「3章-第11話:次へ継ぐ花」
静かな病室に、リネンのシーツが擦れる音がかすかに響く。
白く染まった天井をぼんやりと見上げながら、ノーアは自分が生きていることを、ようやく実感していた。
そのとき、廊下から聞き慣れた声が近づいてくる。
「――はぐは、まだお預けだね……」
「ノーア、入るよ?」
カーテンがゆっくりと開く。
差し込んだ光の向こうには、見知らぬ男女と――姉のリディア、そしてセルジュの姿があった。
リディアがそっと笑いかける。
「体、もう大丈夫そう? あんまり無理しないでね」
見慣れない面会に、ノーアは少し戸惑いながらも目を向けた。
「この人たちは、私の所属するユニット“ラン8”のメンバーで、ナビラとリーダーのフェリクス」
姉の紹介に促され、ノーアはベッドの上で上体を起こし、軽く会釈をする。
「はじめまして……」
その言葉に、眼鏡の男がふっと笑みを浮かべ、中指で静かにフレームを押し上げた。
「そのままで結構。私は、君の姉のユニットを仕切るフェリクス・マルヴィス」
「あたいはナビラ・エンジン。よろしくね」
フェリクスがノーアをまっすぐに見つめ、静かに言葉を続けた。
「失礼ながら――あんな事件の後、ほぼ無傷で生還できたことは、とても幸運だったと思う」
その視線の強さに、ノーアは思わず姉のほうに目を向けた。
リディアが肩をすくめて、柔らかく笑う。
「ノーア、リーダーがこの一件に気づいてくれたおかげで、あなたを失わずに済んだのよ」
「……すみません。本当に、ありがとうございます」
ノーアの言葉に、フェリクスは小さく首を振った。
「こちらの任務でも、大きな事件が起きてね……俺が気づかなくても、遅かれ早かれ誰かが辿り着いていたさ」
その言葉にかぶせるように、軽快な声が響く。
「なに言ってんのよ、謙遜するタチじゃないくせに。遅れてたらノーアは今ここにいなかったし、天才少女のあたいの活躍なくして、この事件の真相は闇のままだったんだから!」
ナビラが胸を張ってそう言うと、ノーアはもう一度、頭を下げた。
「皆さん……本当に、ありがとうございます」
「はいはい。ノーア、ごめんな。こういう恩着せがましいこと言うやつもいるけどな」
セルジュが肩をすくめて笑い、ツッコミのように言った。
そのやり取りを見届けながら、フェリクスはふっと目を細める。
「……きっと君が生きていてくれたことで、救われた人もいたはずだ。」
「そして今、君がここにいてくれることを、誰より嬉しく思ってる人が、すぐそばにいる」
言葉の重みに、ノーアは何も返せず、ただ静かに瞬きをした。
(……生きてるだけで、誰かが救われる)
誰かが、そんなふうに言ってくれた気がした。
ナビラがじっとノーアを見つめたあと、にやりと唇をゆがめて言った。
「それにしても、ちっこくてかわいい弟さんだねぇ……リディアが過保護になるのも、わかる気がするわ」
「そりゃ姉ですからね、過保護にもなりますよ。魅力を感じても、手は出すなよ」
皆が笑い声を上げる。空気が一気に和らいだ。
「誰もが誰かのために、火を灯すことは簡単じゃない……だからリディアがいつも話す“君”に、一度会ってみたかったんだ」
フェリクスが静かに言ったそのとき、横でセルジュがぼそりと呟いた。
「……俺のバイクはないけどね」
「ごめんごめん。でもそれはもう謝ったじゃな~い!」
リディアが陽気に手を振って応じると、セルジュは軽く眉をひそめる。
「“ボンバーアタック”はないでしょ、人のバイクで……」
「でたっ! ネーミングセンスゼロの必殺“ボンバーアタック”!(笑)」
ナビラが吹き出しながら肩を叩く。
「今度、埋め合わせはするからさ!」
「おっ、埋め合わせ? なになにそれ~?」
にやりと目を細めるナビラに、リディアが一瞬ぎこちない表情を見せる。
そのにぎやかなやりとりのなか、ふと空気が落ち着いた。
フェリクスが、誰に語るでもなくぽつりと呟く。
「……今回の件、どう考えても単独犯じゃ済まない。」
「帝国の工作と見て間違いないだろう」
「仮説ではあるが……群れが本当にナナシ村を目指していたとすれば、あそこには我々の知らない“何か”があるのかもしれない」
低い声に、リディアとセルジュが黙って頷く。
ナビラは、どこか険しい目をしていた。
そのまま、フェリクスはノーアの方へと手を差し出した。
ノーアはその意図を悟り、そっと手を握る。
「……自分を、大切に」
その言葉は、静かに、確かに胸に沁み込んだ。
「さあ、そろそろ行くぞ」
フェリクスが静かに促すように言った。
「え~、もう~」
「病院の食堂も気になるよな……」
セルジュの言葉に、明るい空間にふたたび笑みが溢れる。
「またあとでね、ノーア」
フェリクスが歩き出し、それに皆が続くようにして病室をあとにした。
――静寂が戻る。
過ぎ去った声の余韻だけが、病室の空気にゆっくりと溶けていく。
窓際に飾られた花束に、やわらかな光が差していた。
その輝きは、やけに眩しく感じられた。
縦にそびえるステンドグラスが、春の陽光を幾重にも屈折させていた。
その聖堂の左右には、いくつものステンドグラスが静かに並んでいる。
まるで“記憶の回廊”のように、ゲート開通以降、わずか二百年の間に人類が遭遇した災厄の数々が、色彩を帯びた光となって語られていた。
黒き羽根が空を覆い、農地を喰らい尽くした《黒翼の渦》。
死を超えた静寂が、すべてを凍てつかせた《永劫雪》。
幸福さえも毒牙で侵した《嘆きの鐘》。
――そして他にも、名も知れぬ苦難の記憶が、いくつかの窓に静かに封じ込められていた。
その中央。
聖堂でもっとも高く、もっとも大きな一枚には、七人の剣聖たちが描かれていた。
神を名乗る存在に挑み、全員が命を落としながらも、世界の終焉を止めた者たち。
空には裂け目が走り、地には名もなき花が咲いている。
光の剣を掲げるその姿は、犠牲と希望、祈りと継承を象徴するように輝いていた。
荘厳な沈黙の中、堂々たる騎士たちが並び立つ列の先に、リディアの姿があった。
師であるマスターから、一本の剣が授けられる。
研ぎ澄まされたその刃が光を弾くたび、少女だった日々が遠のき、
彼女の中に、剣士としての新たな物語が刻まれていくようだった。
「そして、春が巡り……」
ノーアの声が、遠い記憶をなぞるように重なった。
「姉は夢見た“剣聖”になり……」
数日後、駅のホームに立つノーアは、家族に見送られながら、列車のステップを一歩ずつ踏みしめていった。
「僕は、希望した最先端の医療技術を学びに、ネオトーキョーへ……」
列車が発車すると、すぐに静寂が訪れた。
薄暗い車内。外の光はフィルム越しのように柔らかく、どこか現実感を遠ざけていた。
ノーアは自分の膝の上に置いた、透明なキーホルダー型の小さなカプセルを見つめる。
その中に浮かび上がるのは、一輪の“祈り花”――セレスティア草。
ホログラム投影によって再現されたその花は、まるで本物のように揺れていた。
金と青の光が、波紋のようにゆっくりと車内に広がっていく。
まるで、
祈りが――呼吸しているかのように。
(……そこに誰もいなくても。)
(あの村の記憶に、私はまだ、呼ばれている)
ノーアは静かに目を閉じた。
列車の振動が、心臓の鼓動と重なっていた。
【第3章fin】




