「2章-第14話:社交界へようこそ」
披露宴会場を照らすシャンデリアの光が、静かに揺れた。
アントリア領西部を束ねる名門、シュナイデル家。その屋敷の一角に設けられた式場は、軍式と貴族式が同居するような独特の緊張感を帯びている。
現当主を退役した父ヴェンリクと、その妻が晴れ舞台を見守る。
姉のライゼルは、式典の冒頭のみ姿を見せた後、軍務のためすでに席を外している。
実務では彼女が領地と軍を束ねているが、家督はまだ正式には譲られていない。
ゆえに、次期当主とされるのは弟のグレンである。
壇上に立つのは、シュナイデル家の若き後継者、グレン・シュナイデル。花嫁の腕を丁寧に取ると、会場に響く声で語りかけた。
「今宵は肩書きを脱ぎ捨てて、誰よりも自分らしく笑える晩にしよう。さて、君たちの本性は、どれほどか見せてもらおうか!」
穏やかな笑みに反して、その口上には静かな挑発がにじんでいた。
一瞬、場の空気が緩み、すぐに高級シャンデリアが一斉に光を弾き、祝いの席に華やぎを添えた。
優雅な音楽が始まり、貴族たちは軽やかな足取りで舞踏の輪に加わっていく。
ファルネイラ家の一行も、丸テーブルを囲んで座っていた。
ノーアは、その煌びやかな世界に目を奪われながら、つい心の中で呟く。
(さて飯でも……待ちに待った貴族飯!)
ノーアは、腹の虫をなだめつつ、料理台の方へ歩を進めかけた。
だがその途中で、視界の中央に広がる光景に思わず立ち止まる。
すでに何組もの貴族たちが、所狭しと優雅に舞い始めていたのだ。
「もうこんなに?!」
思わず漏らした声に、アマーリエが笑いながら応じる。
「そうよ。貴族にとって社交の場はいわば戦争ですからね」
(あーやだやだ、クライアントとの飲み会は一クリエーターとしては不参加ですと……)
ノーアはちらりと姉を探す。
(姉さま、飯でも……)
その瞬間――
リディアの足元に、一人の若い貴族が膝を折っていた。
「アリステア・ヴォルクリンと申します。お手を。あなたと踊れるなら、貴族に生まれた意味があるとさえ思えてしまいます」
その言葉に、ノーアはふと口を閉ざした。
だがリディアは、まるでいつものように、驚きも見せずに涼やかな笑みを浮かべた。
彼女はそっと礼を返し、まるで舞踏会の風の一部であるかのように、優雅に輪へと溶け込んでいく。
ノーアはその光景を見て、言葉を失った。
一方、少し離れた場所では、父サイラスが別の老貴族と挨拶を交わしている。
「サイラス殿!」
「これはこれは、クルージェル家の旦那……わが家も、久々に晴れの場に出ましたのでな」
その口調は柔らかいが、言葉の端々に交渉の匂いが漂う。
相手の老貴族は深く頭を下げながら続けた。
「先日は医療部隊を前線に差し向けていただき助かりました。娘も命拾いしました。あの機転、今も家中で語り草ですぞ」
(そっか……みんな、お仕事って感じかな……)
ノーアはゆっくりと視線を落とし、料理台の方へと目を移した。
貴族たちが皿に料理を取り分ける所作すら、どこか優雅で、今の自分には遠い世界の出来事のように感じられた。
(こういった地道な営業が、会社の運営を支えてたんだろうけど……今頃どうなってんのかな……)
「ノーア、あなたは自由にしてなさい」
アマーリエがそう言って微笑むと、父サイラスのもとへ歩みを進めた。
ノーアはその背中を見送りながら、ぽつりと漏らす。
「つくってんな……さて、姉さまは入浴剤みたいなやつと踊ってるし、ひとりで飯に行くかな……」
豪奢なビッフェテーブルの前で、ノーアは思わず唸っていた。
(おいおい……どれもご無沙汰な料理が目白押しだな)
見慣れない料理名と、複雑な装飾が施された皿の数々。どれを手に取るか迷っているうちに、周囲の貴族たちは次々と手際よく皿に料理を載せていく。
「しかし……迷うな……」
呟いたその時、すぐ隣から澄んだ声がした。
「そこの亀甲羅風兔煮込みパイ、お勧めですわよ」
女性が指さす方を、ノーアは思わず見た。
(確かにうまそうだ……)
振り返った瞬間、その姿にノーアは軽く固まった。
祈りの風をまとったような銀白の髪と、どこか神殿を思わせる佇まいの若い女性が、そこにいた。
(メリア・ルディエール……!?)
だが、メリアは、まるで初めからすべてを赦していたかのように微笑んだ。
「脅かしてしまってすみません。歓談の最中にもかかわらず、あまりに迷っていらしたものですから……つい」
穏やかで澄んだ声音には、どこか聖職者を思わせる静けさがあった。
そしてその視線にも、冷たさではなく、むしろ優しさが滲んでいた。
思わず顔がこわばる。アントリアでも名を知られた宗教貴族の娘。下手に無礼があっては命取りだ――と、慌てて頭を下げる。
「す、すみません……無礼でした……!」
(やべー……貴族のディスりか!?)
「これは、わたくしの里――エルセインの郷土料理ですの」
皿を指しながら、メリアは静かに続ける。
「相反するものをひとつに包み、神に差し出す。それがエルセインの“和合の祈り”なのですわ」
ふと、ノーアの目を覗き込むようにして、彼女は小さく囁く。
「羨ましいですわ、あなたが……」
(……え?)
意味を問い返す間もなく、遠くから呼びかける声が届いた。
「メリア様ー!」
振り向くと、小さく手を振りながら、同じく若い女性貴族がこちらへ歩いてきていた。
そのすぐ横には、落ち着いた雰囲気の青年――グレン・シュナイデルがいた。
「どうしたんだい、メリア」
優しく声をかけるグレンに、メリアは小さく微笑み返す。
「すみません……思い悩んでいる方を見ると、つい心が向いてしまって」
彼女は丁寧にノーアへ一礼すると、静かにグレンのもとへ戻っていった。
「ありがとうございました!」
ノーアは背中に向かって頭を下げながら、小さくつぶやいた。
(……貴族の嫌味な感じがしないかも?)
料理の香りがすでに甘味へと移る頃、ノーアは自分の席に戻り、食後のコーヒーを口にしていた。
姉は、まだフロアの中央で踊っていた。笑みを浮かべながら、軽やかに相手とステップを刻んでいる。
けれど――。
(……まるで、人形みたいだ)
その背中には、生気よりも何か機械的なものを感じた。
タイミングを見計らったように、アマーリエが皿を手にして戻ってくる。いつのまにかビッフェの人混みを縫い、見事に料理を確保してきたらしい。
「母上、少しお休みになられては?」
気遣いを込めて声をかけると、彼女は皿を置きながらさらりと笑った。
「サイラスが先に休憩するように言ってきたから、母さんもごはんよ」
口ぶりにやや誇らしげな響きを含みつつ、ハートマークを添えるように片目をつぶる。
ふと、会場の隅――父サイラスの姿が目に入った。彼はどこか不自然な笑みを浮かべながら、見慣れぬ貴族と話し込んでいた。
「これだけ出会いがあって、忘れたりしないの?」
ぽつりと呟いたノーアに、アマーリエは少し楽しげな目をして囁いた。
「ふふ……ちょっといい?」
彼女はノーアの手元にあるリング型の端末に手を伸ばし、軽く操作すると、スッとデバイスを持ち上げた。
「そのまま、向けてみなさい」
促されるまま、ノーアはデバイスをサイラスの話し相手に向けた。
瞬間――
リングから淡い光が浮かび、空中にホログラムが立ち上がった。
「母上、これって……?!」
「ちゃんと事前にダンスカードが端末上に送られているのよ。便利でしょう?」
得意げに頷く母の笑みに、ノーアは少しだけ口を開けて見入った。
(おいおい……カンペがあるなんて、貴族様もチート使ってたわけか……面白い)
ホログラムには、現在サイラスが会話している相手の情報が、次々と映し出されていく。
「メルスヴィナ家当主――現当主、ヴィスラン・メルスヴィナ……薬草・鉱石・貴金属の交易、文化支援事業……名誉支援者?」
肩書きの数々が妙に立派で、それだけで人となりが測れない気がした。
ふと、端末の下段に赤字の表示が目に入る。
「あれ? 警告履歴って……?」
「そうね……どこの貴族も、全てがクリーンでい続けるのは難しいの。必要悪から生まれる“前科”もあるのよ」
アマーリエは、ナプキンで口元を拭いながら続けた。
「だからこそ、そういった背景も踏まえて、貴族は“ペルソナ”を使い分けるの」
ノーアはごくりと喉を鳴らした。
(……東域資源カルテルとの経済連動疑惑が、過去に数件……これは、アウトでは?)
画面を見つめたまま汗がにじむ。だが、アマーリエはまるで微笑みの裏側で全てを見通しているようだった。
「驚かないで。みんな、そのぐらい背負って立っているのよ」
「貴族って……面白いけど、やっぱり怖い」
ノーアの呟きに、母は静かに、意味ありげに微笑んだ。
「……ふふ、ようこそ。社交界へ」
(……笑えないかも)




