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ぼくの葛藤、わたしの消したい過去、そして今思う事。

作者: 橘 麗華

※注意。 体験談を元にありのままの表現で書いてありますので、センシティブすぎるワードにつきましては、伏字とさせていただきます。ご了承ください。


【第一章】 私の体験


これは、Rさんの体験談です。


Rさんは、日本の某所に生まれました。 Rさんは、物心がついたころには、心に違和感があり、周りとは違うとわかっていたそうです。


Rさんが、幼稚園生の時、違和感がはっきりしたものとなります。


それは、同じ組の女の子たちと遊んでいたときのこと、Rさんはおままごとを一緒にしていて、その延長線上で役目が王子様にされたときに、違和感に気付いたそうです。


「なんで、王子様役なんだろう? 私だって、お姫様役をやりたいよ」と思っていたそう。


Rさんは、一応生物学的には、男性として生まれています。


ですが、この時にはっきりと、自分の心は男の子ではないと自覚をしたそうです。


Rさんが、小学生になったときに、上級生に○カマと言われ、深く傷つき落ち込んだそう。言われたその場にいた担任の先生が偶然にも、その言葉を聞いていた為、即上級生に‘‘それはだめだよ Rさんに謝りなさい‘‘と注意をしてくれたお陰で、無事に解決したそうです。


Rさんは、その当時は髪が長く女の子によく、間違われることがあったそうで、二年生に進級する際に、自分の心に蓋をして、髪を切ってからは、○○マとは言われなくはなりました。


Rさんは、小学生になってから、中学を卒業するまでの九年間虐めを受けて、より一層心を閉ざしていったそうです。


初めのうちは、ちょっかい程度だったところから、最終的には人間扱いされないというところまで悪化していき、何度も何度も学校には行きたくないと思っていたそう。


時には、言葉責めをされて泣いてしまうほど、酷い有様で、何回も担任の先生に相談をしたり、スクールカウンセラーの方に相談をしていたが、全く環境が変わらなかったそうで、ほぼ横ばいだったそう。


そんな、Rさんを支えてくれのは、ある一本の動画だった。それは、ちょうどそのころ、女装男子ブームが来始めて間もないころで様々な女装男子を見て、rさんは思ったそうです。


「こんな生き方もあるんだ、今まで心に蓋をして生きてきたけど、こんな世界があるなんて。」とものすごく感銘を受けたそう。


その後、高校生になり、虐めというものとは無縁の学校生活を送れたそう。


ただ、九年間もの間虐めと隣り合わせの生活を強いられていた反動が、高校三年生の時に起こったそうです。


それは、うつ病になってしまい、毎日のように‘‘はやくきえたい‘‘、〇にたい、生きている意味がない。などを考えてしまい高校を卒業するころには、病院に通院しながら、高校に通ったそうです。


Rさんは、高校生活を送る中で、許可をもらい多目的トイレを使用したり、体育の授業の際の着替えを別室済ませることをさせてもらっていたのこと。


高校を卒業して、からは病院にも通いつつ就職活動をしたとのこと。


【第二章】 悩み


Rさんは、心と身体に違和感があり、今現在も悩みながら生活を送っているとのこと。


Rさん的には、その日によって、性別の認識が女性になったり男性になったり、どちらでもないという不定性とのこと。


物心がついたときに感じていた違和感の正体が、不定性によるものだったと、確信が着いたのは社会人二年目だそうです。


普段自室にいるときは、なりたい自分でいるとのこと。好きな服を着て、メイクをしたいときには、メイクをする。できるだけ、本当の自分を解放するということをして過ごしているとのことです。


いつかは、理想の自分、本当の姿(あるべき姿)になりたいと思っているそう。


此処からは、僕が今思っていること、皆さんに伝えたいことを包み隠さずに書かせていただきます。


人には、自分らしい生き方というものがあります。それは勿論、皆さんが、こう生きたいなどと考えていることが自分らしい生き方だと、僕は思っています。


好きな服を着て、好きなことをしていきたいとか、夢に向かって日々努力をすることも否定される筋合いは決してないと思います。


だいぶ、自由になって来たような気はしますが、まだまだ不自由な部分が多いなと僕は切実に思います。本当に、自由なら否定されるということが、目に見えて少なくなるはずなのでこれからの未来にきたいをしています。


毎年のように、自らいのちをたつ方が目に見えて増えています。


ストレス社会とは、言われていますが、だからと言って、パワハラやセクハラ等のハラスメント行為をしてもよいという事は、絶対にないです。


僕も、一度パワハラに遭い精神的に参ってしまうことが、あったので相談する相手(信頼できる人)やそこから逃げるという事も一つの手だと思う。


少しでも、苦しい思いをする人が減ればなと僕は、切実に思う。


個性を〇すのは、良くない、個性を〇すのは、人間として否定されていると変わらないといえる。


僕は今、本当に生きずらいと感じること、人間不信で、人の言葉に対して信用が吹出来ないと感じることが多いです。それが、僕自身の抱える悩みです。


人を好きになることは、自由ですが、それに対しての否定や侮辱があるのが、本当に許せないです。


誰を好きになろうと、個人の自由であり、否定することが本当に、許せない。


僕自身も、性別に関係なく人を好きになるので、それを笑いものにしたり、勝手に周りの人にありもしないことを吹き込むことが、どれだけ当事者にとって、苦痛なことなのかわからないという人は、まだまだ多いと思われます。


必要以上に、プライベートを聞き出したり、好きな人はいるのか等のことを聞いてくることが、心に相当量のダメージを与えることになるから、そういうことが減ることを祈っています。


人格否定が、その人の生き方、人生までもを否定することになる。


人は簡単に、壊れてしまい、簡単に治すことができない。


一度でも、心という名の水晶(クリスタル)亀裂(ヒビ)が入ってしまうと、割れたり壊れたり、時には歪んだりする。


だからこそ、思う。人を扱うときは、ガラスを扱うときと同じように、慎重にそして繊細に扱うことが大事だと心の底から思っている。


僕も一人の人間として、扱ってほしいと今、切実に思っています。

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