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メビベルの空  作者: A2
第3章
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「3章-第7話:祈る花の丘」

 ナナシ村の集会所。土壁と木枠の古びた玄関口に、町の空気をまとった一台の黒い公用車が静かに停まった。

 後部のドアが開き、まず目に入ったのは、きっちりと整えられた青いスーツ。

 そのスーツを身にまとっていたのは、柔らかな金髪をきれいに撫でつけた、笑顔の似合う男だった。

 外したサングラスからのぞく目元は明るく澄んでいる。日に焼けた頬と柔らかな表情には、都会の人間とは思えないほどの親しみやすさがあった。


 「お世話になります。ヴェルセリオ共和国 都市保全局 外郭民間セクター監査部・第三室、レノ・グリュムス監査官です」

 彼は丁寧に任命証を差し出し、穏やかに頭を下げる。その声には威圧感や権威など微塵もなく、むしろ遠路をわざわざ訪れた礼儀正しさがにじんでいた。

 村長のグゼノ・ヴェルティエルは、いつものように遠方からの使者を快く歓迎している様子で、微笑を浮かべて応じた。


 「遠くからよくお越しくださいました。村長のグゼノ・ヴェルティエルと申します。グリスム……ええと、グリム、グリュム……」


 「ありがとうございます。レノで結構ですよ。グリュムス、ちょっと呼びづらいでしょう?」

 冗談めかしたそのひとことに、場の緊張がさらに和らいだ。


 「お見苦しいところ申し訳ないですじゃ……では、レノ監査官。どうぞこちらへ」

 グゼノが扉を押し開けると、レノは軽く会釈をしてから、随行の役人とともに集会所の中へと歩みを進めた。

 玄関先に残った村人たちは、どこか安心したように、その背を静かに見送っていた。



 片側の壁がない土の廊下は、解放感に満ちていた。

 風が通り抜け、土と木の匂いが静かに混ざり合う。整えられすぎていないその空間は、不思議と人の歩調を乱さず、自然に心を落ち着かせる力がある。

 そんな廊下を、四人の影が並んで進んでいく。

 遠くの方では、屋内と庭を行き来する子どもたちの姿が見えた。開け放たれた部屋には扉もなく、木製の床を裸足で駆ける足音が、笑い声とともに響いている。

 その光景に一瞬だけ視線を向けたレノの前で、村長がふと立ち止まり、振り返った。


 「ではこちらへ……。レン隊長も、ご一緒に」

 村長がそう声をかけると、背後に控えていたティリスが一歩前に出た。


 「ノラン軍曹はここで待機」

 隊長――カーロが静かに命じる。


 「了解しました」

 ティリスが軽く敬礼し、その場に残る。

 扉が開くと、ほんのりとした土の香りと共に、素朴ながら丁寧に整えられた空間が現れた。

 木の梁に吊るされた天井ファンが、ゆっくりと回っている。

 壁際には折りたたみ式のパーテーションが立てかけられ、布張りの低いソファと傷だらけの木製の机が据えられていた。

 机の上には、小さな盆に乗せられた湯呑みが三つ。うっすらと水滴をまとい、冷たい緑茶が静かに揺れていた。

 土壁には古地図と祈祷の飾り布。古びてはいるが、来客をもてなす配慮が感じられる、辺境の村らしい応接室だった。

 扉が静かに閉まり、室内には村長、レノ監査官、カーロ、そしてレノに同行していた記録係の四人が入室した。

 応接セットの向かい合うソファに、村長と監査官がそれぞれ腰を下ろす。カーロは村長の背後に控え、もう一人の男は監査官の斜め後ろの椅子に静かに腰を下ろし、ノート型端末を開いた。


 「あの……そちらの方は??」

 グゼノが控えめに尋ねる。


 「気になさらず。彼は記録を取っているだけです。話し相手にはなりませんよ」

 レノは気さくな笑みを見せたあと、手元のジュラルミンケースを開く。中から数枚の資料を取り出し、村長の前にそっと差し出した。


 「早速ですが、本題に入らせていただいてもよろしいでしょうか」


 「ぜひ、お願いいたします」


 「本日、私どもが訪問させていただいた理由ですが……“スカージュ症”をご存じでしょうか?」


 「もちろんです。以前、村の都市部であるセリカの方で流行した病ですね」


 「その件です。ここから数キロほど離れた場所に、国が新たにインフラを整備した医療奉仕施設を建設しまして。そこを拠点に、まずは子どもたちの健康状態を調べるようにという通達がありましてね」

 レノは言葉を選ぶように、慎重に、けれど穏やかに話し続けた。


 「小さな村の暮らしでは、人間ドックのような診断を受ける機会自体が限られてしまう。」


 「今回の一件を機に、国としても“文化遺産”ともいえる小さな村々に目を向け、後世へとつなげていこうと動き出した……というわけです。」


 「国の文化遺産……?!滅相もない……しかし、そうでしたか……」

 村長は申し訳なさそうに視線を落とした。


 「いつの時代も、子は宝ですからね」

 レノの言葉に目を細めた村長だったが、すぐに顔を曇らせ、どこか困ったように口を開いた。


 「誠に申し訳ない……」


 「はい?どうされました?」


 「誠に勝手ながら、今回は衛生面の視察かとばかり思い込んでおりまして……田畑の営業面積を少しでも保ちたく、実はすでにARCによる医療奉仕で健康状態の診断を終えてしまっておりまして」

 少しの沈黙ののち、レノは破顔した。


 「なるほど、そうだったんですね。……ふふっ。」

 その笑みには、責めるような気配は一切なかった。


 「それは仕方のないことです。村の維持には、そういった先を読む判断こそ大切ですからね」

 室内には柔らかい空気が戻っていたが、カーロだけは特に関心を示すこともなく、無言で二人のやり取りを見ていた。


 「では、村内を少し見させていただければと思うのですが」

 レノがそう問うと、グゼノは明るくうなずいた。


 「どうぞ、どうぞ! では、すぐにご用意いたしますね」

 応接室のドアが開き、最後にカーロが一歩外に出ながら、廊下に控えていた軍曹に声をかける。


 「すまん。村の警戒を頼めるか」

 ティリスは返事をせず、ひとつだけ敬礼すると、踵を返して村の方へと歩き出した。

 その背に視線を合わせることなく、カーロは無言のまま自然と瞬きを繰り返す。

 そして、わずかに息を整えてから、応接室の扉へと向かった。



 丘の上の集会所、そこに広がる庭一面には、金と青の彩りが揺れていた。

 透き通るような青を帯びた薄金色の花々が、陽光に照らされるたびに、まるで呼吸するように色を変えていく。

 風が吹くたび、光と色がさざ波のように揺れ、幻想的な景色をつくり出していた。

 その花畑の周囲で、子供たちは歓声をあげながら駆け回っている。

 ノーアもその輪の中にいて、笑顔で追いかけっこに加わっていた。あどけない笑い声、草の香り、やわらかな風。すべてが、日常のかけらのようにそこにあった。

 ひとしきり走ったあと、ノーアは花畑の真ん中で背伸びをして、空を見上げた。

 目の前に広がるのは、山の緑と、村の屋根が小さく連なる風景。そして、どこまでも続くような花の園。

 (うーん……うちから見る景色もいいけど、ここは小さいけど力強く感じるな…)

 (親父が見たら「いいなこの眺め……よし!手作りの丘を作ろう!」とか言い出すのかな)

 思わずその場に倒れこむと、風にそよぐ花びらの音が耳元をくすぐった。

 そのとき、連絡通路の方から誰かの声が届いた。


 「では、ガイドのジープでカーロ隊長含め四人で回りますか」

 グゼノ村長の低く穏やかな声だった。

 ほどなくして、廊下からひとりの男が姿を現す。

 彼は廊下の木陰から一歩踏み出し、日の光に照らされた花畑の中央へと歩を進めた。

 パリッとした青のスーツ。草の匂いや土の色とは無縁な、都会の空気をまとったすがたが、そこにあった。


 「おー、これは……なんと素敵な花ですね」

 思わず声が漏れるほどの光景だった。

 陽光に波打つ花々の色彩が、彼の無表情な顔をもわずかに和らげる。


 「青いおじさんだ!」


 「ほんとだ!あははは!青いおじさんだー!」

 子供たちが声をあげて駆け寄ってくる。花の間を縫って、まるで新しい遊びを見つけたように。


 「これは……なんという花なんですか?」

 しゃがみながらレノが尋ねると、子供たちは一斉に声をあげた。


 「セレスティア草!」

 元気な男の子が胸を張って叫ぶと、少し離れた場所にいた女の子が、はにかみながら小さく続けた。


 「……祈り花、って呼ばれてるの」

 レノが目を丸くして見返すと、別の子が胸を張って補足する。


 「セレスティア草は、ここにしかないんだよ!」

 誇らしげなその声に、すぐ隣の子が言葉をつなげる。


 「印なんだよ、その花は……」

 ぽつりと落ちるようなその声は、まるで何かを守る呪文のようだった。


 「次の子供たちにつなげるんだってさ」

 今度は年長の子が、少しだけ大人びた声で言う。


 「多いほうがいいんだよ」

 すぐに元気な子がはしゃぐように続けると、


 「だってそのぶん、“希望”が宿ってるってことだもん!」

 と、自信満々に胸を張った。

 その最後に、先ほどの女の子がもう一度、小さくそっと言った。


 「……だから、“祈り花”なの……」

 その静かな声が、風にのって花畑に溶けた。

 レノはしばらく何も言わず、ただ一度、ゆっくりと頷いた。

 そして、おとなしそうな子が一本の花を摘んで、そっと彼に差し出す。

 レノは膝をつき、丁寧に受け取った。

 その花に鼻を近づけると、かすかに漂う、蜜とミントの甘い香りが鼻腔をくすぐった。


 「まさに、スイートなお話でした……ありがとうございます」

 そう言って立ち上がるレノを、子供たちは無邪気な笑顔で見上げていた。

 その光景を、ノーアは少し離れた場所から静かに見つめていた。

 (なんて優しい世界だろう……)

 さっきまで無縁だった男が園になじむように見えた。

 (……けど、今の俺に、あんな笑顔も“演じられる”のかな……)

 風がまた吹き抜け、セレスティア草の群れがさざ波のようにそよいだ。

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