ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ④
三つの説のうち、探偵が選択したものは本来は別人の墓か倉庫の類だった現ツタンカーメン王墓に押し込まれていたとしたものだった。
だが、実をいえば、探偵の本命は第四の意見なのだが、まずは専門家が推奨するものに則って話を進めるためにも、この事情を理解するにはその前段を語らなければならない。
ネフェルネフェルウアテンの葬送品が「王家の谷第62号墓」に押し込まれていた理由。
それは別の場所からそれらの品々が移送されてきたから。
そして、その別の場所がどこかといえば、王家の谷のあるルクソールから遠く離れたアマルナ。
そのアマルナに造営されつつあった新しい王家の谷から、移送されてきたそれらの品を保管する場所だったのが「王家の谷第62号墓」であった。
だが、移送を命じたツタンカーメンがその直後に死亡し、至急王墓と葬送品が必要になった。
埋葬日が目の前に迫って焦る臣下たちが目をつけたのは「王家の谷第62号墓」とその墓に収納されていたネフェルネフェルウアテンの豪華な埋葬品。
手際よく墓の改装と名前の書き換えをおこなったところで、必要な葬送品と墓を揃えられ、めでたしめでたしと臣下は安堵した。
ここで一応言っておけば、大量に匂わせ要素を蒔いたものの、ネフェルネフェルウアテンの葬送品の名前書き換えと横領にツタンカーメンが関わっていないと考える。
その根拠はふたつ。
ひとつはそれをおこなう理由がないこと。
横領という犯罪行為以前に、王である自分が来世で使用する道具を中古品で済ませようという発想が出てくるとは思えない。
もちろん第二十王朝末期になれば、エジプトという国家自体が弱体化しており、金や貴石をふんだんに使用できる状態ではなくなっているのでそれもあり得るだろうが、ツタンカーメンの時代はそれとは程遠い状況なのだから。
ふたつ目はツタンカーメンがネフェルネフェルウアテンに対して悪意を持っていなかったこと。
もちろんこれに関して文字的資料で言及しているわけではない。
だが、父とは言え、嫌われ者のアクエンアテンさえルクソールで再埋葬する予定で移送してきたのだ。
その父と一緒に移送してきたネフェルネフェルウアテンをないがしろにしている様子はその行動から感じられない。
ただし、ネフェルネフェルウアテンのミイラは見つかっていないことから、今後の発見によってその意見はひっくり返る可能性はある。
もっとも現在までミイラが見つかっていないからといって前王に対して無礼な行為に及んだと考えるのは早計といえる。
これだけ発掘調査がおこなわれているにもかかわらず、この時代の重要人物の何人かのミイラは発見されていないのだから。
その名を挙げておけば、ツタンカーメンの次王アイ、その次に王位に就きアマルナ時代のすべてを葬り、第18王朝の王族とは無関係な臣下ラムセスに王権を譲り渡したホルエムヘブである。
そこにネフェルネフェルウアテンが加わる。
もし、ミイラが見つからないことを理由に後継者がそのミイラに無礼を働いたとすれば、例えば王権を与えたホルエムヘブに対して第19王朝の王は恩を仇で返す行為をおこなったことになる。
そう考えれば、ミイラが見つからないことをネフェルネフェルウアテンの埋葬品横領事件の主犯にツタンカーメンを据えるのは考えものなのである。
この墓にネフェルネフェルウアテンの埋蔵品が詰め込まれていたという話は、より推理小説風な話があるので、興味がある方のために資料等の名を挙げておく。
グレアム・フィリップス著「消されたファラオ」。
読むときに注意しなければならないのは、この本ではネフェルネフェルウアテンをすべてスメンクカラーと呼んでいること。
さらに、アクエンアテンの宗教改革はユダヤ教の影響を受けたと思わせる主張が強いこと。
ニコラス・リーブス。
イギリスのエジプト学者である彼はの日本のテレビ局と組んで、ツタンカーメン王墓に新たな部屋があると調査をおこなった。
経過と結果については多くの場所で掲載されている。
常に胡散臭いイメージが付きまとうリーブスだが、日本語版にもなった良書「黄金のツタンカーメン」、「図説王家の谷百科: ファラオたちの栄華と墓と財宝」、「古代エジプト探検百科: ヴィジュアルクロニクル」は彼の著作である。