58 いつもの朝
「行ってきまーす」
チクが一番に家を飛び出して行きました。
「まってよー。ぼくもー」
ポポがチクの後を追って玄関に走り出します。ココは腕を伸ばして、ポポの細い体を捕らえると、自分の体で包むようにして止めました。
「だめだよ、ポポ」
ココはポポにそっと耳打ちをしようと、しゃがみこむと、直ぐ後ろに立っていたマロンが大声で言いました。
「チクは、ゾエと待ち合わせをしているんだよ」
マロンは鼻の下を伸ばして自慢気に目を大きくします。ポポが、直ぐに「えーっ」と目が覚めたような顔をして二人の兄を見上げました。
「ゾエって、あれ?ハート型の泥パックの?」と、ポポが聞きます。
「そうそう」
マロンとココが頷いて答えます。
「あの、四つ葉のくれた人?」
「そう、四つ葉のクローバーのあれよ」
ココがポポにもう一度頷きました。
「あいつらは、手を繋いで学校に行くらしい」と、マロンが手の先で口を隠すようにして笑います。ココは何食わぬ顔で聞き流そうとしましたが、遂に唾をとばして吹き出して笑いました。ポポが片腕で自分の顔を猫のように撫で、降りかかったココの唾を拭いました。
「さ、俺達も行こう」
マロンがポポの手を取ります。そして、ココの肩を叩き、三人は揃って歩き始めました。
「チク、ラブラブだな」
ポポがマロンを見上げて、口先を尖らせて大人のような口調で言いました。
「うん、やつら、ラブラブだ」
マロンが、にやけながら応えます。
朝の食卓には、母さんと父さんが座っています。二人の手は食卓の上で重なりあって置かれていました。二人は眩しそうに目を細めて、子供たちが学校へ行くのを見ています。父さんの腕は、マロンが持ち帰った青い粒ですっかり良くなりました。一粒飲むと、熱が下がりました。二粒目で、腕に広がっていた紫斑が消え、三粒目では膿んでいた傷口が乾きました。あとは、ヘッジ先生の薬と赤珠の煎じ薬で弱った体に元気を取り戻すだけです。
巣穴の場所が決まったソラは、朝から大忙しです。住みやすい家を作る為に、恋人のミナと枯草を集めて運んだり、小枝を組んだりします。今年の冬の安全で温かい寝床を作るのです。ソラが玄関で振り向き、父さんと母さんに声をかけました。
「あ、そうだ。帰りに、ヘッジ先生の薬を取って来るよ」
母さんが椅子から立ち上がり、処方箋を探しに行きます。ソラは待っている間、食卓に二、三歩近づいて、母さんに聞こえるように言います。
「シルビーさんがさあ、すごいことになってるよ」
母さんは、処方箋をソラに渡しました。そして、ソラの言葉を聞いて、何度も頷いて笑っていました。昨日、モグラのシンさんの奥さんがお茶に来て、シルビーさんのことを話していたのです。
シルビーさんの薬局は店を開ける前から、ハリネズミが数匹並んでいます。新薬の評判を聞きつけて、お客さんが絶えません。店の看板を出してから、シルビーさんは、皆に会釈して歩きます。
「おはようございます」
最後尾まで行くと、「ここが列の最後です」という印として、木の枝を地面に置きました。一枚だけ葉がついたY字の木の枝です。新しいお客さんは、その木の枝の後ろから並びます。シルビーさんは、そこで立ち止まり、背を伸ばし風に吹かれます。そして、朝陽を浴びて「ふふふ」と口元を緩めてこっそり笑いました。シルビーさんの頭と体の毛が風になびいて、気持ち良さそうに震えています。
シルビーさんが持ち帰った生の赤珠は、今もまだ研究中です。一番にわかったことは、皮の成分の一つに育毛の効果があることでした。シルビーさんの背中の毛の無くなったところには立派な針毛が元気よく生えてきています。その塗り薬の臭いは強烈ですが、効き目は確かなのです。
秋になり、野生のバラの実が落ちると、その一つひとつを拾い上げ、蔦の袋に入れるハリネズミがいました。マロンです。その乾いたバラの実を、帽子の大男の庭と森の境界線沿いにそっと撒いて来るのです。いつの日か、その種が育ち、薄い桃色の花が咲きます。やがて、その甘い香りが、初夏の便りのように帽子の大男の庭に届くのでしょう。
夏の始まりの汗ばむ日。僕は犬の五郎と庭に出ました。そして、森の方を見て、美しい緑を楽しんでいましたが、五郎が突然吠えたので、後ろを振り返りました。近所のマリー婆さんが、何かを持って手を振って歩いてきていました。
「ハリー、これは、あなたの郵便じゃないの?」
マリー婆さんは、小さな絵葉書を僕に差し出します。宛名には、「ハリー」と書かれていました。
「そうですよ、僕のです」
「よかった、間違って配達されたのよ」
マリー婆さんはにっこりと笑いました。
「この庭、いい香りね」
そう言って、マリー婆さんが戻って行きました。僕は手渡された葉書を見つめました。それは友人の旅先からの短い知らせでした。僕は、どこからか、自分の名前を呼ぶ微かな声を聞いた気がしました。声の方へ歩いていくと、森の境界線沿いには、背丈ほどに茂った一重のバラがたくさん咲いていました。その小さな花弁は風に吹かれて揺れています。
「ハリーさん、こんにちは」と、淡い桃色のバラたちがささやいていました。
※これにて、「ハリーさん、こんにちは」は完結です。長い間、物語にお付き合い頂き本当にありがとうございました。読んで頂けたことが嬉しく、私の心の支えとなりました。
【作者の個人的な活動のお知らせ】
さて、ここからは物語の世界を離れ、私個人の活動について、少しだけお知らせさせてください。
私自身の日常を綴るエッセイをnoteにて執筆し始めました。パニック障害の私が遭遇する泣き笑いの話です。こちらのエッセイは今後の創作活動を応援してくださる方へ向けた有料コンテンツとなりますが、もし興味を持って頂けましたらぜひ、読んでみてください。:
感謝を込めて
ゴリラ




