10 危険の鳴き声
マロンは、「えへへ」と笑いながら、転がった実を拾いあげました。さっきソラにあげた実と同じくらいの大きさです。マロンは、アカトビが急降下してきたことに気が付きませんでした。アカトビはマロンだけを獲物と定めましたから、ソラとチクには目もくれません。父さんは走りながら、マロンめがけて大きく跳びます。父さんの手がマロンの背中に届きました。マロンは突き飛ばされて、道からそれた窪みに転がり落ちます。
「マロン!マロン!」
ソラとチクが走ってきました。
マロンは、何が起きたのか分かりませんでした。マロンは地べたに顔を打ちつけていました。チクが見上げるので、マロンも起き上がりながら空を見ます。遠くの樹へ鳥が一羽上がっていきました。その時、マロンは自分がその鳥に狙われていたのを知りました。マロンは、恐ろしくて毛が逆立ちました。
「父さん」
ソラが道で倒れている父さんに近寄ります。父さんの呻く声がしました。チクもマロンも、父さんが動けずにいることに驚きました。父さんがうずくまる場所に、血だまりができていきます。
ソラがチクに言います。
「ヨモギを探して」
ソラの言葉を聞いても、チクは立ち尽くしたままでした。
「チク、急げ」
ソラが目を覚ませと言うような大声を出しました。チクが弾かれたように走って、叢の中に入って行きました。
次に、ソラは上を見ながら、マロンに早口で問います。
「アカトビは、何処にいる?まだ、いるか?」
マロンは、遠い樹の梢にいるアカトビを指さして言いました。
「うん、まだこっちを見ている」
アカトビは、諦めきれずにこちらの様子をうかがっています。
「マロン、窪みに父さんを隠そう」
マロンの目には涙があふれてきました。アカトビは、今にもここに降りて来そうです。怖くて俯くと、涙が粒になって地面に落ちました。マロンは、震えて息を吸う度に「ひっ」と鳴いていました。ソラがマロンにゆっくりと言いました。
「今は、泣いちゃダメだ。今は、泣く時じゃない」
ソラは、額から落ちてくる汗を腕で拭くと、
「父さん、起き上がれますか」と言いました。
父さんは、血の付いた顔を少し上げました。このままここにいたら、間違いなく、アカトビは父さんを連れ去ります。父さんは、痛みの為に低い声を発しながら片方ずつ脚を立てます。ソラが左側の脇に入り込み、父さんの体を支えます。ソラは胸の内で、「急がないと、いそがないと」と呟いていました。マロンは、涙を拭きながらその後をついて行きます。マロンは泣くまいと思っても、涙が止まらないのです。
父さんが体に力を入れる度に、傷口から血が滴りました。草の上には、父さんの血が付いています。アカトビからは逃れましたが、この血の臭いは、直ぐに森のキツネなどが嗅ぎつけます。森は、弱った者に容赦がないのです。ソラは、父さんの傷を確かめました。脇腹から中央に切られたような傷があります。アカトビの曲がった爪は、触れた物を削っていくのです。そして、父さんの右手首は、深くえぐられていました。マロンはちぎれそうな父さんの手を見て、悲鳴を上げました。手首から血が絶え間なく出ています。ソラは、周囲に首を回し「チク」と鳴きました。この声は、マロンにも聞きとれました。マロンは危険の周波数がわかったのです。ソラは、チクに来るように言いました。遠くからチクの鳴き声がしました。
チクは、抱えきれないほどのヨモギを持って来ました。チクのしっかりした助けに、ソラの浅い息遣いが落ち着いていきました。ソラがヨモギの葉をとり、嚙み始めました。チクもマロンも真似します。マロンは、ヨモギが苦くてびっくりしましたが、父さんの為なら何でも我慢するつもりです。口が緑色になり、皆がヨモギの青臭さと味で鼻に皺を寄せました。口の中で柔らかくなったヨモギを吐き出します。そして、新しい葉をとり、また嚙みます。ソラが、噛んだヨモギを集めて父さんの手首に塗ります。父さんは、歯を食いしばりました。
「沁みるよね、でも、父さん、頑張って」と、ソラは脇腹にある傷にも塗ります。
マロンは口を動かしながら、樹の上の方を睨みます。アカトビは向こうへ飛んでいきました。
「アカトビ行ったよ」と、マロンはソラに教えます。
「よかった」
三人は目を合わせ、お互いの無事を確かめました。それから、ソラは少し考え込みました。
「チク、どうしようかな」
チクは膝をつき、ソラへにじり寄ります。
「ハリネズミの道で帰るのが安全だけど、この怪我では無理だ。だから、人の歩く道を行く。血が止まったら、父さんを二人で抱えて歩こう」
チクは黙って頷きます。
「マロン、ハシバミの袋、持って来て」
マロンがどこかに放り出してしまった袋を探してきます。マロンがソラに袋を渡すと、ソラはハシバミの実を草むらに放り投げ、空になった袋の側面と底を破きました。そして、父さんのヨモギを塗った手首に幅の広い包帯のようにして巻きつけました。ソラは、蔓の紐を結びながら、マロンに言います。
「マロン、血が道に落ちていくと思う。そしたら、それを隠してほしい」
マロンは「うん」と答え、血の跡を消していく役目を引き受けました。血の臭いをたどって、アナグマがハリネズミの家を見つけると家族全員が食べられてしまいます。
ソラは父さんをもう少し休ませたいのですが、この場所にこれ以上留まることは危険でした。
「父さん、行くよ」
ソラは、チクと一緒に脇から父さんの体を支えます。父さんは、目を細く開き、痛みに耐えています。ソラとチクと父さんが、叢から道に出て行きます。ソラがマロンに言いました。
「離れるなよ、マロン。僕らと離れたらダメだ」
チクが、ソラの反対側で父さんに肩を貸しています。ソラとチクは、歩きを早めます。父さんは、何度も足がもつれていました。それから、ソラとチクは父さんの体が急に重くなったのを感じました。ソラが下を見ると、父さんの足は地面に引きずられていました。チクは、ソラに目配せします。体の大きいチクなら、父さんを背負い歩くことができます。ここからは、チクが父さんを背に載せ、前かがみになって道を急ぎます。
チクは、背の針を立てないようにします。それでも、チクが不安になると背中の針が立ち始めます。チクは、歩みを止め、自分を励まして不安を抑え込みます。チクは「心配するな、できる。大丈夫だ」そう心の中で繰り返します。すると、気持ちが穏やかになり、また先に進むことができます。
ソラは、マロンと血の跡を消します。傷にヨモギが効き、血は大方止まったようです。偶に、濃い赤い色の点が地面に付くので、その箇所を掘り起こし、叢に血の付いた土を投げてやります。
ようやく、家の扉が見えた時、ソラの目に涙がこみ上げました。ソラは、汗なのか涙なのかわからなくなった頬を手の甲でぬぐいました。ソラが一つ心配なのは、父さんが暫く前から目を開けていないことでした。




