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ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ⑤

さて、アマルナに造営された王墓で埋葬されていたはずのアクエンアテンとネフェルネフェルウアテンが移送されたとなれば、当然なぜそれがおこなわれたのかという疑問が浮かぶ。


一応ここで通説に則った話をしておこう。


そもそも古代エジプトは多神教国家だった。

だが、アクエンアテンの時代になると、その中でもルクソールが本拠地ともいえるアメン神官団の力が非常に強力になっていた。

その力を嫌ったアクエンアテンがアテン神を唯一の神とする宗教改革をおこない、ルクソールからアマルナに遷都した。

しかし、その宗教改革は約十年後、アクエンアテンの死とともに終わり、次王ツタンカーメンは即位と同時にアマルナを放棄し、ルクソールとアメン教団の繁栄は復活し、アテン神とアクエンアテンは人々の記憶から抹殺するようにアクエンアテンに関わる建物は破壊され名前は消された。


この流れでいけば、即位直後にアテン信仰と決別しアメン神官団の後ろ盾を得たツタンカーメンが、アテン信仰に染まった汚らわしい父アクエンアテンやネフェルネフェルウアテンの遺体を整地ルクソールに移送する理由は見当たらない。

強いて挙げれば、前者は父で後者は前王ではあるのだが、ともにアメン神官の天敵アテン信仰の中心人物。

その彼らをアメン信仰の中心地であるルクソールに移送する理由など思いつかない。


ただし、それにはツタンカーメンが公私ともにアテン信仰の否定とアマルナの完全放棄という前提がつく。

そして、アクエンアテンとネフェルネフェルウアテンの遺体の移送がおこなわれたという事実に基づいて考え直せば、その前提は正しいとはいえなくなるわけなのである。


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