03 シド/聖獣の子供。
生き残ったカサギの子供は二匹。
色こそ白いが、ジャンガリアンハムスターの子供によく似ていた。
どちらも片手の中に簡単に納まってしまうほど小さい。
「可愛い~」
へにゃへにゃと、目の前の少女が顔を緩々にして薄めたミルクを与えている。
先ほどまで涙で濡れていた顔が笑顔になっていることにホッとして、俺は人間用のご飯を作った。といっても、鍋に水と米、野草を入れて、味付けは塩だけの雑炊だ。
二匹への授乳を終えて、濡れた口を交互に拭いている彼女を呼ぶ。
「由衣さん、できましたよ」
「ありがとう」
顔を上げると癖のない髪がさらりと流れて、彼女はふわりと笑う。俺だけに見せる柔らかい笑みが心地いい。
よし、と口にして彼女は立ち上がった。
「ももちろ、しろたろ、行くよ」
いつの間にかカサギの子供に名をつけたらしい。しかも、ちょっと変わっている。
「名前をつけたんですか」
「うん。ひらがな4文字で、こっちが『ももちろ』、こっちが『しろたろ』だよ。かわいいでしょ?」
「はい」
素直に同意すると、彼女は嬉しそうに笑った。「もも」か「しろ」、「ちろ」か「たろ」のどちらかでいいんじゃないかと思ったし、可愛いのは貴女のほうですよ、とも思ったけど口には出来ない。
実際、彼女の容貌は「かわいい」というより「綺麗」とか「美しい」と形容されるタイプだ。
女性としては高めの身長に、長い手足、なだらかな曲線を描く身体はしなやかで、制服を着崩すことなく、凛と立つ姿に初めて目を奪われたのは今から三年前のこと。
当時、彼女は中学三年生で、俺は入学したばかりの一年生だった。
今でこそ彼女より身長も高いが、あの時は見上げることしかできず。
初めて彼女に見惚れたときは、「きれいなお姉さん」に対する憧れだったが、弓道場で弓を引いている姿に目を奪われ、自覚した。
切れ長の目、薄い唇、整った鼻筋。長い髪をポニーテールにして、的を見る横顔は、ただひたすら静かだった。
的に当たっても当たらなくても一切表情を変えず、気負うことなく、一連の動作をゆっくりと流れるようにこなしていく。それは、皆中でも変わらなかった。
彼女に憧れるだけだった一年が過ぎ、二年で身長も伸びた。
彼女を追って同じ高校に入ったのは、伝えたいことがあったからだ。
正直、俺は「かっこいい」が一番彼女に似合う言葉だと思っている。
それでも、今、目の前にいる彼女は可愛かった。
「二匹とも元気になりましたね」
「うん」
その笑みは、「生徒会長」や「弓道部部長」といった肩書きを取った、彼女本来の自然な姿だ。
ももちろと名づけられたカサギの毛はほんのりと赤く、しろたろと名づけられたほうが純白だ。
目は二匹とも黒く、しろたろのほうが気持ち顔がキリッとしているように見えるので、オスなのかもしれない。
「ねえ、見て~。小さいのに、ちゃんと額に石があるの」
彼女の声が弾んでいる。
柔らかい毛を指で掻き分けると、ももちろの額に赤い宝石が光っていた。
俺は軽く目を見張った。
「火の精霊石!?」
「突然変異かな」
カサギは水の精霊石を額にもつ聖獣だったはずだ。
「ほら、しろたろは水色なの」
二匹ともラッコみたいな格好になって、額の石に触れられても嫌がる様子を見せない。小さな手が、彼女の細い指を掴もうとしている。
彼女がカサギに向ける笑みは、慈母の笑みだ。
「由衣さん、食べましょう」
呼ぶと、彼女はカサギの子供たちを地面に放した。
俺は雑炊が入った木製の碗に木製のスプーンを入れて手渡した。
「繁殖できるといいですね」
「うん」
今回のことで、カサギは一気に絶滅危惧種となってしまった。
俺はじゃれついている二匹を見つめた。
ひと際大きなカサギに守られていた子供たち。おそらく、守っていたのはカサギの女王だ。
カサギは蜂のように一匹の女王だけが子供を生むが、『勇者』はそれを知らなかったのだろう。知っていたらあんな真似は出来ないはずだ。
――否。
俺がそう思いたいだけで、知っていてもやった可能性は高い。
カサギ捕獲の依頼で森に向かったものの、多数の襲撃を受けて慌てた『勇者』が、一気に殲滅しようとしたのは簡単に想像が付いた。
――あのバカ。
もれたのはため息。どちらにしろ、彼女を泣かせた『勇者』を許すつもりはない。
炎で焼き尽くされた小さな獣。
生き残った子供の一方が火の聖獣として生まれたのは偶然なのだろうか。
ももちろがメスなら、次代の女王だ。
――生まれる子供たちは、火の精霊石と水の精霊石のどちらを持って生まれるのだろう。
「ごちそうさまー」
彼女が両手をそろえてぺこりと頭を下げた。
美味しかった、と笑う彼女に、どういたしまして、と俺も笑う。
人間たちが夕飯を済ませている間、ももちろとしろたろはなぜか俺の足元で丸くなっていた。
大福のようだ。
少しでも動けば、踏んでしまいそうで怖い。動けずに困っていると、くすくすと笑っている彼女に気づいて、俺は苦笑を返した。
「なんですか」
「志藤くんが動物に好かれるタイプとは意外」
「貴女だって動物じゃないですか」
「そりゃそうだけど……」
言って、彼女は急に顔を赤くした。
「ば、ばか」
「なんのことです?」
さらりと言えば、なんでもない、と彼女はそっぽを向いた。うん、ほら、可愛い。顔が緩む。
「由衣さん、可愛い」
「知らない、ばか」
ばか、と言われて喜ぶ日がくるとは。
その言い方が可愛いって、彼女は絶対にわかってない。
そっぽを向いたまま、彼女は俺のほうに向かって右手を差し出した。
「食べ終わったらちょうだい。私が洗うから、志藤くんはそこに座ってて」
カサギの森の後始末に時間がかかったため、森の中で野宿することに決めた後のこと。
あのバカを放っておくと何をしでかすかわからないから帰る、と主張する彼女を俺はなだめていた。
「由衣さん、待って」
俺は彼女の二の腕を掴んだ。
弓道をやっていたからか、彼女の腕は意外と筋肉質だ。
「由衣さん」
「志藤くん、離して」
低く冷たい声。
振りほどこうともがくが、どうにもできないことに彼女が苛立つのがわかる。
「離してって言ってるの」
さっきまでは和やかにご飯を食べていたというのに、この変わりよう。
うっかり、あいつのことを思い出させるようなセリフを口にした自分が悪い。
「離さないと怒るわよ!」
立ち上る怒気にため息をつきたくなる。
もう怒っているじゃないですか。
まだ日は沈んでいないけど、森を出てから町まで帰るには時間が足りないのだ。
真っ暗になってからでは遅い。それは今までの経験からもわかっているはずなのに。
「二匹ともまだ子供です。慣らしながら行かないと、急に人の多いところへ連れて行くと死んでしまいますよ」
俺の言葉に、暴れていた彼女がピタリと止まった。
「……そうなの?」
「ええ」
もちろん、嘘だ。
俺はにっこりと笑った。
「金魚の水換えだって全部換えるな、新しい水は一日放置しろっていうでしょう」
「……うん」
彼女は小さく唸った。
「じゃあ、志藤くんはここに残って」
「由衣さん」
「私は一足先に――」
「由衣さん」
彼女の言葉をさえぎり、俺が睨みつけたら、彼女は困ったように眉を下げた。
小さく唇を尖らせて。
くそ、可愛い。
「わかったわよ、私も、ここで泊まればいいんでしょ」
「はい」
俺はにっこり笑って、彼女の手を取った。
「今日はたくさん歩いたから疲れたでしょう。早く休んでください」
たくさん歩いたことよりも、たくさん泣いたことの方が心配だった。
俺のまっすぐな視線に、彼女は小さくうなずいた。
指を握って軽く引けば、彼女は素直に従って、体育座りをした俺の足の間に立って反転する。スプーンを2つ合わせるように、腰を下ろした彼女を腕の中に閉じ込めた。
いつの間にか、それが当たり前になってしまったけど。
――野良猫を飼いならした気分だ。
俺は小さく笑った。
「今日は素直ですね」
「私はいつも素直だよ」
「そうですか?」
俺がくつくつと笑っても、彼女は小さなため息をついただけだった。
それだけ疲れているのだろう。寄りかかってくる彼女の身体が、熱く重い。
彼女を優しく包んで囁いた。
「結界を張ります」
「うん、お願い」
鍋を利用したカサギの巣を大切そうに抱いて、彼女は俺に身体を預けた。