54 一つの列車
マロンの両の頬は、二粒の薬で膨らんでいます。口元が緩みがちになり、涎が垂れますが、前を見据えて怖いくらい冷たい目をしていました。薬を握る左手は、泥だらけです。手が土につくと、指の関節が抑えられ痛みました。泥に足裏が滑りましたが、直ぐに姿勢を立て直します。髭を使って、足を置く場所を選びました。「いそがないと」と焦る気持ちがマロンの息を速くします。マロンは歯を食いしばって、それを沈めます。「おちつけ、おちつけ」を心の中で繰り返します。
ようやく、岩の多い場所を通り過ぎます。肩を下げて転びかけ、岩の粗削りな壁に片耳を酷くこすりました。それでも、決して足を止めません。岩の壁には、耳から出た血がなすり付けられたように模様をつつけました。ここを過ぎると、家はもうすぐです。
マロンが家の扉に倒れるようにぶつかります。食卓にいたソラ、ココ、ポポ、母さんが、一斉にマロンを見ました。
「どうしたの?」
泥だらけのマロンに駆け寄りました。ソラもココもマロンに飛びつく勢いです。ポポは泥で白目ばかりが目立つマロンの顔が、怖くて母さんの後ろに隠れていました。マロンは、頬の膨らみから青い粒を右手に出します。そして、母さんにそれを差し出します。ソラとココは、マロンの手から母さんの手に渡された青色の粒を不思議そうな目で追いました。
「これ、なに?」
母さんは、マロンの涎で濡れた粒を手の平に受け取りながら聞きました。
「薬だよ、大男の魔法のクスリ」
マロンの言葉にココの目が光りました。
「父さんのだね、それ、父さんに飲ませるんだ」と、ココが叫びます。
ココは両手を胸のところで祈るようにして両手を合わせています。
マロンの左手は固く握りすぎていて、指がなかなか言うことを聞きません。右手で一つひとつほぐすように指を広げ、三つ目の薬の粒を母さんの掌に転がしてやります。母さんは、泥に汚れたその一粒を愛おしそうに見つめます。マロンが直ぐに息を整え、ソラに向かって言いました。
「チクが、沼に。チクが底なしの沼に落ちたんだ」
全員が一瞬、身を固くしました。ソラは、玄関のフックに掛けてあった縄に飛びついて肩にかけました。玄関からものすごい速さで出て行き、ココも後に続きます。
「沼はどこだ?マロン、僕達を案内するんだ」
ソラが森全体に響くような大声で叫びます。マロンが先頭になり、今来たばかりの道を何も言わずに走り始めました。三匹は、大雨の後の眠そうな森を一つの列車のようになって駆け巡ります。
母さんは、玄関で膝から崩れ落ちました。ポポが母さんの前にしゃがみます。
「もう、だめかもしれないわ」
母さんは、ポポに抱きつきました。母さんの涙の雫がぽろぽろと落ちていきます。
「だいじょおだよ。チクは一番つよおんだ、よ」
ポポの舌が上手く回りません。ポポは自分のコトバが軽く浮いてしまうので、その暗い予兆に怯えました。それでも、母さんは、ポポのそのコトバに何度も頷きました。
「そうだね、そうだね。ポポの言う通りだね」
母さんはポポをもう一度強く抱きしめてから、ゆっくりと腕を解きました。そして、掌を開き、涙で濡れたまつ毛のままで青い粒を見つめました。




