「3章-第1話:赤土の村へ」
※この章には一部、暴力・脅迫・流血などセンシティブな描写を含む話があります。
精神的な負担を感じやすい方はご注意ください。
昼下がりの陽が、真上から容赦なく大地を照らしていた。
赤土の混じる一本道を、一台の高機動車両が、重々しい音とともに進んでいく。車体の側面には【ARC-07M】の識別番号。泥を被ったその下に、うっすらと“ARC医療支援機関”のマークが見えた。
車両はハマータイプのオープン後部座席型。横向きベンチシートの下には、医療器具や野営用具などの装備がしっかりと収められている。
運転席には地元ガイドと、陽気な衛生兵のコルン。後部には、隊長のエルノが座り、向かいにマルタとノーアが揺られていた。
遠くで鳥の声が響き、かすかに川のせせらぎが耳に届く。水田が広がる穏やかな風景の中、車両はタイヤの跡を赤土に深く刻みながら、前進を続ける。
「大分道も荒々しくなってきたね」
ノーアがぼそりと漏らすと、マルタが横から顔を覗き込んできた。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
エルノが眼鏡越しに微笑む。
「ここまでの長旅によく耐えたよ」
「ルーテリアの交易都市から村をいくつも抜けて……移動だけで丸二日ですもんね」
「いや、乗ってるだけですから」
照れ隠しのように肩をすくめるノーアに、エルノが肩をすくめて返す。
「こんな辺境の地に来てまでARCの推薦が欲しいとは……」
「ネオトーキョーの医療大学に進学したいと思ってまして……」
「?! そんな最先端の大学に行くんだ! それはすごいね……私たちも負けてられないな」
目を輝かせるマルタに、ノーアは軽く頭を下げた。
「皆さん、こういう旅慣れてるんですよね……尊敬します」
(サラリーマン時代、台風が来てたけど草津温泉に向かったんだ。高速が閉鎖されて、みんな車を捨てて歩き始めた。あの光景、今でも忘れられない……俺は面倒だし、トラックの陰で用を足したけどね……)
「確かにこれだけの距離を飛行機なしで……」
「……飛行機?」
(しまった?!)
「あははは! 領主のご子息は発想が違うな……旧世代の乗り物が今でもあったら、確かにあっという間につけるかもな!」
エルノが笑いながら、少しだけ真顔で言った。
「しかしな、こうやって苦労した後の一杯が格別なんだよ」
「主任、妄想で酔わないでください……任務、これからですからね」
マルタが眉をひそめる。
「まあまあ、そんなに固くならなくていい。不味い酒だって、楽しく飲めばうまいもんだよ?」
どこか誇らしげに笑って、エルノは続ける。
「早く終わらせて、セリカ・グラントに戻ってルーテリアの郷土料理を肴に一杯やりたいな」
「これが終わったら、みんなで温泉でも行くか?」
(郷土料理……温泉……)
ノーアの鼻先に、熱でむっとした赤土の匂いが漂っていた。汗ばむ背中、湿ったシャツの襟元――ここがどこかも忘れそうなほど、遠くに感じられる文明の匂い。けれど、言葉だけで景色が浮かんでしまう。
(涼しい座敷、土鍋から立ち上る湯気……湯に浸かって、冷たいジュース……)
思わず喉が鳴った。だが現実は、むせ返る陽射しとガタつく車体。
(下戸の俺でも――今なら、ビールがうまいと感じるかもしれない)
ノーアはごまかすように、無言でペットボトルを一口飲んだ。
その瞬間、運転席との間のスライド窓がガラリと開いた。
「談笑中申し訳ありません主任。そろそろナナシ村につきます」
コルンの声が軽やかに届く。
「了解した、コルン」
エルノが応じた直後、コルンがマルタに視線を投げた。
「どうせまた、飲んで温泉ってパターンでしょ?」
からかうような言葉を残して、窓がスッと閉まった。
車両の揺れが止まると同時に、ノーアは勢いよくドアを開けた。
焼けた鉄の匂い、そして土埃の混じる乾いた空気が頬を撫でる。
足元に広がるのは、舗装のない赤土の道。ぬかるみは落ち着いていたが、まだ柔らかく、ブーツの底にじっとりとまとわりついてくる。
村の入り口には、年季の入った軍用テントと簡易倉庫が並んでいた。
ルーテリア正規軍のマークが入った制服を着た兵士が一人、静かに立っている。肩章の色は褪せ、部隊の識別パッチは縫い目がほどけかけていた。
――それでも、彼の背筋は真っすぐだった。
与えられたものではなく、選び取ったような“姿勢”だった。見捨てられてなお、ここで生きる人々を守ろうとする“覚悟”が、その一挙手一投足に刻まれているように見えた。
ノーアは言葉を発することなく、軽く頭を下げて兵士の脇を通り過ぎた。
集落へと踏み込むと、景色は一変した。素朴な家々が立ち並び、そこかしこに生活の工夫がにじんでいる。竹を組んだ柵、干し魚を吊るす軒下、藁屋根の下で何かを縫っている老女の姿。
ノーアは足を止めた。高床式の木造家屋の下で、子供たちが飛び跳ねて遊んでいる。
地面に描かれた丸と線。その上を、子供たちは足を交互に踏み出しながら、楽しげに跳ねていく。
(……けんけんぱ、みたいなやつ? いや、電車ごっこって感じでもないし……どんなゲームなんだろう)
ふと、鼻先にふわりと香るのは、炊きたての米と香辛料の匂い。
遠くで鍋をかき混ぜる音が響き、その隣では、薪をくべる老婆がしゃがみ込んでいた。
この村は、生きていた。誰に見せるでもなく、誰に頼るでもなく。
丘へと続く道を登るにつれ、視界がゆるやかに開けていく。
村の中央を越えたあたりで、小さな木橋が現れた。
浅く流れる用水路の中を、ザリガニのような赤い甲殻の生き物が横歩きしていた。小さな子供が追いかけようとしたのか、笑い声が遠くに響く。
ノーアは静かに橋を渡り、丘の上に建つ建物へと視線を向けた。
そこには、村の中では珍しい、しっかりとした梁と柱を持つ屋敷があった。
入口の脇には、木製の看板が吊るされているが、風雨にさらされた塗料は剥げ、今では「集会所(共用屋敷)」の文字も読み取れる者は少ないだろう。
壁に貼られた手書きの標語には、「協同」「調和」「記録」などの文字が、かすれながらも並んでいる。
ノーアは息を一つ整え、ゆっくりと戸口へ足を進めた。
「遠くからよくお越しくださいました。村長のグゼノ・ヴェルティエルと申します」
入口に立っていた老人が、深く丁寧に頭を下げ、手を差し出した。
乾いた皺のある手。ノーアは少し遅れて、その手がエルノへと向けられたのだと気づいた。
「ARCより着任いたします。医療班主任、エルノ・バリスとスタッフ一同です」
エルノはいつもの柔らかな口調で握手を交わした。
続いて、もう一人の人物が前に出る。灰褐色の軍服に身を包んだ、精悍な顔つきの男だった。無精ひげの奥に浮かぶ眼差しは、どこか達観したようで、それでいて静かな闘志を秘めていた。
「私はナナシ村の兵を指揮します、カーロ・レンスト曹長です」
ややぶっきらぼうながら、敬意のこもった挨拶。
カーロはグゼノに続いて手を差し出し、エルノとしっかりと握手を交わす。
「では、こちらの施設内をご案内しますので、どうぞこちらへ」
手短に挨拶を済ませたカーロの案内のもと、集会所の戸がゆっくりと開けられた。
その様子を、ノーアは少し離れた位置から眺めていた。
(……ついたばかりなのに姉さんが恋しく感じるな……ちょっとすると、ホームシックかも)
自嘲するような心の声とともに、ノーアは軽く息をついた。
異国の地、異なる文化、そして見知らぬ任務。心細さを押し殺すように、ノーアは静かに皆の後を追った。
ARC任務の一環で、ランタノイド08(通称:ラン8)の面々は、ナナシ村から山道を南に下った町グラセールに派遣されていた。
グラセールは、西部辺境における軍事と行政の拠点として発展してきた小都市だ。
ナナシ村の素朴さとは異なり、“町”と呼べる程度には賑わいがあり、常駐兵士も六十名を超える。西部辺境の拠点として、軍の監視や通信、避難体制を担っていた。
瓦と錆びたトタン屋根が混じる低層の建物が軒を連ね、通りの両脇には露店や手押し車が並ぶ。
干した魚や香辛料団子の香りが風に乗って漂い、炭焼き台の湯気が白く揺れていた。
水牛に似たクスラが石畳の道をのんびりと進み、そのあとを子どもたちが追って走っていく。
遠くの寺院からは鐘の音が微かに聞こえ、祈りと生活が静かに交錯する、そんな町だった。
町の外周には東西南北を囲むように通信塔がそびえ、塔の基部に備えられたスクリプト装置が、何も起きていない今この瞬間にも静かに稼働していた。
この町の人々は、あたかも平穏が約束されたかのように、日々の暮らしを営んでいた。
それでも、文明の大河からは遠く離れた辺境であることに変わりはない。
中央には、正規軍の駐屯施設が構えられている。
その一角――客人用とはいえ、粗末ではなく、木製の窓枠や簡素な装飾が温もりを感じさせる一室で、ラン8の面々は任務準備に追われていた。
「はっ……くしっ!」
くしゃみを一つ、肩をすぼめながら発したのは、ラン8のサブリーダー――リディア・ファルネイラだった。
彼女は訓練用の古式トレーニング器具――コシティと呼ばれる縄付きの木柱を手作りしていた。日課の一部だと言わんばかりに、まるで農村の鍛冶師のように手際がよい。
「どうせ過保護な自慢の姉ちゃんの話でもしてんでしょ。」
皮肉混じりに笑いながらノート型端末を打つ少女がいた。
ナビラ・エンジン。ユニットの情報担当で、常に何かの演算処理を行っている。本人いわく「AIが遅い」とのこと。
「ったく、なんで私たちがこんな辺境の地まで仕事しに来るわけ。都会っ子のあたいには、厳しいわよ、ほんと。」
指を踊らせるようにキーボードを叩きながら、口調は軽いが、その眉間にはしっかりと皺が刻まれている。
「ナビラ、ごめんね……」
縄を締めながら木柱を組んでいたリディアが、手を止めて静かに声をかける。
「環境になじむのも、ユニットとしての重要な任務だ。」
低く、しかし確かな口調で言ったのは、ユニットのリーダー――フェリクス・マルヴィス。
軍用ジャケットを羽織り、窓際に立つ彼は、部屋の隅々まで見通すような鋭い眼差しをしていた。
そのとき、ナビラの端末に一瞬ノイズが走った。
「くそー、安定しないな……」
「人口五千程度の町でも、そんなAI環境のない不自由な暮らしを、必死に守り続けているんだ。文明の最前線を目の当たりにできるチャンスなんだぞ。」
フェリクスの声は淡々としていたが、そこには揺るぎない理念があった。
「それに、都会での任務だけでは雇用主にそっぽを向かれるだけだし。とてもいい機会じゃないか。」
「はいはい、わかりましたよ……あー、セリカでもっと棒付きのキャンディー買いだめしときゃよかったなぁ。」
ナビラは愚痴るように呟きながら、椅子の角で体を揺らしていた。
「そういう悩みかい。」
ぼそっとツッコミを入れるセルジュ・カルステラ。
その声に、ナビラがすかさず反応した。
「キャンディーないと脳みそ回んないじゃん……糖分って大事。リフレッシュ効果もあるし!」
「ずっとリフレッシュしてたら効果なくないか……」
手元では、リディアの作っている訓練器具の作業を手伝いながら。
どこか呆れたような、しかし柔らかな声だった。
「それに、メンバーは支え合ってこそ一枚岩になれる。」
フェリクスがふと、窓の外を見ながら付け加える。
そして肩越しに一言。
「――って、お前が来る前に言ったことを、引用してみた。」
「かっ?! リーダー、何言ってんだよっ!」
顔を真っ赤に染めながら、ナビラはタイピングのスピードを急激に上げた。
その指の動きは早く、まるで何かをごまかすような勢いで――小さくうずくまり、耳まで赤く染めている。
そんな彼女を見て、リディアは申し訳なさそうに目を伏せた……が、ふと、その頬に小さな笑みがこぼれた。




