。

 何故、心を掻き乱しておきながら、助けたのか、秀丸は隠形の真意が分からなかった。口づけられた意味も。

 茜と濃紺が混じりあうように染まった空に視線を向け、宵の帳が落ち始めた庭を見れば、先程までなかった黒ずんだものが広い範囲にあった。

 それが夥しい量の蜘蛛の消炭となったものだと知った瞬間、秀丸は息をのんだ。

 蜘蛛が死んだ…土蜘蛛が来る…

 そう思った瞬間、秀丸はその場から立ち上がり、金蔵の家を飛び出していた。








「おい秀丸?…秀丸?」



 陽が完全に落ちた頃、布に包まれた長いものを持って作業場から出てきた金蔵は、灯りのない家の中を、不思議に思い歩いて秀丸を探した。

 だが、家の何処にも秀丸の姿も気配もない。

 僅かに、妖力の残る縁側に来て、足を止める。

 夜目の利く金蔵は、庭先の燃え尽きた蜘蛛の死骸を見て眉間に皺を寄せた。

 突如、庭を囲む森から強い風が吹き抜け、炭となった蜘蛛の死骸が細かい塵となり舞い上がる。嘲笑と共に意思を宿すように、それは帯のように連なり森の奥へと消えていった。






     ※





「秀丸、秀丸っ!」



 一人で森の奥に進んでいく秀丸を、魑は懸命に追い掛けた。何度、ついて来るなと言われても、魑は必死で秀丸の背を追った。

 靄が次第に深くなる森の奥まで来て足を止めた秀丸にしがみついた魑を、秀丸は困った様に見下ろした。



「秀丸、戻ろう?」

「…駄目だ…隠形の傍に居たら、何されるかわからない…」

「だけど、呪を解いてくれたじゃないか」

「違う…解いた訳じゃない…」



 心を土蜘蛛に囚われたら解けると隠形は言った。それは、抑え込んでいるにすぎない。



「魑、俺の代わりに、金蔵殿から刀をもらってきてくれ」

「秀丸…」

「あそこには、隠形がいるだろ…だから、代わりに貰ってきてくれ。あいつにばれないように」

「…此処で待っててくれる?危ないことしない?」



 魑が縋るように見つめれば、秀丸は魑の頭を優しく撫でた。



「しないよ。だから、頼む。お前しか頼れない」

「…わかった。…約束だよ?此処で危ないことしないで待ってて」



 渋々と魑は頷いて、何度も振り返りながら秀丸の姿を確認して、森の奥へと消えて行った。

 その後ろ姿を、手を振りながら見送った秀丸は、「ごめんな…」と呟いた。



「おれの呪を封じた鬼を、呼びに行かせたか?」



 背後から、地を這う様な声が聞こえ、秀丸はびくりと身体が震えた。

 それを悟られまいと、両手で握りこぶしを作り、震えを堪えて息をのんだ。



「あれは隠形あいつが勝手にやっただけだ…それに、呼びに行かせるなら初めから逃げたりしない。だから、魑には何もしないでくれ」



 ゆっくりと振り返ったそこには、二丈(6m)ほどの大蜘蛛がいた。

 全身を黒と黄の分厚い毛におおわれ、太い脚を持つその蜘蛛は、ゆっくりと一歩近づき、秀丸に顔を寄せる。

 食われるのではないかと、思わず目を閉じれば、太い毛むくじゃらの前足が秀丸の背にそっと伸びで、彼女の体をさらい上げる。



あれが大事か?なら、殺してしまわないとな…」



 その言葉に目を開いた瞬間、秀丸は白い糸に襲われ意識を失った。








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