「3章-第5話:覚悟の先に」
乾いた地を蹴って、蹄の音が空気を裂いていく。
グラセール駐屯地の訓練場では、数人の兵士が騎乗訓練に励んでいた。その先頭を走るのは、一際目を引く若い女騎手。
リディア・ファルネイラ。
しなやかに鞍上を制しながら、風をはらんだ戦装束の裾がわずかに翻る。金属の腕甲が光を弾き、鍛えられた体幹は馬上でも微動だにしない。
鋭い視線が隊列を見渡し、その背に漂う気迫は、訓練中の兵士たちを静かに鼓舞していた。
「……っ? 馬の様子が……おかしい?」
その瞬間だった。施設内に設置されたスピーカーが、警報と共に機械的な音声を響かせる。
「警告。警告。南東方向より、外来種“ソルムシュラ”の群れが接近中──」
「群体数、推定二十──」
場内が一瞬、静まり返った。風を切る蹄の音さえ、耳の奥に遠のいていく。
「進行ルートはここ、グラセール市街に向かっています。兵士およびARC派遣部隊は、即時戦闘準備に入ってください。」
「住民の避難指示は段階的に移行。周辺の重要インフラには保護措置を講じること。」
「繰り返します。ソルムシュラ群は現在、グラセールに向かって進行中──」
たじろぐ兵士たちの表情が、こわばる。
「二十体!? そんな数、ありえねえ……」
「うそだろ……群れって、あのソルムシュラの……?」
ざわつきが一気に広がり、馬の息づかいにも不安が混じる。だが、リディアの声音はひときわ鋭く空気を切り裂いた。
「──全員、訓練中止! 各自、持ち場に戻りなさい。速やかに正規軍の管理下に合流を!」
有無を言わせぬ号令が響くと同時に、兵士たちが動き出した。
号令を受けた兵士たちは、不安を押し殺しながらも、それぞれの持ち場へと駆け出していった。
さきほどまで怯えた声を漏らしていた者でさえ、背を向けず、黙って武器の手入れに向かっている。
リディアはその様子を、馬上から静かに見つめていた。
(……みんな、家族なんだよね)
その背中が胸に残り、護るべきものの輪郭が、少しだけくっきりと浮かぶ。
けれど今は、想いに引き寄せられるよりも、やるべきことがある。
「……」
彼女は手綱を引き、駐屯地の奥へと馬を向けた。
駐屯地内中枢の作戦室には、重苦しい空気が支配していた。
中央のデスクには立体の地形模型が広がり、その上に索敵データに基づいた位置情報のホログラムが淡く投影されていた。
周囲には索敵データの補足資料が手書きで並び、索敵兵の操作するソナーとは神経接続用のケーブルが伸びている。
数人の兵士が模型の周囲に集まり、私語もなく整然と上官の到着を待っていた。
重い扉が開く音がすると、直ちに一人の兵士が声を張る。
「ガランザ司令、入ります!」
全員が一斉に背筋を正し、敬礼。
司令が室内に一歩足を踏み入れると、そのまま誰ひとり無駄口を叩かず、全員が作戦態勢へと戻った。
「状況は?」
西部辺境の防衛拠点──グラセールの司令官、エリオ・ガランザの声音は、静かに場を制するような低さを帯びていた。
深く抑えられたその声には、無駄な焦りは一切なく、長年の経験と判断力がにじんでいる。
だが同時に、鋼の芯を含んだような硬さがわずかに残響し、そこに“決断を下す者”の重みが宿っている。
「本日十三時十二分、南方監視塔にて外来種“ソルムシュラ”の群れを確認。現在の進行方向はグラセール市街、接触まで約五十分と推定されます」
報告したのはカミル・トレーガ中尉。書類の束を腕に抱え、冷静な声で告げる。
「数は?」
「群れの規模は二十体以上。偵察によると、その大半が成熟個体です。」
「対集団戦用の装備は、本部へ念のため要請済みですが……この場は現有戦力で対応する必要があります」
通信兵が素早く続ける。
ガランザは短く息を吸い、眉をしかめた。
「……二十体。前例は、ないな」
言葉の先にわずかな静寂が落ちる。
「敵国の軍事的関与の可能性も捨てきれん。各監査と索敵班には、最高警戒を指示しろ」
「時間がない。──案のある者は?」
その声に反応して、再びトレーガが前へ出る。
「進行ルートに罠を設置し、群れを分断。そのうえで小隊単位で個別に迎撃するのはどうでしょう」
「殲滅には有効かもしれん……だが、戦闘員は三十名。分断しても、一体に対して一人か二人……持ちこたえられるか?」
「……否定はできません」
トレーガは眉根を寄せて口を閉じた。
その間も、索敵兵の脳波リンク装置が弱々しくうなりを上げていた。
通信兵がソナーに目を走らせながら声を上げる。
「GP濃度の影響で無線は遮断されています。現在は南方塔からの信号弾を目視で補足中──白、確認」
「奴らはただの獣ではない。村の住民を速やかにシェルターに避難させろ。我々は拠点に籠り、迎撃体制に入る。準備を急げ」
その言葉が落ちた瞬間、作戦室の空気が凍りついた。
誰もが理解していた──これは“防衛”ではなく、“籠城”に等しいと。
敵の数、武器の差、地の利。全てが揃わぬ中で、司令の決断は最善であり、同時に敗北を許容した命令でもあった。
だが、誰も異を唱えなかった。
言葉を呑み込み、感情を胸の奥へ押し殺し、兵士たちは動き出す。
その背には、決して口にできない“恐れ”と、それを上回る“誇り”が同居していた。
「食料と弾薬を最優先でシェルター内へ。急げ!」
ガランザの命令が再び飛ぶ。
それを合図に、静かだった部屋が、今度はきびきびとした足音に満たされていった。
そのとき、別の兵士が部屋に駆け込んだ。
「申し上げます!ARCユニット、ランタノイド08のリーダーが入室を要望しております!」
ガランザはうなずいた。
すると、扉の向こうから寡黙な男が入ってくる。
「失礼を承知の上で、ひとつ進言させていただきます」
フェリクスの声音は低く抑えられていたが、そこには理性と緊急性が滲んでいた。
「この町の現行装備と戦力では、あの規模の外来種群に対する正面制圧は現実的ではありません。そこで、戦況を鑑みた上で、いくつかの作戦案をご用意いたしました」
「手短に頼む」
ガランザは即答した。
「では、中央の索敵班とのデータリンクを私の部下に許可いただけますか」
「……何を言っている」
トレーガが眉をひそめる。
「許可しよう」
即座に返された返答に、トレーガは目を見張った。
「司令?!」
「一刻を要する。それに避難準備も併用している今、この拠点が落ちれば、周辺村にも被害は及ぶ。時間が惜しい」
沈黙が落ちる。
「それにこの状況で、独自の作戦案を持参しているというのなら──聞くに値するのだろう?」
「ありがとうございます。では、ナビラ」
呼ばれた声に応じて、ナビラが無言のまま前へと歩み出る。
彼女は自らの端末を中央のデスクへと接続し、淡々とリンク処理を開始した。
地形模型の上に、ホログラムが浮かび上がる。
静まり返った模型の上に、フェリクスの意図が形を取り始める。
その場の空気に、目に見えぬ“指揮”が流れ込みはじめていた。




