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55、王女は手紙を押し付けられる

(…………どういうこと?)



 貴族社会では女性の純潔というものはかなり重んじられる。

 誰かの夫人になっている女性が『元恋人』をわざわざ名乗るのは不自然だ。

 貴族出身ではないのかもしれないけれど……。


 夫の不在時を狙い、夫の元恋人を名乗って邸にやってくる動機がわからない。


 混乱し始めた頭を落ち着かせるために、私は深呼吸した。



(動揺させようとする相手のペースに飲まれてはだめ。もし動揺してしまったら、まずは基本に立ち返ろう)



 それは王女として仕事を務めて学んだことの1つだ。



「────お断りしましょう」


「で、でも、元上官の奥様というのが本当でしたら」


「それでも、イーリアス様のご不在の間に、素性の確認できない方を邸に入れるわけにはいかない。

 万が一があったら申し訳ないわ。

 だから、お願い」


「わ、わかりました!!」



 門のところに駆けていくナナ。

 護衛と馬車の中の女性とで押し問答が起きている。



(イーリアス様に……元恋人のこと、少しでも先に聞いていれば良かったかしら)



 そうしたら本物かどうかだけでも判断できたのかもしれない。


 元恋人のことが気になっていたのは確かだ。

 彼女が本物なら、イーリアス様の過去のことも知っているのだろう。

 気になってしまう。だけどそれを狙ってわざわざ元恋人だと名乗って挑発しているのかも。


 ……押し問答が、しばらく続いた。


 馬車の窓から、イーリアス様と近い年頃の女性が、玄関の前にいる私を品定めするように見ていた。


 ……嫌な目だ。


 らちがあかないとばかりに彼女は「王女殿下!!」と声を張り上げた。



「お初に御目にかかります。

 海軍大尉フリード・ライト伯爵の妻サブリナと申します。

 少し女同士のお話をさせていただきたく参りましたの。

 お邸に入れてくださりませんか?」



 私は応じない。

 ナナからすでにもう邸に入れない理由は説明されているはずだ。

 それにイーリアス様は少将。元上官というのが本当だとしても、仕事に差し障りがあるということはないだろう。



「……昔のイーリアスの話など聞きたくございません?

 顔にあんなひどい傷を負う前の、美しかったイーリアスのことを……」



 弱いところを突いてくる。

 愛されているという実感はあっても、私がイーリアス様と過ごした時間はまだ短い。

 彼のこと、知らないことはまだまだたくさんある。

 ただ、美しかったと過去形にされるのは気に入らない。



「彼が恋人としてどれだけ情熱的だったかなど、聞きたいとは思いませんの?」


(……むしろ聞きたくないけど?)



「────知りたければ夫から聞きます。

 それ以上長居されるようなら、私から(じか)に王太子殿下と宰相閣下にお話しさせていただきますけれど」



 思わずそう返すと、さすがに怯んだ様子で目を泳がせた。

 それでも彼女はすぐに表情を取り繕い「ではこれを王女殿下に」と、ナナに手紙のようなものを手渡す。



「イーリアスの将来に関する、大切なお手紙です。必ず王女殿下にお読みいただけますよう────」



 彼女の意味ありげな笑みを残し、馬車は門前から去っていった。



   ◇ ◇ ◇



 読まずに焼き捨てるべきか、迷った上で私は手紙を開封した。


 差出人のことは信用できないと思う。

 だけどもし、本当にイーリアス様にとって大切なことが書かれていたら困る。

 くだらない内容なら忘れてしまえばいいから、とそう自分に言い聞かせて手紙を開封した……。



『親愛なる王女殿下。

 海軍大尉フリード・ライト伯爵の妻サブリナと申します。10年ほど前にはご主人イーリアス・クレイド・ホメロス少将閣下と結婚前提の交際をしておりました。

 この度は殿下に心よりご注進申し上げたくペンを取りました』



 そういう書き出しで始まった手紙は、早速、読んで後悔することが書かれていた。



『恐れながら殿下は、ご自身がイーリアスと結婚したことによる海軍内での影響をどれほどご存じでいらっしゃいますでしょうか。

 海軍の者たちは仕事柄、諸外国の事情にも通じております。

 従って、殿下の()()()()のことも知っている者がおり、この度上層部でそれが問題視されているのです……』



 つまり、私の悪評と“淫魔王女”の汚名が、イーリアス様の評価にも関わっている……というのだ。


 社交界では間違いなく悪評は問題視される。

 軍の中ではそれは関係ないのでは?



(……いえ、そうとも言い切れない。

 軍人には退役というものがあるわ。

 29歳で少将という出世のスピードから言えば、将来イーリアス様が叙爵されることもありうるのだし)



 すっかり自分にまつわる悪評から自由になった気がしていた。

 なのに、それが肝心のイーリアス様を苦しめるかもしれないなんて。


 ────長年、悪評の存在に苦しめられてきた。

 けれどそれはどこか諦めとともにあって……。

 事実無根と知らずに悪評を広めた人たちさえ憎いと思ったのは、今が初めてだ。



 扉をノックする音。


「殿下、ただいま戻りました。入らせていただいてもよろしいですか?」

とイーリアス様の声がして、あわてて手紙を机の中に仕舞った。

 張りつめた声音だった。何が起きたかもう知っているのだろう。



「どうぞ」



 返事をすると、イーリアス様が部屋に入ってくる。



「殿下。不在のおりに大尉夫人が邸に押し掛けてきたと。ご無事でいらっしゃいましたか」


「はい、特には……邸には入れず、門前で帰っていただきました」


「ならば良かったのですが……私の不在のために申し訳ございません。

 何か嫌な言葉など言われませんでしたか。

 私よりライト大尉に厳重に抗議いたします」


「よろしくお願い申し上げます……。

 嫌な言葉、と言いますか、あの」



 こんな時にこんな形で聞くことになるぐらいなら、もっと平静な時に聞いておけばよかった、と思う。



「警戒をしておきたいので、よろしければ彼女のこと……もう少し伺っても良いでしょうか。

 その、イーリアス様と昔お付き合いをされていた、ということも」



   ◇ ◇ ◇



「本当に、彼女については話すほどのこともないのです」



 居間でお茶を用意してもらい、2人向かい合って話す態勢が出来上がったところで、イーリアス様がそう切り出す。



「次男でしたので、元々結婚したいとも家庭がほしいとも思わず、ただ1人でどう身を立てるかということばかり考えておりました。

 それは貴族の次男としては普通の考えではないかと存じます。

 ですが祖母が私のそのような態度を心配し、娘を持つ知人に声をかけ、その中で次男であっても良いと言ったのが同学年で子爵令嬢だった彼女でした。

 王立学園3年、18歳の頃です」



 ひどく淡々と語られるその出会いに、私はとても拍子抜けしていた。

 情熱的、とは?

 というか、あの人(元恋人)盛った?



「それでは……あの方はなぜ、イーリアス様の上官と結婚することになったのです?」

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