6、王女は任務を放棄する
母は……王妃陛下は、私の来訪を伝えていたにも関わらず、バルコニーで椅子にかけて外を見ている。
決して私を見ようとはしない。
「王妃陛下」
いつまで経っても彼女から話しかけてはこないとわかっていたので、私から声をかけた。
「本日、ベネディクト王国へ向けて出発いたします。
そのご挨拶と、今までお世話になりましたお礼を申し上げたく、推参いたしました」
お返事は、帰ってこない。
「今まで、ありがとうございました」
深く、頭を下げる。すると。
「────感謝の言葉など口にするぐらいならば、二度とわたくしの前に現れないで」
冷たくトゲのある声が響いた。
「………………陛下」
「あなたの存在自体、わたくしにとって後悔しかないのです。
早々に腹の子が女だとわかったなら、すぐに堕ろして次の子を孕んだものを。
苦しんで死ぬ思いであなたを産んだせいで、わたくしは男の子が産めなかった。
あなたのせいですよ」
言葉は声よりもっと冷たい。
「わたくしの子なら、なぜ男の子に生まれてきてくれなかったのです。王妃たる、わたくしの子なら……」
私は密かに唇を噛む。
やっぱり最後まで同じだった。
「……失礼いたします」
いつか
『今までのこと、ごめんなさい』
と一言でも謝ってくれるかもとか、
『本当は愛してる』
と言ってくれるんじゃないかとか。
夢見た私が馬鹿みたいだ。
扉を閉める。
振り返れば、やっぱり部屋の前で待機してくれているイーリアス様がいた。
「王女殿下」
「終わりました」
さっさとこんな場所から離れてしまおう。
そう思って、笑ってみせようとした、その表情筋が強ばった。
「…………殿下?」
駄目、泣いては。
この人に涙は見られたくない。
でも、大したことないと口にしようとすれば、それだけで泣きそうになる。
私はイーリアス様の背中についた。
「どうなさったのですか、殿下」
「……部屋に。早く戻りましょう」
支度をしなくては。
出発前の儀式もある。
そこに泣き腫らした顔で出るわけにはいかない。
大丈夫。部屋に戻るまでには落ち着くから。
イーリアス様の背中を押しながら、自分に言い聞かせていた。
◇ ◇ ◇
いわゆる『貴賤結婚』という言葉は、国によって定義が違う。
我が国の王室典範では、王家と、臣下(貴族またはその子女含む)との結婚を指す。
トリニアス王家に生まれた者は、王族あるいは他国の王家・君主の家の者と結婚しなければならない。
そうでない相手と結婚すれば、王位継承権を剥奪される。
だから、たとえば他国の王子などに嫁ぐ場合などと比べるとはるかに簡素な式典によって、私は王城から送り出された。
王位継承権なんて、この国で女に生まれた私には元々ないも同然、さほどの感慨もわかない。
そして母は……王妃陛下はもちろん出席しなかった。
「────やっぱりあの噂はほんとなんだね」
「アルヴィナ王女だけが愛人の子だっていうのは……」
「恥知らずの“淫魔王女”め、よく平気で人前に顔を出せるな」
式典を見物に来て噂する人々を尻目に、私は馬車に乗る。
(あなたたち国民のためにも、がんばってきたつもりだったんだけど、今日でもう、終わり)
深呼吸して馬車の窓から王城を振り返り、産まれてからずっと住んできた城の美しいその姿を目に焼き付けた。
「名残惜しいですか」
「……いえ」イーリアス様に答える。
もう2人きりで馬車のなかにいても平気になってるなんて、自分にびっくりする。
ほかの殿方相手ではありえないことだ。
馬車の揺れと、石畳を踏むリズミカルな車輪の音も心地よい。
どんどん城から離れていく。
「お疲れでしょう。
お眠りになってもよろしいかと存じますが」
「いえ。少し、お話ししていてもよろしいですか?」
睡眠不足はあったけれど、話したい気分だった。
話して、心にたまった澱を出してしまいたかった。
「…………イーリアス様がご存知だったということは、ベネディクト王国の皆様はすでに情報を掴まれているのでしょう。王妃が産んだのは、王子王女たちのなかで、私1人であると」
「ええ……ほかの王子王女方がみな、国王陛下の非公式の愛人がお産みになったこと、我が国の上層部は把握しております」
さすが大国の諜報力。
属国の公子だった元婚約者は知らずに噂を鵜呑みにしていたけど、我が国の高位貴族の間では公然の秘密だった。
「父と母は結婚してから長い間、子に恵まれませんでした」
イーリアス様は、うなずき、聞いてくれる。
「父は結婚前から愛人が多く……。
重臣たちや軍や高位の聖職者たちは、母の国と関係が悪化するのを承知で、離婚してもっと若い王妃を迎えろと圧力をかけたそうです。
母は危機感を覚えました……。
自分の使命が果たせないと」
異国から嫁いだ母には、トリニアスに対する母国の影響力を維持するという使命があった。
それには、自分自身の立場を守り、存在感を維持しなければならない。
「そうして、父と母は交渉して決めたのです。
父の愛人が産んだ子は、母が産んだ子として公表する、と」
我が国の法では、本来、愛人が産んだ子は王の子であっても『王子』『王女』とはならず、王位継承権は得られない。
だけど、生まれてくるすべての子を王妃の子ということにしてしまえば、法の改正もせずに全員『王子』『王女』とすることができる。
「その際、母は父に条件をつけました。
1つめは、母の推薦する女性……つまり母に逆らえない女性を愛人とすること。
2つめは、必ず定期的に母の寝所に来て夫婦の営みをすること。
3つめは、母が男の子を産んだら、その子を王太子とすること」
ただおそらく、その時点で、母はかなりの不満と鬱屈を1人抑え込んだのだと思う。
母国のために。
王妃という立場ゆえに。
「その後、母が産むことができたのは私だけでした。
大変な難産を耐えきって、数日間の死の淵からようやく戻ってきた時に、産まれた子が女だと聞かされて、絶望の悲鳴を上げたそうです。
次の子をすぐに望んだものの、産後の肥立ちも悪く、しばらく病床にあって……それからは、1人も」
彼女が抑え込んだ鬱屈は、私に対して爆発した。
まず、死の危険を冒して産んだ私が女であることで、母は私を憎んだ。
次に、私を産んだことで体力を使いきり、回復までに大幅に時間を食ったそのせいで男の子を産めなかったと、恨んだ。
王妃が産んだはずの私だけが、王子王女の中で1人だけ王妃から憎まれているというのは、そういうことだった。
「まぁ、もう、会うことのない方々ですけれど」
「会われなくて良いのですか」
「ええ。もう二度と」
────あの母をずっと見て見ぬふりしてきたのは……いや、あの母を作ったのは、父だ。
国王陛下の押し付けた“任務”に千々に乱れていた心は、今日の王妃陛下の言葉でスっと冷めた。
同時に、王女として一番すべきことは、トリニアスとベネディクトの間に新たな火種が起きないよう務めることだと自分のなかで結論が出た。
覚悟は決まった。
任務は放棄する。
(クロノス王太子殿下を誘惑するようなこと、私は一切何もしない。
もしもトリニアスから何か聞いてこられたら『なかなかうまくいかない』これで、ずっと逃げ続ける)
物理的にだけじゃなく、精神的にも、私はトリニアス王国を脱出するんだ。
そう考えたら妙にわくわくして、車輪の音を聞くのさえ、何だか楽しく思えてきてしまった。
「長い移動になりますので、どうぞご無理はなさらぬよう」
「はい」
国外に出るのさえ初めてだ。ドキドキする。
◇ ◇ ◇
◆トリニアス王国◆
・王妃または王配との間に生まれた子だけに王位継承権あり、愛人との間の子には継承権なし
・王族や他の王家または国家元首の家の者以外と結婚すると、王位継承権を失う
◆ベネディクト王国◆
・王の子と公式に認められれば王位継承権を得る
・結婚で王位継承権を失うことはない
ややこしいですが2国は法律が違います。
参考→https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E8%B3%A4%E7%B5%90%E5%A9%9A