第5話
「レットっ!」
あたしは目覚めた。
自分の部屋の、自分のベッドで。
とても長い夢を見ていた。
どんな夢を見たかなんて、いつもなら少し時間がたったら忘れちゃうけど、全部覚えてる。
「レッ……ト」
枕元のスマホを確認する。
1/15 06:28
1月15日の午前6時28分
頭を使って思い出す。
やっぱり「この世界」では、時間はたってない。
あたしが右手に、この「星の石」を握ってベッドに入ったのは、1月14日の午後10時過ぎだったはず。
つい昨日のように……ううん、つい昨日のことなんだから当たり前か、あたしは「昨日のこと」を鮮明に思い出していた。
あたしは昨日、算数のテストで89点を取って落ちこんでいた。
お母さんの言葉に傷ついて、くやしかった。
はぁ……なんで、あんなことで落ちこんでいたんだろう?
くだらない。
ちょっと笑えてきた。
右手の中にある、野菜のおばあちゃんから引き継いだ星の石のお守り。
「……レット」
目をつむると、レットの笑顔がまぶたの裏に映った。
うん、忘れてない。
忘れてなんかあげない。
レット……スカーレット。
あたしの、大切な友だちっ!
あたしはベッドから出て、リビングに向かった。
この時間だと、お父さんは会社に行ってすぐだ。
お母さんはお父さんのお弁当を作り、朝食を食べさせて送りだし、自分とあたしの朝食の準備をしているはず。
ほら、やっぱり。
台所と一緒になったリビングには、お母さんの姿。
「お母さん」
台所で作業をしていたお母さんに声をかける。
「あら、今日は早いわね。おはよう、さくや」
お皿を軽く洗い食洗機に入れるお母さんに、あたしは、
「お母さん。あたし、勉強がんばってるよ」
いうべきことをいった。
「なに急に? 知ってるわよ」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
だから言葉にしたの。
ちゃんと、いっておきたかったから。
「そうそう。昨日の算数のテスト? お父さんが最後の問題、先生が間違えてるかもしれないっていってたわ。さくや、あってるかもって」
それは「望んでいたこと」かもしれないけど、不思議とどうでもよかった。
そんなことより、
「お母さん、お願いがあるの」
「お願い? めずらしいわね、何かしら」
あたしは小さく深呼吸して、久しぶりにお母さんへと「本当の気持ち」をぶつけた。
「あたし、英語が話せるようになりたい。英語の塾に行きたい」
あたしに足りないもの。
まず最初につけるべき力。
それは「英語力だ」って思った。
算数も国語も理科も社会も、教科書は日本語でかかれている。
だから、ちゃんと読めばわかる。
わかるように、理解できるようにがんばれる。
だけど英語の教科書は、ほとんどが英語だ。
それに学校の英語を勉強しているだけで、英語が話せるようになるとは思えなかった。
英語は自分だけでは、どうしても進みが遅い。
それは自分でもわかってる。
教科書を読んでいるだけじゃ、どうしてもわからないところがある。
あっているのか、間違っているのか、それもわからない
一番の問題は、英語の勉強の遅れは、他の教科にもつながってくるってこと。
今のあたしには英語の勉強の時間がたくさん必要で、社会や理科は、急ぎ足になってるように思う。
勉強ができればいい。
それだけじゃないのはわかってる。
運動も、おしゃれも、友だちと遊ぶのも、全部大切なんだ。
でも……だったらあたしに、なにができるの?
あたしが得意なのは、なに?
はっきりわかるわけじゃないけど、あたしは勉強をするのは苦しくない。
なんていえばいいのかな?
勉強をすると、「進んでいる」と感じる。
自分が成長しているのがわかる。
間違いじゃなくて、勘違いじゃなくて、勉強があたしを育ててくれている。
勉強をして自分を強くしていく。
その方法が、あたしには合っていると思う。
強く。
もっと先に進めるように。
足が速くなるように走る練習をするのと同じ。
あたしは勉強して、進める力を育てている。
「……そうね」
お母さんはにっこり笑って、
「それはいい考えね。お父さんに相談してみましょうか」
「お父さん……困るかな?」
うちには借金があって、それはお父さんとお母さんを苦しめている。
「大丈夫よ。お母さんも応援するわ」
お母さんはあたしを抱きしめて、
「昨日はごめんなさい。がんばってるのわかってるのに、ごめんね。お母さん、さくやを傷つけたわ。ごめんなさい」
お母さんの声に涙が混じっているのがわかって、あたしの目からも勝手に涙が溢れた。
あたしはお母さんに抱きついて、声を出して泣いた。
もう5年生なのに、もうすぐ11歳なのに、まるで幼稚園の子みたいに涙が止まらなかった。
『がんばってるのわかってる』
その言葉が、嬉しかった。
自分でもわかってなかったけど、こんなにも泣いてしまうほどに、欲しかった言葉だったんだ。
レット、あたしがんばるよ。
あなたもがんばるよね。
だからね。
あたしもがんばってみるよ。
あたしには目標がない。
やりたこと、ないたいもの。
そんな「目指すべき場所」がない。
だからあたしは「弱く」て、「このまま」だとどこにもたどり着けない。
そんなの、嫌。
もう、嫌なのっ!
だからあたしは、心に浮かんだ願いを口にした。
「あたし、お医者のおじいちゃんみたいに、お医者さんになりたい」
お医者さんになるのはタイヘンで、なってからはもっとタイヘン。
それは、おじいちゃんを見ていればわかる。
忙しそうで、きつそうで、でもお医者のおじいちゃんは、いつでも目が輝いている。
強く、強く。
輝いてるの。
うやましい。
憧れる。
ずっと、憧れていた。
あたしも、あんな目をしていたいって。
だからあたしは、
「お母さん。あたし、お医者さんになりたいの」
閉じ込めていた本当の思いを言葉にした。
願いをちゃんと、お母さんに伝えた。
これが、最初のがんばり。
レット、あなたとの『約束』を果たすための、最初の一歩。
今度あったときには、ちゃんとあなたの病気が治せるように。
もっと美味しいおクスリをあなたに差し出せる、そんなお医者さんになるための、これが……最初の一歩だよ。
ひさしぶりに感じたお母さんの柔らかさと温もりは、あたしに「強さ」をくれているみたいだった。