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百鬼天女  作者: 響かほり
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第参章




 まんまと鬼たちから逃げおおせた秀丸は、霧が立ち込める森の奥で、小さくため息をついてしゃがみ込む。



「秀丸、大丈夫?」

「平気…ちょっと、疲れただけ」



 小さくなって秀丸の懐に隠れていたすだまが、襟の隙間から顔をのぞかせた。

 秀丸は魑の頭を軽く撫でて、乱れた息を整える。



「やっぱ、妖刀手に入れるの、無理なのかなぁ…」

「秀丸、あきらめちゃ駄目だよ。時間はまだあるよ」

「…けどな、こいつ、また広がってた」



 力なく呟いて、腕に巻き付けられた布を撫でる。

 最初は手の甲に僅かについていた痣が、この数日でどんどん腕の根の方へと侵食してきている。



「…あと七日したら、あいつが来る…」



 自分を食らう為に、この目印を付けた妖がやって来る。宣告通りに。

 足元にカサカサと近づいてくる小さな蜘蛛を見つけ、秀丸は思わず息を飲む。

 自分の足に這い上がろうとしたそれを摘まんで、秀丸は遠くへ投げる。

 どこからともなく現れる蜘蛛。

 まるで自分を監視するかのようなその小さな生き物は、幼い頃から秀丸の傍に常にいた。

 けれど、大蜘蛛が現れてから、日増しにその数は増えてくる。

 自分を包囲するように。

 七日後の満月までに、秀丸は妖刀を探し出し、手に入れなければならない。

 妖に対抗するために。



「魑、もし七日の間に妖刀が見つけられなかったら、お前は逃げろよ」

「ヤだよ!そんな事出来ないよ」



 小さな手で、魑はぎゅっと秀丸に縋りつく。



「ねえ秀丸、あの鬼にあいつ倒してもらおうよ?」

「何、言ってんだよ。あいつだって鬼だぞ?妖の仲間だぞ」

「だけど、あの鬼、秀丸のこと主って言ったよ?」

「俺を食う為の口実かもしれねえだろっ」

「けど、妖刀が見つけられても、あいつに勝てるとは限らないよ。上手くあの鬼を言いくるめて、仲間にしちゃった方が良いよ」

「だけどさ…」



 魑の言うことはもっともだと、秀丸は思った。

 けれど、妖は安易に信用してはいけないと、養父から教わった。

 魑は物心ついた時から秀丸と共に居て、兄弟のように過ごしてきた。養父も、魑のことは信用しても良いと言って、秀丸の傍に居ることを許した。

 妖は本来、人を食らうもの。魑のような存在の方が稀有。

 それを秀丸は知っているから、迷う。

 刀を握った事のない自分では、この皮膚の中を這いずる痣を付けた妖を倒すことは難しい。



「あの妖を倒しても、今度はあの鬼に狙われて何時か喰われる」

「よう分かっているではないか、小さな主」



 不意に背後から手が伸びて、片手で頤を掴まれ、腰に伸びた片腕で身体を捕えられた。



「な、なんで…」



 逃げ足の速さは誰にも負けない。まして、姿を隠す術を用いていたはずなのに、容易く見つかってしまったことに、秀丸は酷く混乱した。

 楽しげに笑う鬼は、秀丸の一つに結ばれた髪の束から落ちる、一房の短い髪に手を伸ばす。



「かような蟲にすら気取られるのに、我がそなたを逃すとでも?」



 撫でるように髪に触れ、開いた隠形の爪の長い手の上に、小さな蜘蛛がいた。

 が、その蜘蛛は黒い霧を上げて蒸発するように姿を消した。



「面白いものに好かれたものよな、主」

「め、面倒な奴の間違いだろっ、お前含めてっ」



 身を捩って逃げようとした秀丸を、隠形は巧妙に絡め取る。



「我から逃れようなど、無駄な事。そなたの匂いは覚えた故な」



 耳元でささやかれ、耳朶を伸びた犬歯で食まれ、秀丸は心臓が止まるかと思った。



「に、匂い!?犬かっ、いったっ!」



 相手を振りほどこうとした秀丸だが、突然、耳朶に突き立てられた鋭い歯に軟肉を貫かれ、鈍い痛みと共に熱い熱を帯びてじんわりと血が滲む。



「そなたは匂い同様、血も甘く美味い。その肉もさぞ美味なのであろうな?」



 吸いつくように傷口の血をすすった後、隠形は愉悦を隠しきれずに笑い、不測の事態で硬直している秀丸を抱え上げた。



「さあ、主。我と戻ろうか?」



 問いはしたものの、答えなど求めていない鬼は、答えを言えないままの人の子を抱え、先の見えない深い霧の中に消えて行った。






     ※






「お前、俺に何の恨みがあるんだよっ!」



 隠形に囚われた秀丸は、再び金蔵の家へと連れてこられた。



「そなたには今一度、理解をしてもらわねばならぬ。そなたは我の主ぞ」



 腰に妖刀『童子切り』を帯刀した隠形は涼やかに笑うが、秀丸の額には青筋が浮かびあがる。



「お前な…俺の事を主とか言って、敬う気が全然ないだろ!」



 秀丸が怒るのも無理からぬことだった。

 身体を縄で縛りあげられた上、大黒柱に括りつけらていたから。



「こうでもせねば、主は隠し身を用いて我から逃げよう?」

「俺は、お前を相手にするつもりはないっ!」

「主は勝手に我を呼び覚ましておきながら、現世の分からぬ我を一人で捨てると申すか」

「捨てるとか以前に拾ってない!そもそもお前、金蔵殿と知り合いだろ」

「金鬼は同胞、そなたは主ぞ」

「仲間同士仲良くやればいいだろうがっ!」



 秀丸はかろうじて自由になる両足で、地団太を踏んだ。

 何故、相手が自分の様な子供に固執するのか、秀丸にはわからない。



「ほっんとに、このくそ忙しい時に、何してくれてんだ!」

「…のう、主」



 子供の睨みなどものともしない鬼は、自分を忌々しげに見る秀丸の顎に手をかける。



「そなたは娘であろうに、なぜそのような姿で粗野な物言いをする?」



 刹那、秀丸の顔が真っ青になる。

 同時に、それまで黙って二人のやり取りを見ていた金蔵が、絶叫する。



「娘ぇ!!?どう見てもこぞ…ってぇっ!」



 金蔵が小僧と言いかけた所で、体の向きを変えないままの隠形から鉄槌が金蔵の頭に落とされる。

 鞘におさめられた妖刀の長い刀身で頭を殴られた金蔵は、あまりの激痛に頭を抱えてその場に屈む。



「割れるっ…あ、兄者…鬼だ…」

「当たり前ぞ。そなたも鬼であろう」



 横目で弟分を見やりながら、至極当然のこととを答え、隠形は秀丸に再び視線を戻す。



「…ホントに、秀丸は女なのか?」

「確かめたいと言うのなら、脱がせば早かろう」

「莫迦言うな!腐れ鬼が!」



 とんでもないことをさらりと言った鬼の脛に、秀丸が一撃を食らわせる。

 が、隠形の脚は鋼の様に硬く、蹴った秀丸の足方が痛かった。

 秀丸は痛みで涙目になりながら、冷やかに自分を見下ろす相手を睨みあげる。



「そう睨まずとも、そなたの様な胸も背中も分からぬような娘に進んで手など出さぬ」



 鼻で笑った隠形に、秀丸の双眸がかっと見開く。

 涙目のまま般若の形相になった少年改め少女の額に、幾つも血管が浮かぶ。



「前も後ろも分からない女で悪かったな、ド変態」

「ド変態?」

「何、さも心外みたいな顔してるんだ、お前っ!」

「…我をそのように申す女は二人目ぞ」

「だからなんだよ」



 不意に唇の端を歪めた鬼は、秀丸の顎を上に持ち上げる。

 冷酷にして妖艶な笑みに、秀丸は本能的な危険を感じ身震いする。



「その気の強さも、我が愛した女によう似ておる…幾度と、命を賭して死合うたあの女に」



 猛禽のような手に、鋭利な爪を宿した鬼の指が秀丸の頬にわずかに食い込む。

 チクリと突き刺すその痛みに、秀丸の眉間に皺が寄る。



「…気が変わったぞ。そなたならば、壊れるまで弄り愛してやっても良い」

「お、俺を喰うつもりかっ!?美味くねぇぞっ!」

「左様。だたし、そなたの言う『喰う』とは意味は異なるが」

「は?何言ってんだよ、お前」



 恍惚とした鬼の顔が怯える秀丸の顔に寄せられ、彼の薄く開いた口から覗く牙に、本気で齧られるかと思った秀丸は、きつく眼を閉じて身を強張らせる。



「ちょっと待ったぁ!」



 唇が触れ合いそうな二人の間に割って入った金蔵は隠形の体を引き離し、秀丸を庇うように不愉快を隠さぬ隠形の前に立つ。



「何ぞ、金鬼」

「あのなぁ、兄者。何もクソも、話の趣旨が変わっちまってんじゃねえかよ」



 真っ当な言葉で嗜める金蔵に、隠形は鼻で笑う。



「我がこやつの傍にいる理由など、何でもかまわぬであろう」

「…もしかして呪い云々の話、嘘とか言うんじゃないだろうな?」

「さぁ?」



 にやりと笑った隠形に、金蔵は顔を手で覆って深い溜息を漏らすと、鋭く相手を睨み据える。



「秀丸は、兄者の封印を解いてくれたわしの恩人だ。いくら兄者でも、秀丸に無体な真似しやがるなら容赦しねぇ」

「我とやりあうつもりか?」



 無言の闘志を宿したまま自分を見据える相手に、隠形は舌打ちする。



「この場は『恩人』に礼を尽くすそなたに免じ下がる。だが、二度はない。我の邪魔をすれば、そなたとて殺す」



 隠形は踵を返す。

 それと共に、姿も気配もその場から消えた。霧散するように。

 金蔵は額に浮かんだ汗を腕で拭い、小さく息をついて秀丸に向き直る。



「すまなかったな、秀丸。兄者は戦天女のことになると、性格が破綻するのを忘れてた」

「戦天女?」

「マリなんとかっていう、ものすごく腕の立つ性格のきつい天女なんだが」

「…摩利支天?」

「あぁ、そんな名前だ。お前さんの物言いは、何となくその戦天女に似ているんだ」

「似ていると、どうなんだ?」

「兄者は昔っから、戦天女に歪んだ情をもっててな。人間に使役される前から、何度も喧嘩を吹っ掛けに行ってんだよ」



 摩利支天といえば無傷無敗の戦の神として祭られており、武士に絶大な信仰を受けている神様の一人で、養父はその摩利支天のお社を、大切に守っていた。

 そんな神様を相手にしていたのかと、秀丸は目を丸くした。



「しかも、戦天女が粛清しようとしていたのが、わしらを使役した人間だがな」

「…あの変態鬼が言ってた、前の主って奴か?」

「へ、変態ってなぁ…まあ結局、主は戦天女側の大将に負けちまって、兄者は瀕死。で、隙を狙ったクソ陰陽師に封じられちまってな」



 金蔵は素手で秀丸を縛り付けていた縄を容易く引き千切り、秀丸を解く。



「あとは、お前さんが開放してくれるまで、刀の中だったってわけだ」

「…なんで俺を助けたんだ?金蔵殿も鬼で、あいつの仲間だろ?どうして優しいんだ?」

「わしが優しいなんて、間違っても思わねぇこった。わしは鬼だからな」



 困ったように金蔵は笑い、秀丸の頭を軽く二度叩く。



「だがな、わしが逃げたお前さんを連れ戻した理由は、お前さんに主になれと強要する為じゃねえ。…逃げたけりゃ、このまま逃げな」



 秀丸は自由になった体の動きを確かめていると、金蔵は金槌に手をかけて担ぎ上げて作業場へと歩いていく。

 即座に逃げようと考えていた秀丸だったが、自分を置き去りにした相手の言葉が気になり、金蔵の後についていった。






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