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推理小説風に考える「ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある?」  作者: 田丸 彬禰


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ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ⑩

ツタンカーメンがアマルナに王墓を造営していたという話など、それなりに古代エジプトに興味を持っている者でも聞いたことはないだろう。

というより、自分はアマルナに行ったことがあるがそんなものなどなかったと言われそうである。


だが、観光ルートからは外れているのだが、ロイヤル・ワディと呼ばれるアクエンアテンが新たな王家の谷と考えていた枯れ谷の奥、アクエンアテン王墓近くに「これは造営途中で放棄された王墓である」と主張できるだけの規模を持つ墓はたしかにある。

アマルナ第27号墓から第29号墓という番号が与えられた墓のうちのふたつがそれにあたる。

それらはアマルナにある貴族の墓とは根本的に構造が違い、ルクソールの王家の谷にある第18王朝の諸王の墓と同じと言っていい。

相当大きな墓を計画していたのは疑いようもなく、工事の進捗状況から考えれば4年から5年は掘削作業をおこなっており、さらに壁面には漆喰が塗られていた。

あと数年工事が進んでいればアクエンアテン王墓を超える規模の墓が出現したはずである。


ちなみに、アマルナにおけるツタンカーメンの王墓は3つの墓のうち他のふたつとは少々離れた第27号墓と予想する。

そして、残りのふたつのうち王墓にふさわしい規模を有する第29号墓についてネフェルネフェルウアテンのものと考える。

通常ではあり得ないことだが、アマルナにあるこのふたつの王墓は同時並行に作業が進んでいたのはほぼ間違いなく、そうなると、より作業が進んでいた第29号墓の被葬者が先王を考えられるからだ。

ついでにいえば、3つの墓のうちあきらかに王墓の構造とは違う第28号墓はアクエンアテンの娘のうちの誰か、というより家族墓と思われる。

そうでなければ、仮墓か倉庫のような付属墓ということになるであろう。


労働者が作業をおこなっていた痕跡とそれにふさわしい墓がある。


ここまでの説明でツタンカーメンがアマルナに造営したと主張できる十分なものは揃っていると言っていいだろう。


そして、ここからもうひとつの意見を導くことができる。


ツタンカーメンはある時点までは父王の意志を半分だけ継ぎ、都はルクソールへ戻し、アメン神信仰も復活させたものの、墓地としてはアマルナを存続させるつもりでいた。


アクエンアテン王墓はアマルナ26号墓である。

ついでに書いておけば、ツタンカーメンの次に王都なるアイの墓はアマルナ25号墓で、アイの次に王となりアクエンアテンとアテン信仰の痕跡を消して回ったとされるホルエムヘブの墓はアマルナ24号墓である。

本文で言及した28号は規模こそ小さいが施された白い漆喰は今でもはっきりと残り、掘削作業につかわれた大型の石も残されている。

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