ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ㉔
さて、最後はツタンカーメン王墓に関わるタイムラインである。
アクエンアテンの治世1年。
アクエンアテン即位。
ルクソール、王家の谷に王墓造営開始(王家の谷25号墓)。
アクエンアテンの治世5年。
準備期間を経てルクソールからアマルナへ遷都。
ルクソールの王墓造営を中止しアマルナの新王家の谷に王墓造営開始。
アクエンアテンの治世9年。
ツタンカーメン誕生。
この頃からアテン神の表記変更。
アクエンアテンの治世14年。
この頃にはアクエンアテンの母ティイ、アクエンアテンの次女メケトアテン、アクエンアテンの側室キヤ死亡。
また、この時点でアクエンアテンの5女と6女も死亡している。
キヤの娘2人はメリトアテンとアンクエスエンパァアテンに引き取られる。
ティイとメケトアテンはアクエンアテン王墓に埋葬。
アクエンアテンの治世17年。
アクエンアテン死亡。
アマルナの王墓に埋葬。
ネフェルティティ、メリトアテンを形式上の妃としてネフェルネフェルウアテンとして即位。
ネフェルネフェルウアテン、アマルナに王墓造営開始。
ネフェルネフェルウアテンの治世3年。
この王の治世年数が確認できる最終年。
この頃にスメンクカラーに改名したものの、まもなく死亡。
この時点で王墓は未完成のため、アマルナ第28号墓へ仮埋葬。
ツタンカーテン即位。
時を置かず、ツタンカーメンに改名し、アマルナ放棄。
ただし、王墓はアマルナへつくることを決定し造営開始。
ツタンカーメンの治世6年。
アマルナ完全放棄を決定。
自身とネフェルネフェルウアテンの王墓造営中止。
アクエンアテンとネフェルネフェルウアテンのミイラ及び葬送品の大部分をルクソールへ移送。
このとき王墓からの引き上げが困難な石棺などは破壊。
自身の王墓として王家の谷第62号墓、アクエンアテンの王墓として王家の谷第55号墓、ネフェルネフェルウアテンの王墓として王家の谷第57号墓、ネフェルティティの娘や実母の家族墓として王家の谷第12号墓の造営を開始。
ツタンカーメンの治世9年。
ツタンカーメン死亡。
通路まで完成していたツタンカーメンとアクエンアテンの王墓は改装して使用。
ネフェルネフェルウアテンの墓は放棄、王家の谷第12号墓に娘たちとともに埋葬される。
王の死は急であったために、倉庫に保管してあった改名によって不要になったネフェルネフェルウアテンの葬送品を流用する。
アイの治世を経たホルエムヘブの治世。
放棄され未使用になっていた王家の谷第57号墓を自身の王墓として使用することを決定し、造営再開。
第20王朝、ラムセス9世の治世。
王の墓王家の谷第9号墓を造営中、アクエンアテンの王墓の壁面に突き当たり、労働者たちが略奪をおこなう。
20世紀。
アクエンアテン、ホルエムヘブ、ツタンカーメンの王墓が発見される。
もちろんこれは妄想力を十分に発揮したものなので完璧な推理とはいきません。
あくまで、これは私の推理。
この時代の多くの謎を提供しましたので、自身でまた別の説を打ち出すことを希望します。




