02 由衣/カサギの森。
「あんのガキ……!」
目の前に広がる惨劇の跡地に、私は握った拳が震えるのを我慢することが出来なかった。
惨劇といっても人の血肉が飛び散っているわけではない。無残な死体が転がっているわけでもない。
ただ、本来そこにあるはずのものが何もないだけ。
足元に広がる色は、森の緑ではなく漆黒。闇色の黒ではなく、墨色の黒だ。
「由衣さん」
私の肩にそっと触れて、長身の少年が気遣う声をかけてきた。2歳年下なのに、私より精神的にしっかりしている彼が、今、ここにいることだけが救いだ。
私はそっと息を吐いて、短く指示を出した。
「生きている子を探して」
「はい」
彼はすぐさま駆けていく。
私もすぐに動きたい。でも、私の足は硬直したように動けなかった。
生きている子を探して、なんて。この光景を前によく言えたものだ。
深い森の一角、そこは空から見れば黒い円形になっているだろう。
直径は百メートルくらいだろうか。
天から降ってきた灼熱の炎によって一瞬にして焼け野原となった森。中心にあった大きな木は、森の守護獣であるカサギという小動物の巣だった。
カサギはハムスターとよく似た姿の聖獣だ。体長は20センチほど。知能が高く、愛らしい姿で、鳴き声が可愛い。
人によく懐くため、貴族のペットになったり、魔法使いが使い魔にすることも多かった。
聖獣と呼ばれる獣は、第三の目のように、額に精霊石と呼ばれる石があるのが特徴だ。その石は強い魔力を秘めているため、高値で取引され、そのため聖獣狩りが絶えない。
石だけでなく、血や肉、骨や皮すら高く取引される。そのため、冒険者組合に対して「聖獣カサギを求む 生死は問わず」という依頼は常にあった。
カサギは基本的に穏やかで可愛らしい容姿だが、いったん敵と判断すると群れて凶暴化する習性があった。だから、倒すのならば敵と判断される前に瞬殺するのが正しい。
でも。
――来るのが遅かった。
噛んだ唇が切れて、鉄の味が口の中に広がった。
たった一日だ。
たった一日、あのガキから目を離しただけでこれ。
「由衣さん!」
遠くで聞こえた彼の声に私は駆け出していた。
ここに来る前に、こげた臭いで鼻が麻痺していた。墨になった木々からは、森の中を駆けているとは思えない音がする。
丸くなった背中が近づいて、彼が土を掘り起こしているのがわかった。
焼けた森の中心地に近い。
「志藤くん」
「由衣さん、ここに」
彼が手で掘っているのは、土じゃなかった。
「……!」
黒くなったカサギが群れて重なっていたのだ。
「やめて」
彼を止めようと肩に手を置くが、違います、と短く返ってきた。
「声が聞こえませんか」
「え?」
「いるんですよ、下に」
彼の言いたいことに気づいて、私は慌てて膝をついた。
大きな穴を埋めるようにカサギたちが円陣を組んでいるのがわかった。
――何かを守っている。
女王だろうか。
生きていてほしいと願う一方で、生きていた場合を考えると頭が痛いと考えていたのはここへ来る前のこと。
今は復讐の鬼獣となってもいいから生きていてほしいと思った。
仲間を守るために、自らの身を犠牲にした者たちがいる。
一匹でもいい。生きていてほしかった。
私は彼と同じように焼き焦げたカサギたちを一匹一匹、両手で掴んでは除けていく。
表面は焼けて墨のように黒くなっているカサギたちも、下の層になるほど本来の白い毛が見えてくるのがわかって、鼻の奥がツンと痛くなった。
一体どれほどの高熱が彼らを襲ったのだろう。中央に行くほど蒸されて亡くなっているのがわかる。
長い尻尾を網の目のように組み合わせて内部に空間を作ろうとしているのは、圧死させないためだろうか。
最初は硬いだけだったカサギの体が、柔らかく重く、熱くなっていく。
生きていてもおかしくないくらい暖かい。
ただ眠っているんじゃないかと思うほど。
でも、どのカサギも鼓動は完全に止まっていた。
視界が歪む。
「お願い、鳴いて……!」
祈るように叫んだときだった。
ぴゅい。
小さな声が聞こえて、私は息を飲んだ。
ぴゅい、ぴゅい、という鳴き声が聞こえてくる。
最初はひとつだけだったか細い声。やがて、ひとつではない鳴き声がして、私の涙腺は崩壊した。