表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/24

ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ⑨

アマルナにおけるツタンカーメン王墓造営。


そう。

つまり、このタイトルである「本当のツタンカーメン王墓はどこにあったのか」という問いの答え。


それはアマルナ。


おそらく、この答えを聞いて大部分の者はこう言うだろう。


そんな話聞いたことがない。

その根拠はあるのか。


前者はとりあえず脇に置き、後者について言えば、その根拠のひとつはすでに語った。

ツタンカーメンの時代にその労働者たちがアマルナで活動していた。

さらにネフェルネフェルウアテンの労働者たちも同様だ。


そこにこのような要素を加える。


そもそも古代エジプトで、王墓造営は国家プロジェクトである。

そして、どんなときでも王位に就いた瞬間から、その工事は始まる。

それにもかかわらず10年間の統治期間があったにもかかわらず王墓として使用できない程度の墓しか用意できなかったというのは、あまりにも不自然。


そして、よく言われるその王墓はアイの王墓となった「王家の谷23号墓」だったとなれば、10年間にアイの統治期間4年間を加えた14年間であれだけのものしかできないというのは、ツタンカーメンとほぼ同じ統治期間のトトメス4世の王墓「王家の谷43号墓」の完成具合から考えて実におかしいなことなのだ。

専門家がこの点に言及しないのは実に怪しい。

なにか隠された力が作用しているかのようにさえ思える。


この説明で読者の皆さんが納得しかどうかはわからない。

だが、とりあえず「王家の谷23号墓」以外にツタンカーメンの本来の墓があるべきとまでは行かなくても、あってもおかしくないことがわかったということにしよう。


そうなった場合、次なる問いはこうなるだろう。


では、アマルナにそれに見合うだけの墓が存在するのか?


そう。

これは非常に重要な要素である。


そして、その答えはこうだ。


ある。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ