「1章-第6話:外界の錆びた箱の街」
ガタン、と木の軋む音が響いた。馬車が石畳を抜け、ドームの外縁部に近づいていく。
車窓に映るのは、初めて見る風景ばかりだった。
ノーアは目を輝かせ、じっと外に目を向けていた。緊張感よりも、どこか胸の奥でくすぶる“わくわく”のほうが勝っている。
(ほんとに……ゲーム感覚でいいのか?)
心のどこかで自分の危機感のなさを持て余しながらも、馬車がゆっくり進むたびに、彼の中で高まるのは不安ではなく期待だった。
車輪がゴトン、と段差を越える。辺りには貿易車両の姿が増え、建物の数は徐々に減っていく。やがて、巨大なゲートの全貌がその姿を現した。
無数のアームが並ぶ鋼鉄の構造体。圧倒的な威圧感を放ちながら、静かにその存在を主張している。
「ここが……検問所?」
思わずノーアは呟いた。声に出すことで現実感を確かめたかった。
視線を巡らせると、ゲートの端のほうにある搬入口が目に入った。そこには、ARCの車両から降り立ったローブ姿の人々が、次々と施設の中へと吸い込まれていく。
「あれ……ローブの人たち、どこに行くの?」
ノーアが指さすと、隣でサイラスが答えた。
「“スクリプト保持者”だよ。ドームのエネルギー源“マナ”の補充のために、ARCから定期的に派遣されているんだ。」
静かに語るその声には、教え導くような優しさが滲んでいた。
ユリウスが続ける。
「マナは兵器としても研究素材としても扱いづらいが……エネルギー効率は別格だ。まるで核融合を懐炉に詰めたようなものさ。もし制御できれば、それだけで世界のバランスが変わる。」
「だから、マナを精製できるスクリプト保持者って、一生遊んで暮らせるのよ!く~~っ、羨ましいっ!」
リディアがいつもの調子で声を上げる。だがその明るさに、水を差すようにユリウスが言った。
「そうでもないさ。マナは、どの組織も喉から手が出るほど欲しがる。拉致され、道具のように使われる……そんな現実もある。」
(……ってことは、自分が覚醒したら命が危ないってこと!?)
ノーアは背筋を正しながら、内心で青ざめていた。
だがサイラスは、落ち着いた口調で補足する。
「ただし、南極条約ではスクリプト保持者への人権侵害や実験行為は、国家レベルの重罪とされている。ARCに正式登録されていれば、安全は保障されているよ。」
ちょうどそのとき、馬車が止まり、車両の検査が始まった。サイラスが慣れた手つきで通行証を提示する。
ゲートの向こうに、護衛のジープが待機していた。
「バスティアン伍長、診療巡回の護衛にあたります」
整った敬礼のあと、もう一人の護衛、ディール上等兵がそれに倣う。
やがて馬車が再び動き出した。アスファルトから土へと変わる道の感触。車輪の揺れと軋みが、ノーアの胸にほんの少しだけ覚悟を灯す。
(見たい……これからどんな世界があるのか)
滑走路のように長く続く道を、馬車はゆっくり進んでいく。
密閉されたドームの内側とは違う、外の空気。風の匂いが、どこか懐かしく、それでいて新鮮だった。
馬車の窓から外を覗くと、遠くに巨大なコンテナ群のスカイラインが見えてきた。その向こうには、空を突くような超大型の煙突と、複雑に連なる工場施設の群れが広がっている。
ノーアは無意識に息を呑んだ。
(わー……なんか造船所を思い出すな。でもそれとは比べ物にならない広さだ。どうやって管理してるんだこれ?)
コンテナ街を見つめながら、サイラスが眩しそうに目を細める。
「医療技術やスクリプト保持者の存在で、病気や怪我で人が死ににくくなったこの大陸。その増え続ける人口を支えるための施設、それがこのコンテナ街だ。」
そう言う彼の声には、誇らしさと少しの重さが混じっていた。
「人の手はほとんどかからない。完全自立型の、理想都市だよ。」
「でも、これって……クリーチャーから守るドームがないから、危ないんじゃないの?」
ノーアの問いに、サイラスは静かに頷く。
「それぞれのコンテナ街には、国の兵士が常駐しているから一定の安全は保たれている。ただ、それでも被害者が絶対に出ないとは言えない。」
「ドームと違って、発見されたクリーチャーは“必ず”殲滅しなければならないからね。」
「へー……意外とクリーチャーって殲滅できるもんなんだね。だって、謎の生物なんだよね?」
「その通り。でも、怖がらせるつもりはないけど――ごく稀に“変態”して、異能化するクリーチャーも確認されている。そうなれば、多くの犠牲が出るケースがほとんどだ。」
不安そうに眉を寄せたノーアに、サイラスはやわらかく微笑んでみせる。
「とはいえ、そういう緊急時には、各地に駐屯する対クリーチャーの専門部隊が動く。安心していい。」
「へー……なんかちょっと、かっこいいな。憧れちゃうね。」
ノーアが無邪気に笑うと、ふと真面目な顔になって問いかけた。
「でもさ、ドーム内にもっと人を移せばいいんじゃないの? こんな危ない外じゃなくてさ。」
それに答えたのは、隣で書類を閉じていたユリウスだった。
「……理屈だけなら、君の言う通りだ。ドームには農地も空間もある。君が見た通り、居住スペースは十分に余裕がある。」
「技術的にも、百人や二百人を追加で入れることくらい、たやすいことだ。」
だが、ユリウスはそこで言葉を区切った。
「けれど、それを決めるのは“合理性”じゃない。“政治”だ。」
静かな語調のなかに、どこか乾いた皮肉が混じっている。
「ドームは帝国の所有物。どこに誰をどれだけ入れるか――それは都市と帝国が、何ヶ月もかけて“交渉”して決めるんだ。」
「しかも、住民一人につきコストが発生する。人を入れるというのは、管理、補給、治安、すべての負担を増やすことになる。」
「それに、一度入れたが最後、追い出すのはほとんど不可能に近い。だからこそ、帝国は慎重なんだよ。」
そして、ユリウスは口の端をわずかに歪めて続けた。
「――いや、慎重というより、あいつらは“自国の優位性”を手放したくないだけさ。」
「下手に情に流されれば、帝国の支配力が揺らぐ。」
「……それに、あいつらに“情”なんてものがあるとでも思ってるのかい?」
その言葉が、ノーアの胸に静かに残った。
(どの世界も……まだ人は、分かり合えてないのかな)
舗装の剥げた道路を、ジープが前方で減速し始めた。その直後、後方をゆく馬車も同じように足を止める。わずかに砂埃が舞い、空気がざらついた。
ジープの車内から、途切れがちな無線の音声が漏れてくる。周囲にいる兵たちの顔が、わずかに引き締まった。
トントン──。
馬車の外壁が軽く叩かれた。無骨な軍服に身を包んだバスティアン伍長が、緊張を滲ませた面持ちで顔を覗かせる。
「事後処理中とのことなのですが、どうやら第2コンテナ街区画付近にクリーチャーが現れたあとでして」
淡々とした口調だが、その言葉の端に不穏な空気が潜む。
「第1から第3までのコンテナ街区画の入り口は、現在すべて閉鎖中です。予定を変更し、安全性も兼ねて第5区画へ向かいます」
報告を受けたユリウスが、馬車の中から短く返す。
「了解した、軍曹。それで頼む」
「了解しました。では第5に向かいますので、誘導いたします」
伍長は一礼するとジープへと戻り、再び車両がゆっくりと動き出す。行き先を変えた一行の馬車も、それに続いた。
空には重く垂れ込めた曇天。どこか、遠くで警報のような音が小さくこだました。
馬車が止まったのは、無骨なコンテナが天を覆うように積み重なった巨大な検問区画の前だった。鋼鉄の関門。その脇には、国軍の警備拠点を兼ねたコンテナ施設が並び、馬車や軍用車両が停まる“駐車街”が形成されている。数人の兵士が警戒の視線を送りながら配置に就いていた。
「ご苦労さまです。ファルネイラ家診療班の通行申請です」
バスティアン伍長が無駄のない動作で書類を提示する。その動きに合わせるように、ゲートが低い金属音を響かせながらゆっくりと開いていった。
内部には、外気とは異なる密度をもった重たい空気が流れている。スピーカーからは自動音声が淡々と状況を告げていた。
「ようこそファルネイラ郷西部地区第5コンテナ街へ。現在の天候:外気24度。GPレベル0.9:警戒レベル1。推定人口:3,172名」
ノーアは馬車から降り、サイラス、リディア、ユリウスとともにゲートをくぐる。
目の前に現れたのは、まるで鉄の大動脈のように一直線に伸びる“メインコンテナストリート”だった。左右には巨大な骨組みコンテナが天井のように組まれ、足元では人波と自動搬送キャリーがせわしなく交差していた。
カウンター式の屋台や、コンテナをくり抜いたカフェが連なり、人々の熱気と焼き油の匂いが混ざり合う。どこか無機質で、それでも生きているような都市の息遣いがあった。
(あー、これってAmazones倉庫だよな……)
ノーアは心の中で呟いた。コンテナの壁沿いを、箱を山積みにした自動搬送キャリーが何台もすれ違っていく。それぞれ小型のロックボックスを搭載し、警告音を鳴らしながら器用に人混みをかき分けて進む。
近くでは、銀色のAIロボットが壁のひび割れに接着剤を塗っていた。壊れていない場所まで丁寧に磨き上げるその様子は、どこか“気まぐれ”な愛嬌があった。子どもたちがそのロボットに声をかけ、名前をつけてはじゃれついている。
「……人もロボットも沢山いるけど、誰がこの街を管理してるの?」
ノーアの問いに、サイラスが静かに答える。
「誰も、だよ」
その言葉に、ノーアは目を瞬いた。
「この街は“完全自立型”だ。通路の補修も、物流も、医療ですら――全部、こうしてAIや自走システムに任せられてる」
その言葉通り、通路の奥では医療コンテナが自動開閉を繰り返していた。
「効率を突き詰めれば、確かに楽だよ。極端な話、食料も届くし病院も案内される。寝てるだけでも、生きていけるかもしれない」
ノーアは小さくうなずいた。今にも飛び乗れそうなキャリーの軌道を目で追いながら、その場でくるくると回る。
サイラスはその様子を眺め、ふっと微笑み、続けた。
「でも……それって本当に“楽しい”かな?」
「無駄なプロセスこそが、人間らしさなんだよ。わざわざ歩いたり、迷ったり、知らなかったものに出会う――そういう“遠回り”が、生きがいになることもある」
「自然と戯れることって、本当に必要なのか……?」
ノーアは首をかしげ、しかし何かを感じ取ったようにまたキャリーを追い始めた。その先には、案内表示が掲げられている。《商店街→ポッド街→17街区 医療施設》
サイラスがそれを指さす。
「さ、行こうか。あのポッドに乗れば、医療区画まではすぐだ」
ゲートをくぐった瞬間、ノーアの目の前を、横に滑るようにポッドが走り抜けていく。
(うわーめっちゃSF感あるな。円柱型の一見シンプルですごく機能的なデザインだな、意外とスタイリッシュでいいね…)
ドアが開き、ファルネイラ一行が順に乗り込んでいく。ディール上等兵が開けたドアの横に立ち、バスティアン伍長が先導して確認を済ませると、最後にディールが乗り込んだ。
リニアポッドの車内に、乾いた振動が伝わってくる。
ファルネイラ家一行は横並びで座り、両サイドに立つ護衛兵たちが緊張の面持ちで周囲を見張っていた。その最後尾、ノーアは一人、背後の窓から外の景色をぼんやりと眺めていた。
視界の奥、真円を描くような美しいトンネルが、音もなく吸い込まれていくように続いていた。まるで異世界の臓腑を貫く光の管──そう思わせる静寂が、突如、破られた。
ガリッ。
金属がこすれるような音がした刹那、ポッドの上から何かが飛び出してきた。
「――!?」
ノーアの目が大きく見開かれる。そこには、カートに乗った三人の影。傾いた車体から車輪が火花を散らし、乗っている者たちはそれすらも楽しんでいるかのように笑っていた。
「なにしてんの!!」
声が裏返るほどの驚きに、三人はげらげらと笑い返した。命の危険さえ冗談のように見えるその様子に、ノーアは呆気にとられたまま、ただ見つめることしかできない。
ポッド内に電子音が響く。
「まもなく、第17コンテナ街区画に到着いたします。ご降車の方は、コールサインをご送信ください」
自動音声の案内に、ノーアは掲示板へ視線を移した。コールサインを確認しながらも、気持ちはまだあの光景に釘付けのままだ。
ふと、もう一度トンネルの外を見る。
さっきまで三人いたはずのカートに、いつの間にか一人だけが残っていた。キャスケット帽を目深にかぶった少年。年の近いその子は、こちらに気づいていたのか、ニコリと笑って――。
パンッ!
金属がはじけるような音とともに、その姿は煙のように遠くへと消えていった。
「やるねー、“カートダッシュ”。ここじゃ有名な遊び。度胸試しのチキンレースさ」
いつの間にか真横にいたリディアが、トンネルの方を覗き込むようにして口を開いた。さほど驚いた様子もない。地元の空気を呼吸する者だけが知る常識のような顔だった。
「まあ――地元の元気ってやつね」
その声に、ノーアはしばし沈黙したまま、ぽかんと口を開けたままだった。
(いやこれ……死なないの? どこかの国の“電車の上に乗っても怒られない文化”みたいに、ここじゃ“危ない”が成立してない……?)
ただただ、唖然。