23 約束
シルビーさんと母さんは、今日、生の赤珠について調べる約束をしていました。母さんは、下唇を噛みました。シルビーさんが家に来ることは、子供たちを学校に送り出した時に、頭の隅の勘定に入っていたのです。母さんは、首を振って、舌を鳴らしました。
シルビーさんは森一番の薬剤師ですから、薬の知識が豊富です。シルビーさんは、乾燥した赤珠の効き目を「治癒の力」と名付けていました。シルビーさんは、「治癒」という言葉を鼻の下を動かして、丁寧に発音します。シルビーさんが真剣に話すほど、母さんは顎の下あたりがこそばゆくなり、自然に笑ってしまいます。でも、今、笑ってなどいられません。母さんは、父さんの怪我の治り具合が気がかりでした。シルビーさんの言う「治癒の力」に頼るしかないと思いました。
シルビーさんは、毎年、母さんから乾燥の赤珠の欠片や粉末を分けてもらいます。シルビーさんの実験室には、薬の保管場所があります。薬品キャビネットは、日の当たらないところで、厭きることも、がたつくこともなく、中の薬品を黙って守っています。キャビネットの扉を開けると、不揃いの瓶がたくさん並んでいます。瓶の口元には麻紐が巻かれ、数字や文字を書いた札がぶら下がっています。それらの瓶の中から、シルビーさんが実験で使う度に必要なものを取り出すのです。他の薬草から作られた液体や粉末は、ごちゃまぜに置かれていますが、赤珠の粉が入った瓶は、棚を分けて、きちんと寄せられていました。
実験室は、物置のようです。何に使うのかはわからない、手作りの機械が置かれています。試作品の部品も壁際に転がっています。うかつに触るとバネが外れて飛び出してくるので、誰も近寄ろうとしません。発明家のヤクさんに作ってもらった木製の回転台は、遠心分離機の一部です。それは、シルビーさんの今年一番の自慢の道具でした。赤珠の成分を比重で抜き出し、研究するのです。母さんとシルビーさんは、生の赤珠を薬にしたいと考えていました。
父さんの薬をもらいに来た母さんに、「ちょっと、いいものがある」とシルビーさんが声をかけました。母さんが実験室に行くと、シルビーさんは腕を引っ張って部屋の片隅に連れて行きます。シルビーさんの目が輝いています。丸い台を指さし、鼻先を上に向けました。
「回転台。これだよ、赤珠の研究にはこれが必要なんだ」
母さんは、頷いていました。シルビーさんは、呪文のような言葉を混ぜて説明します。母さんは、聞き流しながら頷きを繰り返します。
それから、シルビーさんが三角フラスコでお湯を沸かします。母さんは、いつも座る椅子に腰かけました。シルビーさんが言うお客さん用の椅子は、何かのケースの木の箱でした。シルビーさんは、二つの小さなビーカーに乾燥した植物を大匙で一杯くらい放り込みます。そして、三角フラスコを慎重に扱いながら、お湯を注ぎました。母さんの手元にビーカーがくると、乾燥した葉っぱが気持ち良さように伸びをして、お茶らしくなります。母さんが「ふう」と息を吐くと、ビーカーが曇り、茶葉が揺れます。母さんとシルビーさんは、ビーカーのお茶を飲みながら、父さんの怪我や赤珠について話しました。
母さんの持つビーカーが緑色で、シルビーさんのビーカーが透明に近い黄色でした。
「シルビー、あなたのお茶、見せて」
「いやだね」
「どうして?私のお茶、苦すぎるわ」
シルビーさんが、八重歯を見せて笑います。
「そりゃ、そうだよ。脂肪を溶かす草だよ、ふふふ、たぶんね」
母さんは、息を止めてシルビーさんを見つめます。母さんは、シルビーさんのビーカーに鼻を近づけました。
「ペパーミント!ずるい!なんで、あんたのだけ、それなのよー」
母さんの手が、シルビーさんの手の辺りに伸びると、シルビーさんはビーカーを動かして遠ざけました。バスケットのボールを相手選手に取られまいとするかのようです。
「あんたは、そのお茶を飲む。何で今、お茶なんかに気をとられるんだい。赤珠だよ、大切なのは」
シルビーさんは、きっぱりと言いました。母さんは、「また、私で薬草の実験して。全く腹がたつ」と喉の奥でつぶやきます。そして、一口飲んで鼻から大きく息を吐きました。
シルビーさんは、自分のお茶のペパーミントの香を嗅いで眉を上げます。母さんのお茶には、疲れをとる薬草も入っていました。シルビーさんは、連日、父さんの看病をしている母さんを心配していました。
ヘッジ先生の処方をまとめて、蔦の袋に入れて母さんに渡した後、シルビーさんが言いました。
「それで、来週の始め、午前中に、あんたの家に行くのはどう?」
母さんは、少し床を見つめて考えました。熱も下がり、食欲も出てきた父さんが、御粥を食べている姿を思い出しました。来週なら、父さんはもっと良くなっています。
「いいわ。その日の午後は、ヘッジ先生の往診だから、じゃあ、午前中に家に来て」
「わかった」とシルビーさんが言います。
「そう言って、いつも忘れるのは、アンタよ」と母さんはシルビーさんを指さしました。
母さんは、そのシルビーさんとの約束を忘れていたのでした。




