8 ハシバミの実
「どこへ行くの?」
母さんが、マロンを呼び止めます。父さんは、「またか」という顔をしました。マロンは、このところ、午後中、家に居ないのです。
マロンは学校から帰ると、鞄を放り投げ、おやつを持って森へ行きます。ココとの償いの約束があるからです。母さんは、マロンが友達の家に行くと思いました。でも、家で晩御飯を食べる時、友達と遊んできたようには見えませんでした。マロンは、長い昼寝から起きたような目をしていました。母さんは、マロンが心配でした。
今日のおやつは、ハシバミの実です。子どもたちは、その香ばしい味が大好きです。母さんは、実を軽く炒め、食卓の木の皿に盛りました。マロンは指を広げ、できるだけ多くのハシバミの実を掴みます。マロンが歩く度に、手の中の実は一つ、またひとつ、床へこぼれています。母さんは、棚から蔓で編んだ袋を出し、「マロン」と言いました。マロンは、その袋を受け取り、実を嬉しそうに入れました。そして、母さんに手を振って、出て行きます。母さんが外に立ち、暫くマロンの姿を見ていました。
母さんが台所で洗い物をしていると、扉が開きます。「マロンが戻ってきたのかしら」と思い、母さんは玄関の方へ顔を向けました。
入ってきたのは、ソラでした。ソラは、自分の家を造ろうとしています。湿気が少なく、隠れやすい場所を探していますが、簡単には見つかりません。ソラは、腕に付いていた土を払います。両手を胸に当てて、母さんは何か聞きたそうにしていました。
「来るとき、マロンに会った?」
ソラは、「うん」と声を出さずに頷きます。
「あいつ、慌ててたよ、どうしたの?」
「わからない」と、母さんは小さい声で答えました。
「ブナの樹の石のところに行くって、言ってた」
「ブナの樹?」
そう言ってから、母さんは父さんを見ます。
父さんが、「じゃ、あとで、行ってみようか」と低く言いました。
父さんは、今日の午後、ソラとチクと一緒にプラムを見に行きます。その帰りに、ブナの樹へ寄るのは良い考えです。それからお茶を飲みながら、父さんと母さんはソラの家の話を聞きました。二人は、息子が大きすぎず、居心地の良さを大切にしているのを知り、穏やかな気持ちになっていました。
マロンは、石の上に座っています。マロンは、足を延ばしたり組んだりして、落ち着きません。うつ伏せになり、お腹を石に付けて死んだふりをしてみます。それでも、昨日のように面白くありません。そして、寝そべって雲を眺めるのにも、体を横にして転がるのにも、飽きてしまいました。森の中で一人になるのは、慣れないことです。マロンは兄弟と遊ぶのが好きなので、家に帰りたくなります。チクに関節技を教わったり、ココとポポと飛び技を真似てふざけるのです。大きなため息がでました。見張り番は、とても退屈です。でも、ココとの約束があります。ココに許してもらうには、大男が来るのを確かめなければなりません。ここが通り道なら、大男はきっと現れるはずなのです。
持ってきたおやつだけが楽しみでした。午後も半分が過ぎると、咽喉が乾いてきます。マロンは、草地の奥に水溜まりを見つけていました。湿地の地下水が、迷路をたどるように土の粒の隙間を進んでくるのです。足をぬかるみに入れると、マロンは水の冷たさに体を縮めました。マロンが二口飲むと、もう水はなくなります。水は、まる一日をかけて元の量に戻るのです。それは、明日マロンを待ち、集めた飲み水をそっと与えてくれるのです。
「あーっ、うまい」
水をすすると、咽喉が潤いました。マロンが喜んでも、その後に続くのは静けさです。一人ぼっちの呟きは、寂しさをより深くします。
こういう時は、おやつが元気をくれます。マロンは、急いで石の上に行き、袋を逆さにします。ハシバミの実が、石の上に散らばりました。小さい粒が笑い出したように跳ねていきます。マロンは、大きめの実をとり、口に入れました。
「何個あるのかな」
マロンは、実を噛みながら数え始めました。ハシバミの実が整列していきます。よく見ると、ハシバミの実は、それぞれ形も大きさも違います。マロンは、同じものが一つもないことに感心しました。
「なにしている?」
突然、低い声がしました。
マロンは、飛び上がりました。そこに、ソラが立っていました。後ろには、父さんとチクがいます。マロンは、皆に抱きつきたくなりました。もう一人ではないのです。
マロンは父さんを見て、「ぼく、、、」と口ごもりました。話したいことが、口から少しずつ溢れそうでした。でも、それは風船が萎むように消えていきました。父さんが眉を寄せていたのです。マロンは、黙っていた方が良いと思いました。
ソラはマロンの足を見て、吹き出しました。マロンの足は、泥んこ遊びの後のようです。
「マロン、足、泥だらけだぞ」と、ソラが笑います。
チクが近寄り、石から出ているマロンの足を優しく叩きました。ソラは石に上がると、マロンの隣にしゃがみました。
「うまそうだな。一つくれよ」
ソラが、ハシバミの実を指さします。マロンが一番美味しそうな実を選んで、ソラに渡しました。父さんが、「マロン、帰るぞ」と言います。
マロンは、父さんと一緒のチクとソラがすごく大人に見えました。ソラが石から降りていきます。マロンは石の上のハシバミの実を集め、袋に入れました。石の上から下りる弾みに、実が一つ、袋から落ちました。
「あっ」
マロンが声を上げました。
父さんとソラが振り向きます。マロンが落ちた実を追って慌てていました。ソラが微笑みます。
「マロン、家に帰ったら、僕の分をあげるよ。行こう」
ソラが手招きをして、こちらに来るように合図します。
突然、暗い影が風になって頭上をかすめました。チクは、思わず体を低くしました。ソラは息を止めます。それは、雲が動いてできる影ではありませんでした。
「マロン!」と父さんが叫びました。
その大きな声には、特別な周波数があります。それは、身に迫る危険を教えるのです。でも、マロンはそれを聞いたことがないのです。父さんは、マロンの方に走り、飛びつこうとします。自分の手がマロンに届いてくれと願いながら、腕をできる限り遠くへ伸ばします。父さんは、体中の筋肉に力を込めました。
マロンは、今まで恐ろしいことに出会ったことがありません。危険を知らせる音の受け取り方がわからないのです。マロンは、ハシバミの実を拾うと、土の付いたところを指で拭っていました。




