後日談1ー3後編:ダンテス視点
◇ ◇ ◇
「…………大丈夫ですか??」
女の声で目を覚ました時、最初に目に入ったのは天井。
俺はあわてて跳ね起きる。診療所の空きベッドに寝かされていたことに気づく。
俺のそばに座っていたレクタム先生が、安堵した様子で俺から離れ、部屋の隅にある椅子に座りなおした。
「……母親は?」
「開腹部分は私たちが治癒魔法で塞ぎました。今は赤ちゃんと一緒に身体を休めています」
「……生きているんですね?」
「ええ。お母さんも家族も、“名無し”さんがお目覚めになったらお礼を言いたいとおっしゃっていました。
私からもお礼を申し上げます。ありがとうございました」
「……………………」
思わず、息を漏らす。
死なせずに済んだという事実を反芻する。
身体は、まだ重くだるい。
魔力はさほど回復していないらしい。
『国ごと断罪するのならば、兄様の守りたい方も含めて滅ぼしてしまうことにはなりませんか?』
『断罪するのは、これから先、同じ過ちが起きて欲しくないからでしょう?
でも、同じように苦しめられている人はきっとこの国の中にもいるのです。
本来は兄様が守りたいはずの人が』
なぜかあいつの言葉が頭をよぎる。
悔しいが、アルヴィナの言った通りだったのだろう。
ああいう状況にある母親はトリニアスにだっているわけで、もし同じような母親が目の前にいたら、俺は母子ごと国を滅ぼすことはできなかったはずだ。
「…………こちらこそ、俺が倒れた後に母親に治癒魔法をかけてくださって、ありがとうございました。
結局俺は痛みを取ることしかできませんでしたが」
「いいえ。とても役に立ちました。素晴らしい魔法だと思います」
その『役に立った』という言葉に、俺は救われた気がして……いや、と否定する声が頭の中に響いた。
……それで罪滅ぼしできたつもりか?
……あの母親は、おまえを産まされた彼女じゃない。
まったくの別人だ。
和らぎかけた気持ちがずるずると闇に引きずられていく。
俺が彼女とその夫を死なせた事実は変わらない。俺が生きている限り、その事実はつきまとう。
「……どうかしましたか?」
「……いえ。なんでもありません」
感情を隠して、俺は答えた。
◇ ◇ ◇
魔力切れがよほど身体にこたえていたのか、レクタム先生との会話の後、俺はまた寝入ってしまったようだ。
次に目覚めたときに視界に入ったのは、山吹色の頭の大男だった。
「お疲れさまッス。洗濯物代わりにやるの、大変でしたよ!」
「開口一番それか」
「嘘、嘘。“名無し”さん、よくがんばったッスね。お疲れさまでした。
ここに来たときはこの世の人間みんな敵みたいな顔してた“名無し”さんが人助け……なんか感慨深いッス。
うっ、立派になって……」
「しょうもない泣き真似やめろ」
ファランとしゃべっていると力が抜ける。
かなり時間が経過したのか、魔力は先ほどよりはだいぶ回復していた。
身体を起こす。
「時間は?」
「夜の9時ッスね。赤ちゃんのご家族はいったん帰って、明日またお礼に来るって言ってましたよ。お母さんと赤ちゃんは寝てます。
晩飯食べます?」
「……そうだな」
うなずく。
食堂に移動すると、ファランが俺の分の粥とスープを運んできた。
もう火を落としてしまったのだろう、どちらも冷たかったが、久しぶりにスープに肉が入っているのを、少し嬉しいと思った。
「……帰って良いぞ。付き合わなくていい」
「あー、俺は一杯飲んで帰ります」
「酒か?」
ファランがさらに持ってきたのは、酒瓶にカップ、それとカラフルな砂糖菓子の入った瓶だった。
「砂糖菓子をつまみに酒を?」
「ええ」
ファランは俺の向かいに座り、手酌で飲み始める。
おかしな飲み方をする奴だと思ったが、久しぶりの酒の匂いは食欲を刺激した。
本音を言えば飲みたかったところだが、残念ながら平民向けの酒はどうしても口に合わない。
「……食べます?」
粥とスープを食べ終えた後、視線が砂糖菓子に向かったのを察知したようにファランが砂糖菓子の瓶を差し出す。
普段なら断ったと思う。だが、今夜は魔力切れを起こした直後で疲れきっており、目の前の甘いものにとても心惹かれた。
俺はひとつ摘まみ、口にいれる。
「ん?」
見た目に反して、上等なウイスキーが口に広がる。
砂糖菓子に酒が入っていたのは予想外だが、味が平民向けの酒と明らかに違う。
「美味いでしょ? それ」
「……ウィルヘルミナか?」
「あれ? バレちゃいました?
そうです妹さん便の中に入ってたやつです」
もっと早く気づくべきだった。
大抵の平民にとって砂糖菓子は、手が出ないほどの高級品だということに。
「これ、ベネディクト王国のお菓子らしいッスよ」
……ということは、元々はアルヴィナから送られたものか?
「美味いでしょ?
せっかく妹さんが送ってきてくれたんだし、これ食べないのは損してるなーって思って、持ってきちゃいました」
俺の顔を見ながらいたずらっぽく笑うファラン。
「おまえは、なんでそうウィルヘルミナに肩入れする?」
「妹さん、この診療所とか俺とか、“名無し”さんのお世話をしてるみんなにも贈り物や手紙をくれてるんスよ。
女王陛下ともあろう人が、ほんと、まめッスよね。
そりゃ味方になりますって」
「……そういうことか」
『あいつらに守られる価値はない』
と俺が切り捨てた名もない人間たちを、ウィルヘルミナは味方につけていて、それが力になっている。
「もう少し甘えても良いと思いますよ?」
「どういう意味だ」
「なんか、優しさとかいたわりを、素直に受け取っちゃいけないって思ってるでしょ? “名無し”さん。
自分を罰するみたいに。そんで、何もかも自分だけで完結してしまいたい、みたいに」
でも、とファランは続ける。
「結局誰だって1人で生きられないんだし。
だったら、誰かに受けた優しさを“名無し”さんが誰かに返したら、それだけで誰かの命とか助かったりするんじゃないスかね? 今日みたいに。
それって、“名無し”さんが生きてるからできることでしょ?」
「……………………」
「あのお母さんもご家族も、今日のこと、一生忘れないと思いますよ?
“名無し”さん、赤ちゃんもお母さんも無事でどう思いました?」
「…………良かった、と」
そうだ。心底良かったと思った。
「良かったでしょ? それで良いじゃないスか」
「…………そう、なのかな」
俺は、そう思っていいんだろうか。
誇っていいんだろうか。
役に立てたことを喜んでいいんだろうか。
感謝されて、いいんだろうか?
「お菓子、もう1個食べます?」
「……食べる」
「前にもらったお菓子も美味しかったんスよ? 今度からちゃんと食べてくださいね」
ファランの言葉に生返事をしながら、もう1つ、砂糖菓子に手を伸ばして口に入れる。
パリッという食感と甘さ、ウイスキーの美味さと心地よい酔いが身体を癒していく。
やっぱり、美味い。
ウィルヘルミナに手紙を書いてみようかと、ふと思った。
たぶん俺は……少なくとも、ここに来て良かったようだ、と。
【おわり】




