9、王女は汽車を満喫する
◇ ◇ ◇
まずサロンに戻った私たちはアフタヌーンティーを頂いた。
香り高い紅茶。
一口大のケーキやタルト。
その他初めて名前を聞くお菓子。
それらは見た目にも美しく、夢のように美味しくて素晴らしかった。
それから、遊戯室に移動する。
「イーリアス様は、ビリヤードのご経験は」
「家に台がありましたので、子どもの頃から遊んでおりました。学生時代は友人たちとよくやったものです」
そう言ってイーリアス様が打つ玉は、まるで引き寄せられるように狙った玉を弾き、落とす。
玉を打つイーリアス様も、まっすぐに疾駆する玉の動きも、惚れ惚れするほど美しい。
基本的なキューの持ち方、構え方、玉の打ち方を、ひとつひとつ、イーリアス様がおしえてくださる。
「……前方の手は、中指、薬指、小指、それから手の平でしっかりとテーブルに固定をします。
利き腕の肩と肘と頭はキューの真上に置き、身体の角度は90度を心がけてください」
「はいっ」
「変則的な体勢で打つやり方もあります。玉の位置によっては自分自身の身体が邪魔になってしまったり、理由は様々ですが。
たとえば、このような」
イーリアス様はテーブルに軽く座るようにして、背中側にキューを置き、やや背をそらした姿勢でスマートに玉を打つ。
その体勢に、なぜか妙にドキッとした。
玉は別の玉を綺麗に弾き、弾かれた玉はスーッと吸い込まれるように穴に落ちていく。
「お、お上手ですねっ」どうしてだろう、まだドキドキしている。
「では、殿下も打ってみていただけますか」
「はいっ……ええと……基本的な構えで、前の手はしっかり固定。利き腕の肩と肘と頭はキューの真上に……」
身体は90度……胸がやっぱり邪魔……。
だけど、なんとかなる。大丈夫。やってみよう。
カツン……。
玉がコロンと不格好に転がる。
「気にせず、根気よく何度もやってみてください」
「はいっ」
何度も、何度も、繰返し繰返し打ってみた。
「もう少し、頭の位置が右の方が良いかもしれません」
「は、はいっ」
イーリアス様の助言を聞きながら少しずつフォームを直して、数えきれないほど打って、ようやく思ったとおりに玉がまっすぐ転がり始める。
そして打った玉が狙った玉に当たる。
それがとっても気持ちいい。すごく。
コーン……
やがて、私が打った玉が、ある玉の芯をとらえて弾く。
弾かれた玉はまっすぐに転がり、ビリヤード台の角にある穴へスーッと転がり……
カコーン……
穴に玉が落ちていくその音が、私には天上の音楽にも等しく聞こえた。
「─────やったぁ!!! 入りました!!! 私、玉を入れられました!!」
嬉しさのあまり、思わず私は叫んでいた。直後、すぐ我に還る。
「……あ、すみませんっ。大声で叫んでしまって」
(私ったら、気持ちが浮わつきすぎ! イーリアス様はお祖父さまをトリニアスに殺されかけたのよ!)
私、さっきから普通に遊んで満喫してしまって……。
下へも置かないもてなしをしてくれているのは、きっと王女だから。
けれど、イーリアス様にも思うところあるんじゃないかしら。
恐々イーリアス様の整った顔をうかがう。
やっぱり、表情変化がない。わからない……と思ったら。
「……私も、初めて玉を入れられたときはとても嬉しかったものです」
そう言ってくださった言葉は、なんだかとても柔らかく、優しく聞こえた。
◇ ◇ ◇
それから。
再び食堂車で美味しいディナーも満喫し、バーでお酒もちょっとだけ頂いて、満ち足りた気持ちで寝室に連れられる。
侍女がそこに待機していた。
「どうぞ、ごゆっくりお休みください」
「今日は1日ありがとうございました。イーリアス様もお休みなさい」
自分の部屋に入るイーリアス様を見送り、侍女の手伝いでさっと入浴して夜着に着替え、私はベッドに入った。
(……今日は、本当に楽しかった……)
寝転がってじっとしていると感じる、汽車の振動さえ、幸せだ。
すぐに寝付けるかと思ったけど、楽しかったことをひとつひとつ鮮やかに思い出してしまう。
こんなに楽しい1日ってどれぐらいぶり……?
生まれて初めてかもしれない。
(……同じ車両にイーリアス様の寝室もあるんだわ)
もう、部屋に戻ったらすぐにお眠りになったのかしら。
それとも何かお仕事でもされているのかしら。
私と一緒にいるときは常に私の相手をしてくれているけれど。
ん、もしかして、その間は仕事ができなくて、予定より仕事が押していたりとか……。
(……どうしよう、イーリアス様の仕事を溜めさせてしまっていたら。私、何かお手伝いできるかしら?)
ちょっと心配になったり、
(まぁでも……軍事関係のお仕事だと、元敵国王女の私が触れると問題もあるでしょうし)
そんな風に自分を納得させたり。
そういえば明日は早く起きると良いとイーリアス様は言っていたし、私も早く会いたい。そんなことを思いながら私は眠りに落ちていった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
まだ少し微睡んでいたいような時間……カーテン越しに差し込む朝の光を感じ、私は跳ね起きた。
私の起床より早く待機していた侍女が入ってきて、早々に着替える。
(朝からいったい、何があるのかしら??)
そっと、イーリアス様の寝室を覗いてみる。
どうやらもう起きていらっしゃるようだ。
早足に、私はサロンまで移動する。
やはりサロンにイーリアス様はいた。
「ちょうど良いタイミングですよ。
窓の外、進行方向をご覧になってください」
「そと?」
私はガラス越しに外を見て……呆気にとられた。
「あれは、海、ですか? いえ、大河?」
「はい。ベネディクト国境に面する大河です。鉄道で大河を渡るのです」
「すごい……!!」
幅の広い広い、青い青い水で満ちた大河の上を、汽車は勇ましく走っていく。
大河に、線路を乗せた大きな橋がかかっているのだ。
朝の光が、見渡す限りの水面に反射して輝く。
「きれい…………!!」
感動に全身を震わせる。
魂を掴まれる。
技術力の差だとか国力の差だとか、そんなものが頭から吹っ飛ぶ美しさだ。
小さなことがどうでも良くなってしまう。
(なんて素晴らしいの……奇跡のようだわ)
朝食の支度ができたと呼び出しがあるまで、私はまるで小さな子どものように、窓ガラスにかじりついて外を見つめていた。
◇ ◇ ◇