表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メビベルの空  作者: A2
第2章
23/38

「2章-第11話:善の代償」

 目が覚めた瞬間、ノーアは闇に呑まれていた。

 瞼を開けたはずなのに、何も見えない。まるで濃い墨を塗りたくられたような視界。

 息が詰まる。冷たい空気が肺に入り込み、喉の奥でひっかかった。背中には硬いものの感触。椅子――いや、金属製の何かだ。体を動かそうとして、ようやく気づく。両腕は肘から手首、指先まで拘束され、脚も、足首も固定されている。微動だにできない。

 口元には異物。乾いた布――だが、かすかに血のような鉄臭が混ざっている。布越しに叫ぼうとしても、喉の奥でくぐもった声がくすぶるだけだった。

 (……おちつけ……おちつくんだ……)

 心臓の音が、耳の奥で爆ぜるように鳴っている。背筋に冷や汗が流れた。

 呼吸を整えようとするたび、鼻腔をつんざくような臭いが襲う。汗、鉄、腐敗、焦げ。ありえない匂いが混ざりあって、胃の奥から何かがこみあげた。

 そのときだった。


 ――クラシック音楽が、どこかで流れ始めた。

 優雅で、柔らかく、ゆっくりと上昇する旋律。

 まるで高級レストランのBGMのようだ。けれどそれが、今いる場所の異常さをはっきりと際立たせる。冷たい金属と闇の中で、美しい音楽だけが空気を支配している。

 (……ふたり? 足音……)

 遠くで、コツ、コツと金属を叩くような足音が近づいてくる。

 床が金属なのか、靴底が甲高く響いている。二人分。片方は重く、もう片方は軽い。規則的な歩調ではない。おかしい。

 (カイ……カイが、声を……?)

 かすかに、何かを吐き出すような音が聞こえる。くぐもった、苦しげな声。

 それがカイのものだと、ノーアは本能で感じた。助けを求めている――いや、叫んでいる? 名前を呼んでいるのか? わからない。なにも、見えない。

 その直後、何かが“外される”ような音が響いた。

 そして、息を吐き出すような、荒れた声が空気をかき乱す。


「ぷはっ……く、くそっ……」


 誰かの口が開かれた――それが最初の言葉だった。

 それは笑い声ではなかった。押しつぶされたような、呻きにも似た息遣い。

 続けざまに、かすれた声が漏れた。

 「た、頼む……許してくれ……!」

 金属のぶつかり合う音が響いた。ガシャリと、硬いものがこすれる嫌な音。


 「お、おまえが……“フレイマン”……あんたが“フレイマン”なんだろ!?」

 「ま、待て! 話を……話をさせてくれ……お願いだ……ラセルに……ラセルと話をさせてくれ!」

 「やめろ……やめろ、やめろやめろやめろっ!!」

 ギンッ、と刃物が跳ねるような音とともに、声が悲鳴に変わった。


 「う、うがああああああああっ!!」

 (えっ!?)

 また、金属が跳ねる音。すぐに、裂けたような声が続いた。


 「あがっ、ああああああああああっ!!」


 「た、たのむっ……! 頼むから……ほ、欲しいものがあるんだろ? な、なあ! あるはずだ……絶対に見つけてみせるから、だから――っ!」

 ギリギリと、金属が擦れる。


 「あっ、がぁあああああああああっ!!」

 (なんだよこれ……っ! なんの間違いだ、夢だろ? 悪い冗談だよな……)

 音楽は、変わらず優雅に流れ続けていた。

 その旋律が、耳の奥で歪む。どこか滑稽で、残酷で、逃げ場がなかった。

 (少女を……助けただけ、だろ? あれくらい、普通のことだ。おれは、子供なんだぞ……子供なんだから……だいじょうぶ、だよな?)

 自分に言い聞かせるように、心の中で何度も繰り返した。

 けれど、身体は震えていた。冷たく湿った拘束具の感触が、もうそれが“現実”だと否応なく教えてくる。



 コンテナ街の一角、かつて「ボーンクラッド」の名で知られた組事務所の前には、赤色灯が鋭く明滅していた。光は鉄骨の壁を不気味に染め上げ、視界に揺れる影を濃く映している。


 制圧はすでに完了していた。建物の出入口には「立入禁止」のテープが無数に張られ、封鎖区域の周囲には、装甲キャリーがコンテナの角に据え付けられ、警告灯と共に重い警戒音を鳴らしていた。重装備の警官たちが、隙なく配置につき、視線を鋭く巡らせている。


 その中心、仮設デスクに押さえつけられた組員の一人が、憎悪のこもった叫び声を上げる。


 「……あぁ!? そんなガキ、知らねーって言ってんだろ!」

 刑事は一言も発さず、無造作にその襟元を掴むと、机に頭を叩きつけた。

 ガンッ!


 「っ……クソが……知らねぇもんは、知らねぇんだよ!」

 呻きながらも、なお悪態を吐くその態度に、刑事の顔が歪む。そこに浮かんだのは、怒りでも嫌悪でもなく、焦燥だった。


 ――時間がない。

 ノーアが“まだ”生きている保証は、どこにもない。


 「……このまま口を割らせる。だが、次の手を講じる時間は限られている。手分けして、カルテルの潜伏拠点を片っ端から洗え!」

 号令に応じ、周囲の捜査官たちが即座に動き始めた。通信装置に声が飛び交い、装甲キャリーが自動で配置を変えながら、警告灯とともに路地を塞ぎ始める。その喧騒の中、刑事は近づいてきた人影に顔を向けた。


 「リディア様――申し訳ありません、状況が刻一刻と悪化しています。すぐに“処理棟”側の拷問施設へ向かっていただけますか。組織図には出ていない別棟がある可能性もあります」

 リディアは短く、しかし力強く頷いた。鋭く視線を走らせ、迷いのない口調で答える。


 「わかったわ」


 「……時間との勝負ね。私が行く」

 リディアは唇を引き結び、視線をさらに鋭くした。

 彼女が身を翻すと、背後からクランクギアがギチギチと音を立てて滑り込んでくる。警官の一人が扉を開けると、迷いなくリディアはその座席に乗り込んだ。

 赤色灯が彼女の横顔を照らし、軋む鉄の通路を、車両はゆっくりとだが確実に進み出す。


 ――弟のもとへ。

 静かに息を吐きながら、リディアは目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ