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メビベルの空  作者: A2
第1章
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「1章-第3話:空を読んだ日」

 ノーアは、廊下の奥にある重厚な扉の前で立ち止まった。


 「そういやカギはないけど……本当に開くんだろな」

 手の甲には、昨夜サイラスに押された透明なスタンプが、うっすらと残っている。

(あのときのハンコ……これで開くって話だったけど)


 恐る恐るドアノブに手をかざすと、「カチャン」と音を立てて扉が開いた。

 「これあれか?遊園地の再入場の時の仕組みみたいな」


 初めての書斎。中は静謐な空気に包まれていた。

 ふと視線を落とすと、ドアのすぐ脇にリング型の端末が掛けられている。

 「これが使えてれば、本なんか読む必要ないんだけどな〜」

 ──記憶がよみがえる。姉の部屋で過ごしたある日のこと。


 リディアは端末を握りしめ、夢中になってゲームをしていた。

 「がー、また逃げ切れなかった〜! ケツがぞわ〜って緊張感たまらんわ」


 「姉さま、それってまさにハイテク端末だよね?」

 ノーアは羨ましげにそう言ったが、その表情はどこかあきらめを含んでいた。


 「お子様はね、12歳まで自分の端末持っちゃダメなの。ポルノ中毒防止だって、だから代わりにこの“リング端末”を大人が管理してあげるの」

 (なるほどね……新世界様はよくご存じですな、人の行く末を……)


 「寂しいならお姉さまが相手してあげるからっ、ねっ? ねっ?」

 (幼児とはいえ実の弟に何言ってんだこいつは……自分のせいじゃないけど、中身が三十路の俺にはちょっと罪悪感)

 ノーアは現実に引き戻され、書斎の静けさの中で軽く息をついた。


 「まあ仕方ないよな……とりあえず何か探すか……」


 棚を探ると、革表紙の重厚な一冊が目に入った。 「……あった!! これこれ、歴史書……」


 ページをめくる。 「なになに……カーディア大陸全体は七つの国に分かれていて……」


 「チッ、チッ、チッ、チッ……」

 一定のリズムで響く音。


 「……」

 ノーアは首をかしげる。


 「チッ、チッ、チッ、チッ……」


 「……あー!! ここ、時計あるじゃん」

 ──記憶の底から、さらに昔の場面が浮かび上がる。


 赤ん坊だった頃。自室で泣き叫ぶ自分。 「おぎゃー、おぎゃーっ!(バタバタ)」


 「母さん、ノーア、今朝時計の針を動かしてからずっとうるさいんだけど」


 「もしかしてクラシックな時計だから? 針の音が気になるのかもね……繊細さんなのかねぇ」


 ノーアは、書斎の椅子に座り直してみたものの、大きな振り子時計の音がやけに耳についた。


 「……これじゃ集中できないから、とりあえず牛小屋に行くか……」

 重たい扉を引いて、外に出る。敷地の奥にある牛小屋へと向かうと、牛たちの鳴き声が響いていた。


 「モー……モー……」


 「……」


 「モー……モー……」


 「……」


 「くそ、やっぱ本が読めない……」

 頭を抱えたその時だった。

 どこからか気配を察してか、オリゴが姿を現した。肩に小さなはしごを担いでいる。


 「坊ちゃん、ついてきなさいな?」


 「?!」

 数分後、ノーアは屋根の上にいた。  はしごを使って登った先には、ちょっとした足場が設けられており、風が気持ちよく吹き抜けていた。


 「うわー……なんだか、同じ家でも見え方がぜんぜん違う気がするな……よしっ」

 背伸びをして、巨大なドームに囲まれた街の風景を一望する。

 そこには、静かで、自分だけの時間が流れていた。


 授業の復習として読み始めた教本だったが、ノーアの頭の中では、いつの間にか世界の地図が描かれはじめていた。

 世界は、大きく分けて――カーディア大陸に属する五つの国と、周囲に点在する四つの島国から成り立っている。

 そのうち、今自分が暮らしているのは、カーディア大陸西部に位置するルフェルト連邦。隣接して、ゼンメリア帝都群、ギザール自治区群、そして軍事国家として知られるグラズナ帝国がある。さらに大陸中央には、かつて三つに分かれていた国家を一つに統合したヴェルセリオ共和国が鎮座している。

 (ナビィルゲート……)

 約二百年前、突如として大陸中央に現れたその現象が、世界の在り方を根底から変えてしまった。

 ゲートから発生する未知の粒子――ゲート粒子(Gate Particle:GP)は、今や大陸のあらゆる場所に満ちている。とりわけ地上では、GPの濃度によってはデジタル機器の制御が著しく不安定になるという。

 (つまり……便利な機械があっても、それが動くとは限らない世界だ)

 そして何より、この粒子は空にも広がっていた。成層圏あたりまで世界全体がGPに包まれており――そのせいで、飛行機のような空の技術は、事実上存在しないのだという。

 ノーアは、ページの隅を指で撫でながら、そっと息を吐いた。

 (空が、使えない世界……)

 その一言が、なぜか妙に心に残った。


 仰向けになったまま、ノーアは手を空にかざしていた。

 指の隙間からこぼれる陽の光が、ちらちらと視界を刺激する。まるで光そのものが粒子となって、指先で舞っているかのようだった。


 「空は、こんなにもきれいじゃないか……」

 そうつぶやいた後、彼は体をゆっくりとうつ伏せにし、先ほどまで読んでいた本のページをめくった。

 紙の擦れる音だけが、静かな屋根の上に響く。周囲の世界は、まるで彼一人のために静止しているかのようだった。

 (GPも厄介ではあるが、ゲートが恐ろしいのは……クリーチャーの存在だ)

 目を追うたびに、頭の中に地図と情報が広がっていく。本に記されていた内容が、ゆっくりと彼自身のものになっていくのを感じる。

 (この存在こそが、かつて“ファンタジー”や“フィクション”とされていたもの……)

 だが今では、まぎれもない現実だった。

 ふと顔を上げると、遠くにそびえる巨大なドームが目に映る。


 「それでこのドームが、日々人々を守っているってことか……」

 その構造物は、まるで世界にぽっかりと開いたガラスの天蓋のように、都市を包み込んでいた。

 視線の端に、麦わら帽子をかぶった女性の姿が映る。陽光を浴びたオレンジ色の髪が風に揺れ、大きなメガネが彼女の顔のほとんどを覆っていた。


 「おっと、そろそろだな……」

 ノーアは立ち上がり、大きく両手を上げて背筋を伸ばした。軽く体をほぐすように、屋根の上でしなやかに伸びをする。

 ひとときの静けさが、風とともに過ぎていく。

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