第壱章
翌朝、西京にたどり着いた秀丸は、その華やかで賑やかな都の風情に気圧される。
山育ちの秀丸では、これまで見たことも無かったような物が建ち並び、きらびやかな装飾を纏う人々が溢れる。
けれど、都を包む空気は、黒く重く澱んでいる。
「気持ち悪い…」
人の心が生み出す欲と、欲につられて集まる妖の気配。それと…。
「さすが鬼を幾つも封じ込めた都だな…空気が悪くてしょうがないや」
肌に絡みつく妖気は、秀丸の体を撫で上げ、ゾクリと鳥肌が立った。
秀丸の懐の中で小さくなって隠れている魑は、都を包む妖気に震え上がっている。
早々に、目的のものを見つけて帰らないといけないと、秀丸は足早に都を進んだ。
だが五日をかけ、町をくまなく探せど、妖刀を持つ武士はいなかった。
どうにもならず、秀丸は一つの噂を頼りに、都の外れにある山に住む都一番の刀鍛冶の元を訪れた。
見世の中に入った瞬間、秀丸は鍛冶の異様な巨体ぶりに驚いた。
身の丈は九尺を超え、筋骨隆々とした容貌魁偉な男は無精ひげを生やし、さながら熊のようであった。
鎮西一といわれ二十年になるという刀匠の気迫に、息をのんだ。
「なんだぁ、童」
大金槌を軽々と片手で肩に担ぎ上げたその男は、体を屈めるようにして秀丸を見る。
対格差からすれば、相手にひとひねりで潰されてしまいそうだった。
「俺は、童じゃない!秀丸だ!」
威勢よく名を告げた少年に、刀匠はにやりと笑う。
「ほぉ?秀丸か。わしゃ、金蔵だ。此処らじゃ名の知れた刀鍛冶よ」
「知ってる。刀鍛冶なのに、最近は難癖つけて刀打たねぇ偏屈もんだろ」
言葉を選ばぬ少年に、金蔵と名乗った刀匠はかっかと笑う。
「難癖たぁ、心外だ。わしが出す条件は唯一つ、ほれ、あそこにある太刀を鞘から抜けば良いだけだ。どうだ、童も抜いてみねぇか」
金蔵は壁に掛けられたひと振りの長業物に視線を向ける。
赤銅色をした鞘と柄。柄にある目抜きの装飾と鍔は黄金。鍔の文様は二対の鬼。
下緒にも金糸が用いられ、貴族でなければ到底、手が出ぬ高価な代物と一瞥しただけで分かる。
そして反りの入った刀は五尺(150cm)を超え、いわゆる野太刀と呼ばれるものだ。
「それが出来りゃ、お前さんだけにしか扱えない刀を作ってやる」
「俺は、刀を作りに来たんじゃない。刀を探しに来たんだ」
金蔵は片眉を吊り上げ、鼻で笑う。
「するってぇと、お前さんか。近頃、都で退魔を生業とする武士を探しては、刀を見せてくれってせがむ童ってのは」
秀丸はこくりと頷く。
「そいつが俺に、何の用だ?」
「鎮西一の刀匠なら、腕が立つ妖刀を持った武士の一人や二人くらい知っていると思って」
金蔵は大きな笑い声を上げた。
「そいつは随分と見込まれたもんだな。だが、俺の客の中には妖刀を扱う野郎はいねぇ。それに妖刀ってのは、持ち主を破滅させる。長生きは出来ねぇよ」
「妖刀だけでも、どうにか手に入るようにならないか?」
「有名処はみんな寺社仏閣に奉納されて、厳重に封印、監視されている。盗むのもよほどの手練でなけりゃ無理だ」
頼みの綱を失った秀丸は、意気消沈してうな垂れる。
「金蔵殿は、妖刀は打てるか?」
「…あんなもんは、刀を打つ刀匠自身に強い怨念やら執念がなけりゃ出来ねぇぞ。あとは陰陽関係の連中が錬成した特殊な鉄を使うか…まあ、その場合は退魔刀になるがな」
「…何処に行けば、鉄は手に入る?」
「今の陰陽師は力が弱体化して、そんな練成できる奴は一人もいねぇよ」
あまりの八方塞の事態に、秀丸はその場にしゃがみ込んで頭を抱える。
「あぁ、もう無理だぁ…」
金蔵はあごひげを撫で、首を捻る。
「お前さん、何でそんなに妖刀にこだわるんだ?」
「…殺さなければいけない妖がいるんだ」
「お前さんが殺るのか?」
「そうだ」
金蔵はおもむろに秀丸の腕を掴んで持ち上げる。
多少の筋肉がついているとはいえ、ひょろりとした華奢な腕には布が巻かれている。
すらりとした指に肉刺のない柔らかな掌は、少女のようで、刀を持つには不似合いだ。
「刀なんざ持ったことないだろ。こんな、ひょろっひょろの小枝みたいな腕して」
「っ!これでも、弓なら射れる!」
秀丸がかっとなって相手の手を振りほどくと、腕に巻かれた布が解けて素肌が晒される。
漆黒と緋色の混じった蜘蛛の絵のようにも見える痣が腕全体に浮かんでいる。
刹那、金蔵の双眸に鋭い殺気が宿る。
秀丸のそれが、妖特有の呪の刻印だったから。
布の内側には表からは見えなかったが、陰陽師特有の封魔の呪が記されているのを、金蔵は見逃さなかった。
「…お前、物の怪に狙われてるな?」
秀丸はあわてて布を押えて巻きつけながら、そのまま踵を返す。
走り去ろうとしたが、その腕を金蔵に掴まれる。
「離せっ!呪われるから出てけとか言って、石投げるんだろ!」
「んなことするために、わざわざ止めるか、ボケ」
ひょいと秀丸の体を空いている肩に俵の様に担ぎ上げ、壁に吊るされた朱塗りの野太刀の前に立つ。
金槌を置き、野太刀を手に取った金蔵は、じたばたと暴れる秀丸に声をかける。
「まあ、聞け。妖刀なら此処に一本ある」
その言葉に、秀丸の動きが止まる。
「…本当か?」
「あぁ。こいつは妖刀『童子切り』。昔、酒呑童子を切り殺したっていわく付の代物だ」
「…でもそれ、抜けないんだろ?」
「なんつうか…持ち主を選ぶわけさ、この刀は」
どのような大男であろうと、力自慢の男だろうと、何人かかっても抜けない刀。
それを客に抜いてみないかと金蔵が言い出したのは、三年ほど前から。
人きり包丁を作らせたら右に出るものはないといわれる金蔵に、刀を作ってもらおうと、その試練を試したものは数知れない。
だが、刀を抜いたものは誰一人居ないと、秀丸は町の人から聞いていた。
刀を作りたくないための口実だなどと陰口を言うものもいた。
「お前が気に入られりゃ、鞘から抜ける。抜けたらお前にタダでやるよ」
肩から下ろされ、朱塗りの野太刀を渡された秀丸は、金蔵を見る。
「…タダより恐ろしいものはないから、簡単に信用するなって、じっちゃんが言ってた」
少年の物言いに、魁偉な刀匠はかっかと笑う。
「そりゃそうだ。だがな、童。こいつは俺には抜けねぇ。抜いて使えなけりゃ刀なんざ意味がねぇ。そうだろ?」
言われて秀丸は素直に頷く。
「だったら、抜いて刀振れる奴が持つのが一番だ。そいつが刀の為ってもんよ。うまくいって、お前も妖刀が手に入って万々歳だ」
「うん、まぁ確かに…」
金蔵の言うことにも一理あると思いながら、秀丸はどう見ても、己の身丈よりも長い野太刀を見る。
「でも、刀が抜けたとして、金蔵殿には何の得があるんだ?」
ごく当たり前の質問をした秀丸に、金蔵の眼が一瞬、鋭くなった。
思わず秀丸はひるんだが、すぐに金蔵の眼は楽しそうに揺れる。
「そりゃお前、鬼を封じ込めたなんて言う、おもしれえ刀の刀身を一遍、拝みたいんだよ」
「…見たいだけ?」
「俺は刀鍛冶だぞ?名刀だの妖刀だのいわれりゃ、見たくなるってもんさ。その為に必死で探して手に入れたんだ」
「けど、妖刀は希少なモノだろ?タダであげるとか、変だ」
「俺の獲物はアレだ」
そういって、先程持っていた金槌を顎でしゃくって示す。
「刀を作るのは好きだが、それを振り回すのは得意じゃねえんでな。持つことに自体に興味はねえんだよ」
「ふーん。そう言うもんか?」
「刀振るより、金槌振り落とす方が、俺には似合うと思わねえか?」
少しだけ想像して、確かに金蔵の言うと売りだなと秀丸は思った。
「そうだな。金蔵殿は、金槌が似合う」
「そうだろう、そうだろう」
嬉しそうに笑った金蔵に、ようやく秀丸も猜疑心を解いた。
「…ところで金蔵殿、仮に抜けたところで、俺よりでかい獲物、俺はどうやって振るんだ?」
「男なら、気合で振れ!まぁ、もし抜刀できりゃ兄者が気を良くして、代わりに殺ってくれるかも知れねぇが」
「…兄者?」
「あぁ、いやこっちのことだ。で、どうする」
手の中の刀が本物の妖刀なのかは、秀丸にはわからない。
本当は、ただ人をからかう為の、『抜けない刀』かもしれない。
もしくはいわくつきの代物か…でも、本当にこれが妖刀であるならば…
今は、これに賭けるしかない。
時間がない今、これが妖刀を手に入れられるかもしれない、最後の機会になる。
自分よりも倍以上の身丈のある男を見上げ、秀丸は意を決したように返事をする。
「…俺、試してみたい」
その言葉に、金蔵は満面の笑みを浮かべた。