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メビベルの空  作者: A2
第1章
6/18

「1章-第5話:思いの力」

 談話室では、穏やかなひとときが流れていた。

 サイラスとユリウスは、年季の入った本物のクラシックチェス盤を前に、静かに駒を動かし合っている。革張りの椅子に身を預け、グラスの中で琥珀色の液体を揺らすその姿は、まるで時間すらゆったりと歩んでいるようだった。

 一方で、その傍らにはまるで世界のテンポが違う人物がいた。リディアはリングデバイスを装着した手を何度も振りながら、画面の中の牛たちを追いかけていた。


 「んも~っ、また牛執事でなかったよ……これ本当に出現率あってんの?」

 彼女がプレイしているのは、人気牧場かくれんぼ系のゲームアプリ『パラダイス・カウズ』。牛たちの中に紛れて現れる“牛執事”という激レアキャラを追い求めるその様は、どう見ても貴族の姿とは思えない。

 (まあガチャの出現率なんて、無課金者には出ないように数値的にいじってるからな……そりゃ渋いわけよ。でもあんた、一応貴族だよね?)

 呆れ混じりの思いを胸に、ノーアはソファの背にもたれて姉のプレイを見守っていた。


 「そういえばさ、姉さま。おはぎの由来って知ってる?」

 ぽつりと投げかけた言葉に、姉は目を見開いた。


 「え! そんなことも知らなかったの?! じゃノーア、あんたただの“半殺し”じゃんっ! がははははっ!」

 その豪快な笑いに、サイラスもつられて吹き出す。


 「ぷっぷっ……」

 (んだあこの家族のこの態度は~……っ!)

 憤りながらも、どこかあたたかな気配に包まれるノーア。やがて姉がふにゃりとした顔で、腕を広げるようにして近づいてきた。


 「ごめんごめん、許しておくれよノーア~」

 (……こいつ、完全に有頂天になってやがる)

 そんな心の声を余所に、リディアはさらに得意げな顔で言った。


 「んじゃ、優しいお姉さまが――さらにおはぎにまつわる伝説を教えて差し上げましょう!」

 胸を張り、得意満面で話し始めるリディア。その口元には、今にも語り出さんとする物語の気配が宿っていた。


 室内を照らすのは、揺らめく魔力ランプと燭台のやさしい火。カーテン越しに差し込む月の光が、淡い影を床に落としていた。

 家族を包むその静けさのなかで、リディアが語り出した。


 「その昔ね……命を刈り取る“あいつら”がやってきたの。トウモロコシの精霊が怒るほどに……」

 静かに、しかしどこか芝居がかった口調で、彼女は続ける。


 「黒い羽音が空を埋め尽くして、畑も街も、人の命までも喰らいつくした」

 (……空気が、変わった)

 ノーアの胸の奥で、何かがそっと息を潜めた。

 キアが椅子から立ち上がる。何も言わずに、すっと部屋を後にした。


 「……人々は音に怯え、街はゴーストタウンみたいになってさ。月の照らす田園は、不気味なほど静かだった。一度見たら、もう二度と忘れられないあの夜の静寂──」

 リディアの声に、誰もが耳を傾ける。


 「血の匂いに集まる、羽音の悪魔。命を吸い、心を奪う。“これは本当に神が望んだ世界なのか……”って、誰もがそう思った」

 誰かが小さく息を呑んだ。

 重く、沈黙が落ちる。

 ノーアは気づいていた。さっきまで笑っていた姉の目が、ほんのわずかに揺れていることに。

 そして――


 「──ま、私は映画で観ただけだけどねっ」


 「ちょっと待って! 結局どうやって終わったの!?」

 ノーアが慌てて詰め寄る。


 「うーん、でもね……本人には全く似てなかったんだけどさ」


 「え、まさか……」


 「そう! ばあちゃん──“キア・ファルネイラ”。終わらせた張本人……伝説の人、その人なんだよ」

 リディアはどこか誇らしげに語った後、ふと周囲を見回す。


 「……あれ? いない?」


 「……ルフェルト連邦全域でのイナゴ型クリーチャーの大量発生。作物壊滅、都市機能の崩壊、史上最悪の被害。……だが、ファルネイラ郷だけは、最後まで持ちこたえた」

 ユリウスが静かに言葉を紡いだ。


 「……お義母さまが畑の小屋で作っていたのは、ただのお団子だったの。でもね、それを食べた人たちだけが、不思議と……正気を保てていた」

 アマーリエの声も、夜の静けさに溶け込むようだった。


 「……おはぎ……?」

 ノーアがつぶやくと、リディアがにやりと笑う。


 「そう、そのおはぎだよ、半殺し坊や」


 「本当に偶然だったのかもしれない。ただ、体質に合っただけだったのかも……でも──」

 アマーリエはそっと目を伏せた。


 「それ以来、お義母さまの近くには、イナゴが寄りつかなくなったの。どれだけ群れが迫っても、そこだけぽっかりと空が空いていたのよ」

 (誰にもわからなかった。でも──ばあちゃんだけは、知ってたんだ。“何か”に、触れていたから──)


 「記録には残っていない。ただ、被害の少なかった集落が“ファルネイラ郷”だった──軍やARCでは気づけなかった真実が、そこにあった」

 ユリウスが、淡々とした口調のまま言った。


 「……夜通し団子を作っていた母の姿を、私は聞き伝えでしか知らない。だが、そこには執念も悲壮感もなかったらしい。まるで、それが“当たり前のこと”であるかのように──」

 サイラスはゆっくりと目を伏せた。


 「……それ以来、母は無口になったという。……私は、“悪魔に魂を売ることで願いを叶える”という逸話も……あながち、嘘ではない気がしている」

 ノーアは手元の団子をひと口かじった。ほんのり甘く、でも……どこか、苦味が残った。

 (ばあちゃんの静かな背中が、なぜか胸に残って離れなかった)

 (忘れられない夜の静寂が、今は、さまよう魂を安息へと導いているように思えた──)

 窓の外、オレンジの光が静かに消えていく。

 ファルネイラ邸の中から、誰かのやさしい声が微かに響いてくる。

 夜の静寂が、そっと家を包み込んでいた。

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