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記憶の再生は、赤ちゃんの元気な産声から始まった。
看護師「元気な男の子ですよー!」
夕緋の姉・愛架は、涙を流すわけでもなく
喜ぶわけでもなく、ただ赤ちゃんを見つめている。
出産後から退院までの6日間、
優子は毎日お見舞いに来ていた。
赤ちゃんと同室になっても、携帯ばかりを
眺めている愛架に、幾度となく声をかけた。
優子「この子の名前、考えてあるの?14日以内に
届け出ないといけないのよ。もう自分より優先する
存在が出来たのだから、しっかりしなさいね」
愛架「堕ろしたかった。まさか妊娠してるとは
思わなかったんだもん。はぁ…最悪」
優子「気付くタイミングはいくらでもあったわ。
避妊していれば、生理が来ていないことに違和感を
感じていれば…そんなタラレバばかり言っていても
もうダメなのよ。この子のために頑張りなさい」
愛架「……」
16歳で出産することは、親として葛藤があったが、
こうして生まれてきてくれた以上、娘に母親の自覚を
持たせ、子供を育てていくことをサポートすることが
自分の役目だと思い、毎日訴えかけ続けた。
退院日。
病院へ迎えに行くと、既に愛架の姿はなかった。
優子が受付で聞いてみると、
玄関口に迎えが来ていると言って
退院していったそうだ。
何度電話をかけても出ない。
優子は嫌な予感がして、
思い当たる場所を全て回って歩いた。
一番親しい友人の家
たまり場になっている公園
よく通っているファミレス
どこへ行っても愛架の姿はなく、家に戻った。
優子「どこに行ったんだろう…」
不安で独り言を呟くと
リビングから赤ちゃんの泣き声がした。
優子は血相を変えてリビングへと走る。
退院に備えて設置しておいたベビーベッドに
赤ちゃんが一人残され、
顔を真っ赤にして泣いていた。
慌てておむつを取り替え、ミルクを与えたが、
ベッドに寝かせようとすると泣いてしまう。
動きながらあやすと泣き止むので、
寝つくまで外を歩くことにした。
暖かい春風が、優子の背中を押す。
耳には海鳥の鳴き声と波音が響いた。
気付けば黄昏時で、空の色は
オレンジと赤のグラデーションになっている。
海に夕陽が照らされたその風景は
この世の地獄を見た優子には格別なものに映った。
大切に育ててきたはずだった娘の無責任さと、
新たに小さな命を育てていかねばならない現実。
絶望と不安で押しつぶされそうな優子は
大声で泣いた。
自分があんな人間に育ててしまったせいで、
この子は本当の親からの愛を受けずに生きる
いつか事実を知ったら、どう思うのだろう。
一人の子を育ててきた親として、心苦しかった。
暖かな色をした空と大きな海が
全てを包みこんでくれているような気がして、
涙が枯れ果てるまで年甲斐もなく大泣きした。
身体中の水分を出し切った時、
優子の手を、赤ちゃんがぎゅっと掴もうとした。
優子は人差し指を、赤ちゃんの前に差し出す。
すると、その指をぎゅっと掴んでみせた。
自分を母親に選んでくれた
そう思えて、様々な懸念が風と共に吹き飛び、
覚悟だけが優子の心に残った。
二人で初めて見た景色。
色んな思いを抱えて見たこの空を
彼女は一生忘れないだろう。
優子「いつか本当のことを話した時に、私が
お母さんでよかったって言ってもらえるように
頑張るね。私が歳に見られて恥ずかしい思いを
させないように、見た目と健康にも気を付ける。
あなたの名前は、「夕緋」に決めたわ。
このオレンジと緋色に染まった空に、あなたを
立派に育てると誓うから。そして、この夕陽の
ような心を持った子に成長することを願って…」
二人が見つめあっているところで、
記憶の再生は途切れた。
夕緋は優子の思いを知り、目を潤ませながら
ファミレスの店内に戻る。
そして、待ち合わせをしていた愛架にこう告げた。
夕緋「あんたが本当の母親だってこと、聞いたよ。
事実はどうだっていい、俺の母親はあの人だけだ。
後悔しなくていい、謝罪もいらない。だからどうか
今後二度と俺達家族の目の前に現れないでほしい。
これは俺のためじゃない、あんたに押し付けられた
子育てをこの春、あの人はやっと終えるんだ。
自由にしてあげてくれ。苦労をかけないでくれ。
頼むから、もう俺達の人生に関わらないでほしい。
最初で最後のお願いだ、今ならわかるだろう?
あんたは今…二人の子供の母親なんだから…」
メニューは何も頼まず、それだけを言い残して
お金を置いて出ていった。
残された愛架は、ただ茫然としていた。




