第1話 1-3
あたしはしぼんだ気持ちのまま勉強して、夕ご飯を食べて、勉強して、お風呂に入って、身体が冷える前にベッドに入った。
時間は午後10時。ベッドに入るの、今日は少しおそめかな?
算数のテストが「悪かった」から、つい勉強の時間が多くなっちゃった。
明日も学校はあるんだから、早く寝ないと。
あたしはしっかり寝ないと学校で眠くなっちゃうから、早めに寝ることにしている。
本当はもっと勉強していたいんだけど、寝ないでムリしたほうが勉強が進まないのは、もう「やってみた」からわかってる。
『今回は悪かったねー』
ベッドの中。
お母さんの声が、繰り返される。
「悪くなんかないっ!」
そういい返したいけど、できない。
だって自分でも、「悪かった」と思うようになってきていたから。
冬休み、もっと勉強すればよかった。
苦手な英語ばかりじゃなくて、得意な算数だってもっとがんばれたはずじゃない?
って、そう思う。
思うんだけど、英語……難しいもん。
わかんないんだもん。
だってあたし英語の塾に行ってないし、英語の授業、5年生になって急に難しくなってきたもん。
だから英語はたくさん勉強しないと、テストの点数が悪くなっちゃう……。
あたしたちの学校では高学年から、英語は「アメリカ人のマリエ先生」が教えてくれている。
マリエ先生はお母さんが日本人なんだけど、生まれてからずっとアメリカで暮らしていて、日本に来てまだ3年くらいなんだって。
それにアメリカでは、お母さんともずっと英語で話していたから、日本語があんまり上手じゃない。
だから授業中は、ほとんど英語で話している。
あたしは高学年になるまで、英語の勉強はあまりしてこなかった。
それよりも、算数や国語の勉強に力を入れてきたから。
だからなんだろうな。
あたし、授業中にマリエ先生がなにを話しているのかわからない。
マリエ先生の言葉が聞き取れない。
英語の塾に行っている人や、お母さんがアメリカ人のアンジュくんは、マリエ先生がなにをしゃべっているのか聞き取れているらしい。
ヨウヘイくんは英語の塾は通っていないけど、妹のココロちゃんが英会話の教室に通っていて、ココロちゃんが勉強している様子を見たりテキストや教材を見せてもらったりしているから、「だいたいわかる」んだって。
うらやましいな。
あたしは、英語の単語をおぼえるのはできるけど、それの発音がわからない。
お父さんからもらったパソコンで、自分で動画を見て勉強しているけど、やっぱり自分だけでは英語の勉強は進んでいかない。
あたしにとって勉強を進める上で一番の問題は、「英語が聞き取れない」こと。
それは、自分でもわかってる。
マリエ先生、今なんていったの?
わかんない。
動画の人、なにを話しているの?
英語の字幕が出てるけど、本当にそんなこといっていた?
わかんない。もう一回みないと。
そんなことばっかり。
だけど、もう一回……ううん、何回聞いたって、わからないものはわからない。
「英語の塾、行きたい」
声に出すと、なんでだろう? 涙がこぼれそうになった。
うちには、そんなお金ないのに……。
いつもならベッドに入るとすぐに眠くなるのに、今日はなんだか寝つけない。
あたしはベッドから出て、勉強机の引き出しから「お守り」を取り出して右手でにぎる。
右手の中におさまる、固くて冷えた感触。
お星さまの形をした、白い石。
あたしの『お守り』だ。
この「お星さまの石」は、お父さんのお母さん……「野菜のおばあちゃん」が大切にしていた「お守り」で、手の中に収まるくらいの大きさでお星さまみたいな形をしている。
ツルツルしててプラスチックみたいだけど、持ってみると石のように重いから石だと思う。
だけどこんなに真っ白くてツルツルな石は、ほかに見たことがない。
半年くらい前。野菜のおばあちゃんは急に小さくしぼんじゃって、入院した二日後には天国にいっちゃった。
野菜のおばあちゃんが入院した日、あたしたは家族みんなでお見舞いにいった。
この星の石はそのとき、
「さくやちゃん。これ、おばあちゃんのかわりに大切にしてほしいの」
と、野菜のおばあちゃんから渡されたものだ。
「これ、おばあちゃんのお守りでしょ? おばあちゃんが持ってたほうがいいよ」
急に小さくなってしまった野菜のおばあちゃん。
こんなの普通じゃない。あたしにだってわかった。
だからあたしは、「お守り」はおばあちゃんが持ってるべきだと思った。
お守りなんだから、おばあちゃんを守ってくださいって思った。
だけどあたしの言葉に、おばあちゃんはベッドで横になったまま首を横に動かして、
「おじいさんのところに行けるんだから、さみしくないんだよ」
そういって、楽しそうなお顔で笑った。
だからあたしも、本当は泣きそうになっていたけど、
「うん。おばあちゃんのかわりに大切にするね」
おばあちゃんの手から、わたしの手に。
ひんやりと冷たくて、固い感触が手渡された。
「さくやちゃん。約束……してれる?」
「うん、約束する」
あたしの『約束』に、おばあちゃんは安心したように微笑んで、眠った。
そしてそのまま、起きることなく2日後に天国へと……おじいちゃんが待っているところへと旅立った。
それからこの星の石は、あたしの「お守り」になった。
つらいときやがんばりたいときに握りしめると、元気がもらえるように思えるから。
あの、優しかった野菜のおばあちゃんが、あたしを見守ってくれているように思えるから。
電気代の節約。
エアコンを切った部屋が冷えていっているのを感じて、あたしは星の石を握ったままベッドに入った。
はやく寝なくちゃ。
そう思って、まぶたを閉じてから数秒後。
きゃっ! な、なに……!?
あたしは急に、身体が下に沈んでいくような感覚におそわれた。
な、なにぃ~!? こわいぃっ
海の底? 底なし沼?
どんどん、どんどん。
あたしは、沈んでいく。
息が、できない。
胸が、心臓が痛い。
くる……しい。
いきを……息をしないとしんじゃうっ!
あたしは意識をして口を開け、空気を取りこもうとした。
「ぅげっ! げほげほっ」
なんとか入ってきてくれた空気でえずくような呼吸をして、閉じていたらしいまぶたを開ける。
と、その向こうで。
(あなたは、どなたですか?)
あたしと同い年くらいのおんなの子が、あたしの顔を覗きこむように見つめていた。