67、王女は妹の危機を知る
「王妃陛下。
まだ狼藉者のかけた魔法が残っていらっしゃるのです。
それ以上口を開けば開くほど、トリニアス王国と、陛下の母国であるサクソナ連合王国の恥となるでしょう。
もう今は、この会場では何もおっしゃらない方が良いですな」
宰相閣下がさらりと返す。
「王女殿下は我が孫の妻としてお迎えさせていただきましたが、ベネディクト王国として2人の結婚式を行い、今宵のパーティーを開いております。
繰り返しますが、国の顔に泥を塗るということの重みを、仮にも一国の王妃であれば、理解していないわけがないのです」
「………………」
不意に宰相の目に射すくめられ、何かを言おうとした母の口が、止まった。
あくまで上品な紳士としての立ち居振舞いを変えない宰相閣下。
だけどその目に、怒りがにじんでいた。
予算や人員、長く費やされた時間、それ以上に国の面子。
それらを無に帰するようなことをこの場で仕掛けてきた母への強烈な怒りだ。その威圧が母の口をつぐませた。
母は気づいているかわからないけれど、そもそも
『この場に狼藉者の乱入を許してしまった』
『来賓の王妃を人質に取られてしまった』
この主張自体が、ベネディクト王家にとっては恥となるものだ。
それをしてもなお、すべてを台無しにするなと、ベネディクト王国からトリニアスに突きつけている。
きっとこの『嘘』自体は、王太子殿下が今とっさに思い付いたものだ。
でも宰相閣下はそれに全面的に乗った。国としての意思を強く感じる『嘘』だった。
「……の、後ほど会談を求めます」
「承知いたしました、王妃陛下。そちらは応じましょう。
もっとも、そうするのであれば魔法がとけきってから本来の王妃陛下とお願いしたいものですな」
母の眉がピクリと動いた。
宰相閣下の静かな煽りに、苛立たしげに唇を噛む。
「何よ……王族でもない、貴族風情が……」
「────陛下をお守りし、控え室までお連れしなさい」
衛兵たちが母を囲みながら会場から出ていく。
じろりと一瞬、母が私をにらんだ。
元婚約者は……やはり罪人としての体で連行されるようだ。
立たされて意識を取り戻し、私にすがりつくような目を一瞬向け、しかしずるずると引きずるように連れていかれる。
(トリニアスの属国とはいえ一国の元首の跡継ぎ……投げ飛ばして罪人扱いして、国際問題にならないかしら)
気になったけど……だからこそイーリアス様が手を出す前にカサンドラ様が動いたのかもしれない。
ベネディクト王国の中では一貴族令嬢でも、カサンドラ様はリュキア王国の王女の娘であり王族だ。
「王女殿下。少しお休みになられた方がよろしいですな。一度お下がりになってください」
「は、はい」
宰相閣下に声をかけられた瞬間、一気に身体の力が抜けそうになり、私は知らず知らず、イーリアス様にすがりついていた。
◇ ◇ ◇
「────申し訳ありません……母が、このような事態を引き起こしてしまい」
控え室で、隣についてくださったイーリアス様に頭を下げた。
「……お心を痛めたことでしょう。少しでもお休みになってください」
彼は様子を見るように、そっと私の肩に触れる。
私にとっては驚くべきことだけど、さっきは……イーリアス様が触れてくれたから息ができた。いつもと逆に。
彼がいなければ、私はあのまま倒れていたかもしれない。
母は宰相閣下との会談をすぐに求めたようだ。
どんな話をしているのだろう……。
「母は私を憎んでいるので、私の名誉などどうでもいいのはわかっていたのです。
ただ、今回のようなことをするのは予想外すぎて…………」
それでも、私たちが夫婦の営みをできていないのは事実だ。
もしも母が婚姻無効を訴えてきたら……?
それでも、イーリアス様が結婚証明書にかけてくれた〈誓約魔法〉の効果は続くのかしら。
(母は……王妃陛下は、どうして私を連れ戻そうとしているのかしら)
王位継承権がどう、と言っていた。
まさか国民に王家の兄妹たちの出生の秘密がばれたからと、私を王太子にするつもり?
それこそあり得ない。
あり得るとしたら、ダンテス兄様を正式に王太子にするために、私を利用するということぐらい……。
(でも、正規の方法で法改正すれば済むことよ?
それかダンテス兄様だけ王位継承権を付与する特別法ならもっと早いはずだわ)
可能性があるとしたら、国王、王妃、有力者たちの間で意見が割れてまとまらないということ。
特別法を制定しようとしたら、イルネアはじめ妹たちを産んだ母親の家の人間たちは、こちらにも王位継承権をと求めるはずだ。
一方、産みの母親の身分で足切りをすべきと主張して、亡くなった生母の身分が低いダンテス兄様を排除しようとする人間もいるかもしれない。
……でも、そんなの、父が重傷を負ってしまったのなら母に逆らえる人間だっていないはず……。
(……命が危ない妹、って、誰のことなのかしら)
唐突に気になってしまった。
これも母が私を動揺させようとしてのことだと思う。だけど。
「あ、あのっ……そういえばサブリナさんは」
「衛兵の方で確保していると聞いております」
「も、もし良かったら、サブリナさんのお話を伺えませんか。ひとつだけ気になることがあるのです」
「しかし……」
「自制します。気持ちが悪くなったり倒れそうになったりしたら、自分でストップをかけます。
ですので、お願いです」
────まもなく、私たちの前にサブリナさんが連れてこられた。
「いったい、どういう流れであなたは母に接触されたのです?」
邸に来たときの思わせぶりな様子とは打って変わって、サブリナさんは青い顔で答える。
「……ま、周りで王女殿下とイーリアスの結婚があまりに話題になり……く、悔しかったものですから、私が元恋人だと言っていたのです。私のお古で、王女殿下はお気の毒だと。
そ、そうしたら、突然の来客があって…………」
サブリナさんはなおも語った。
謎の来客から、その軽口が軍の中での夫の立場を悪くしうるものだと脅され、その一方で、こちらの言うとおりにイーリアス様と私の夫婦仲を引き裂く手助けをすれば、夫の出世に尽力してやろう、と。
「その人物から……王女殿下は母国ではとても性的に奔放な女性だったと聞かされて……。
そんな妻を知らずに娶ったのなら、イーリアスも可哀想だと思って……」
「事実無根の悪評だ。
言われるままに流される前に、少しは自分の頭で考えなかったのか?」
イーリアス様に言われ、サブリナさんはぶんぶんと首を横に振った。
「殿方と違って、そんな風には育てられていないわ。
あなたとの交際だって、夫との結婚だって、ちゃんと私、父の言うことを聞いたのよ。
……なのに、なんでこうなるの?」
そんな風には育てられていない?
ちゃんと父の言うことを聞いた?
ひどくその言葉が刺さり、もやもやしながら、私は一番聞きたかったことを尋ねた。
「命が危ない妹とは、誰のことですか?」
「…………ウィ、ウィルヘルミナ様とおっしゃったかと存じます」
「ウィルヘルミナが?」
「ええ、その、私がパーティーに参加できていたなら、私から殿下にお伝えするはずだったのです……。
アルヴィナ殿下をトリニアスに連れ戻すとあちらの王妃陛下がお決めになったとき、ウィルヘルミナ殿下が1人逆らって、それを止めようとしたとかで…………。
極秘裏の処刑を考えているが、殿下が国に戻るならば止めてもかまわないと」




