「2章-第13話:命の価値」
ファルネイラ邸の屋根裏部屋。
一つだけある小窓の両側に、木製のベッドが向かい合うように置かれていた。
謹慎中のノーアとカイは、その屋根裏で静かに時間を過ごしていた。
「くっそ、俺の親は挨拶もなしかよ!」
カイはベッドを離れ、部屋をうろつきながら毒づくと、またどさりと腰を下ろす。
「わざわざこの屋敷まで来たんだから、きっと心配してるよ」
ノーアが穏やかに返す。
「それに僕たちは謹慎中だしね……」
「家にこもったってなんも変わんねーのによ」
「そう言うなって。カイのご両親も、領主の家で謹慎してることで体裁は守られるし」
「体裁?」
「外から見たら、“領主んとこで大人しくしてる”っていうのが大事なんだよ。下手に噂が立たないようにさ」
「……ふーん。まあ親に迷惑かからないなら、それに越したことはないな」
カイは木のベッドに仰向けになり、両手を後頭部で組むと、足を無造作にクロスさせた。
ノーアは呆れたように彼を見つめた。
「……あれだけの事件になったんだ。謹慎だけで済んでるのが奇跡なのかも」
「つーか、俺たちは一人の少女を助けただけだぜ? 何か言われる筋合いはねーよ!」
「その“ちょっとしたこと”が、俺たちの人生に新たなつながりを生んだのさ……」
カイは黙った。
「姉さまの話だと、あの子はカルテルの会計士が運営してた店の従業員で……事件のあと、その店の関係者は、誰も見つかっていない。……一人も」
カイはわずかに顔をしかめ、口を閉じたまましばらく黙っていた。
そして、ぽつりとつぶやくように言った。
「……他の奴らはみんな捕まったのか?」
「17街のボーンクラッドは摘発されたけど、カルテル自体は、このファルネイラ郷の西側を根城にする大きな組織らしい。……つまり、いわゆる“トカゲの尻尾切り”だよ」
ノーアは言葉を切り、ふっと息を飲む。目の奥に、あの日の光景がちらついた。
「そして……その会計士の一人は……僕らの目の前で、拷問された……」
空気が、一瞬で重くなった。
突然、床の入口が勢いよく開く音が響いた。 「バタン!!」
「お待たせ、諸君!!」
「?!」
「びっくりさせんなよ」
ハシゴを登ってきたハミルに、カイが手を差し出して引き上げる。
「びっくりしたのはこっちだよ。二人が謹慎中って聞いて来たんだけど、リディアさんが『会っていい』って」
ハミルは中央の椅子に腰を下ろし、落ち着いた様子で言った。
「さ、何から話そうか?」
観念したように、二人はあの日の出来事を語り始めた。
屋根裏に静かな余韻が残った。
語り終えた二人は、まるで何かを吐き出したあとのように、しばらく言葉を失っていた。
小さな窓から差す陽が、床に淡い光の帯を描いている。
ハミルは立ち上がり、二人の手を一つずつ握って確かめるように言った。
「なるほどね……やっぱり、二人はバカだよ!」
二人は視線を落とした。
「その少女は救えたかもしれない。でも、もし二人が死んでたら? 今ある命に感謝しないと」
「そんな、自分の命なんか考える暇もねーし。弱いもんは助けるだろ?」
「そうじゃなくて。二人が死んで悲しむ人はいないって、本気で思ってるの?」
その言葉に、二人はハミルの想いを知ると同時に、自らの過ちに気づいた。
「すまない」
「……ごめん」
罪の意識が静かに屋根裏に染み渡る。
それでも、カイは口を開いた。
「……でも今、確認しなくちゃならないことがある……」
「そう。僕たちが五体満足で生きてるっていう事実」
「姉さまが話してくれた“スクリプト覚醒”の感覚とは、何かが違う気がするんだ」
「例えば、異様な感覚が身についてるとか?」
「まさに。誰かに、ずっと見られていたような……そんな感じだった」
ノーアが言葉を切ったところで、カイがふと思い出したように口を開いた。
「そういえば……俺をぶん殴ったやつ。なぜか俺たちを助けてくれたあの人? 姉さん、あいつを殺しかけてたよな?」
「ああ……それについてだけど」
ノーアは軽く息を整えると、目を伏せたまま続けた。
「彼、ボーンクラッドに潜入していた捜査官らしい」
「は……? 捜査官?」
「詳しくはわからないけど……姉さまが言ってた。警察との繋がりを探るために、四年以上もカルテルの中に入り込んでいたって」
「四年って……マジか……」
「あの状況じゃ、任務を全うすることはできなかったのかもしれない。でも……彼が僕たちを助けてくれたのは事実だ。葛藤の末だったかもしれないけど、結果として、僕たちは今こうして生きている」
カイは何も言わなかった。ただ、天井を見つめたまま、静かに呼吸を整えていた。
ハミルの背に、窓からの陽光が差し込む。
彼女は何かを思い出すように口を開いた。
「ある日、天から落ちてきた“おばけの算術屋さん”がいたんだ。
彼は夜になると目を覚まして、誰かの頭の中に暗号を落としていく。
その暗号を忘れなかった子だけが、“ひとつの魔法”を使えたのさ──」
語り口は穏やかで、どこか幻想的だった。
「俺も聞いたことあるよ、算術屋の都市伝説。ガキの頃、真剣に信じてたっけ」
カイは苦笑まじりに肩をすくめた。
ハミルは小さく笑って、続ける。
「他人に見られてるって感覚は……算術屋が暗号を落とした証かもしれないね」
「ってことは、その暗号がEX級スクリプトで、ノーアは忘れずに実行してるってことか?」
「それに、人の肉体を戻すなんて、聞いたこともない。……奇跡そのものだよ」
ハミルの声は、敬意と恐れの入り混じったものだった。
「これは……他言無用、だね」
「ありがとう」
「でも、あれ……夜っちゃ夜だったけど、別に寝てたわけじゃねーしな」
少し苦笑いを浮かべたカイに、ハミルは肩をすくめて返した。
「きっと比喩なんだよ。例えば、思い出したくないことの“闇”を“夜”にたとえてるとか」
外からの陽光が屋根裏部屋に射し込み、埃がきらきらと舞う。
時間がゆるやかに流れていく中で、ノーアが静かに問いかけた。
「カイは、何か感じなかった?」
「すまねー。俺は痛みに耐えきれずに失神してただけだし……あの時はただ必死で、何も考えられなかった」
声には悔しさがにじんでいた。
「今思い返すと、長く感じたはずなのに、暗くて曖昧な空白がある。上手く言葉にできねぇんだ」
「……すまない。思い出させて」
「それはお互い様だろ」
短い言葉に、少しだけ気持ちが救われた気がした。屋根裏に流れる空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
「でも、童話や都市伝説が今も語り継がれてるってことは……」
「覚醒した者が、その能力に“気づけるように”仕組まれてるのかもね」
三人の会話は尽きることなく続いた。
彼らは答えのない世界に、仮説と希望を編み込んでいく。
(……そういや……道筋どおりにいかなくて、生きづらかった頃。浪人時代、夜通し物事の見方を語り合ってた日々を、なんか思い出すな……)
(予備校帰りの神社……好きなアニメのカード付きチップスを買って、砕いてカップラーメンに乗せて三人で食べたっけ)
「ノーア? ちゃんと聞いてます?」
「ほらまたボーッとしてる」
「あ!……すんましぇん」
呆れたように、カイとハミルがノーアを見つめていた。
(……ありがとう)
ノーアはふっと笑った。
何かが、少しだけ戻ってきた気がした。




