たまには平和なひと時を
すっかり夜も更けた。
あれからセルが特に何かしろということはなかった。
黙々と火を起こす傍らで
僕に薪でも取ってこいと言ったくらいだ。
今日は帰らないんだろうか…
サラさんもいないとなると今晩は僕とセルの二人きり
(不安だ…)
「安心しろ、今日の訓練はここまでだ。
そしてお前は訓練の半分をクリアした。残りはあと一個だ。」
そう言って無造作に木の枝を放り込む。
放り込まれた薪がはぜ、時折火の粉が空に向かって上っていく。
そしてその穏やかな焚火の上、
串刺しになって焼かれている麗の魔物を見ても何も思わない辺り
例の訓練の結果が既に出ているんだろう。
「今日は帰らないんですか?」
「俺は魔物の駆除がてら、こうやって外で生活することも多いんだ。
たまにはこうやって不便なことするのも乙なモンだよ。」
天使はおろか、今や人間すらすることがなくなったような生活。
旅の行商人がするかどうかの野宿を今から彼女はするつもりらしい。
「ほれ、お前が倒した獲物なんだ。
お前が一番に食えよ。さっさとしねぇと俺が食っちまうぞ。」
半ば強制的に半ば勧められるままに串を受け取り身にかぶりつく。
あの凶悪な顔からは想像もつかないほどに美味しい。
脂がのってるけど、くどくない。
口の中であっという間に溶けて消えていってしまう。
「な?うめぇだろ。
こうやって人間の感情から生まれた魔物をなくしてやる。
そうすれば転生するときに未練がなくなるってわけだ。」
かろうじて聞き取れたのはそこまで。
それ以降は口いっぱいに頬張ったまま喋っているせいで聞こえなかった。
セルも天使っぽいところあるんだなと思ったのは内緒。
こう言う何気ないことが人々の心の安寧に繋がっているんだろう。
そう考えればこの生活も案外悪くないように感じる。
「俺はな、別に人間なんて正直どうでもいいんだ。」
夜空を見上げ、セルがそうつぶやく。
「どうでもいいっていうのは…」
「お前がその体を授かる前、先代ガブリエルと俺は仲が良かった。
あいつは俺と違ってお人好しでな、進んで人間を加護していったんだ。
だが…」
パキッと音を立て何かが砕ける。
セルの掌からこぼれ落ちたのは
原形も残っていない串だった。
「あいつは人間を守る代わりに自らを消滅させた。
文字通り人間のために消えちまったんだ。
そっからは分かんなくなった。
あいつを殺したのは人間だ、だが人間はあいつが最後に残した置き土産でもある。」
僕が知らない過去の話を語るセルの目は
今ではないどこか遠くを見ているような気がしてならない。
話を切った彼女はしばらくすると僕の方に向き直った。
「そんな時に来たのがお前だ。
お前は先代に似てやがる、だからこそ聞く。
お前にとって人間とは何だ?
俺たちが加護するほどの価値のあるものなのか?」
セルは真剣だ。
今の僕に先代を重ねて見てるんだろう。
つまりは僕の答え次第では彼女と先代の過去に傷をつけてしまいかねないということだ。
「人間っは戦いを繰り返し、滅亡を繰り返していきます。
でも繰り返し積み上げていくのはそれだけじゃない。
優しさだって愛情だって、人の数だけ輪廻転生の数だけ満ち溢れていくんです。
僕はそれが居心地がよかった。
だから守りたいと思った、それだけです。」
セルがふっと笑う。
「お前はつくづくあいつと似てるよ。
あいつと同じこと言ってるなら大丈夫だろうな。」
そう言って以降、火が消えるまで彼女が何か言うことはなかった。
◇◇◇
セル曰く、今日の寝床はここらしい。
曰く、たまには自然と心を通わせることが必要なんだとか。
ごつごつした石に背中を預ける気にはなれないな…
明日起きたら筋肉痛になってそうだ。
そんな時にセルは「じゃあ浮いて寝たらいいじゃねぇか」と言った。
そんなことができれば苦労しない。
苦労しないハズだったんだけど…
本日のご褒美ということでセルが特別に魔法をかけてくれた。
天使の翼で飛ぶのとはまた違う原理で浮遊できる魔法らしい。
少しずつ体が浮き上がっていく。
視界いっぱいに広がった空には満天の星。
手を伸ばせば今にも届きそうだ。
生きとし生けるもの全てが次の命を待つ場所がこんなにも美しいなんて知らなかった。
「俺はなこれまで義務感で人間を守ってきたんだ。
人間はあいつの置き土産だからな。
だが改めて考えようと思うんだ。
そうしなきゃあいつに笑われちまうからな。」
そう言うと腕を頭の下に組んですぐに寝息を立て始めた。
まったく…自分が話したいことだけ話して…
終われば用済みとばかりにご就寝ですか。
セルらしいと言えばセルらしい。
「そういうところもちゃんと直さないと
『変わってない』って先代に笑われちゃいますよ。」
彼女の耳元でつぶやくも聞こえていない様子。
「さてと…僕ももう寝ようかな。」
どうせセルのことだ、明日はもう一段階ギアを上げてくるんだろう。
今日の疲れが一気に押し寄せてくる。
瞼が重くなってきた
◇◇◇
清々しい空気の中、響く鳥の鳴き声で目が覚めた。
(あれ…ここは…)
寝ぼけた半目の狭まった視界にセルが映り込む。
あぁ…おはようございます…
彼女は僕に見えるようにひらひらと手を振って指を構える。
ちょ…その構えは…
も少し寝させて…
「起きろー」
瞬間、脳裏に散る火花。
並じゃない力で撃ちだされたそれによって僕の意識は心地よいところから
半ば強制的に現実へ。
あぁ無常…
「お…よう…ざいます…」
まだ頭がボケっとしてる。
そういえば昨日はセルに連れられてここに来たんだっけか?
朝の空気を吸うと共に少しずつ頭がさえわたってきた。
その少しずつおはようございますし始めた頭がまず視覚情報として
認識したのは…
朝焼けの下、何やら体を動かしているセルの姿だった。
見たこともないような動きをしている。
体操かな…?
「セル、それは何です…」
「お、起きたか。丁度いいや、お前も一緒にやろうぜ。」
指をひょいと動かすと僕の体は宙に浮き、
僕の意思に関係なく彼女の方へ向かっていく。
そして彼女のすぐそばに着地したかと思いきや、
セルと同じ動きをし始めたのだ。
「これって…?」
「朝の体操ってやつだ。
体をあっためるためだな。北の都の奴らは全員やってる。
気付けば俺もやってた。」
そう言いながら黙々と体を動かしていくセル。
その横でそれに合わせて体を伸ばされ捻られを繰り返す。
なんだかんだ人間なんて正直どうでもいいと言いながらも
人間を自分の目で見て、それに影響されているのが少しおかしかった。
セルは人間に対して複雑な感情を抱いている
今はそれを整理して自分なりの答えに辿り着こうとしている途上に過ぎない。
だから迷って、そうしながらも人間に寄り添っている。
(僕が理想とするべき在り方かもしれないな…)
「余計なこと考えてるともっと強く捻じるぞ。」
セルには僕の心の内は見え見えのようで…
ただ僕は見逃さなかった、
彼女の耳が紅く染まってたのを。
それがセル自身によるものなのか、朝焼けに照らされたものなのかは分からなかった。