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50、王女は触れられる練習をする


   ◇ ◇ ◇



「おはようございます」

「おはようございます、殿下」



 朝、身支度を整えた私は、朝食前にイーリアス様の寝室に入った。


 イーリアス様もすでに身支度が済んでいる。

 私の夫は朝も素敵だと、つくづく思う。

 私たちはその格好で、ベッドの上でむかいあった。



「……では、今日もよろしくお願いいたします」

「よろしくお願い申し上げます」



 神妙に互いに礼をすると、私は手を伸ばして、イーリアスの頬に触れた。頬から首筋、肩、それから胸。


 私からイーリアス様に触れることにはだいぶ慣れてきた。

 その身体に触れるごとに、愛おしい気持ちがどんどん深くなっていく。



「では、失礼いたします」



 私は少し距離を詰め、イーリアス様の胸に鼻筋を触れさせた。

 それからゆっくりと、顔を埋める。


 ホメロス公爵邸で一瞬抱き締められて、この胸に顔を埋めることがすごく好きだと気づいた。


 様々に触れあうなかで自分が心地いいと思えるものを、少しずつ手探りしながら見つけていく。苦手だったり苦痛を感じることは避けながら。無理はせず、少しずつ。


 顔を埋めている私の髪に、様子見をするようにイーリアス様がそっと触れた。


 今日はこれは平気みたい。以前は無理な日もあった。


 といっても、すべてが改善に向かってばかりというわけじゃない。

 昨日は平気だったのに今日は何故か無理、ということもあって、一進一退だ。



「殿下の髪は、艶やかで柔らかい髪ですね」

「そ、そう……でしょうか」

「とても美しく、触れていたい髪です」



 イーリアス様はこんな言葉も時々口にするようになった。

 まだくすぐったくて慣れないけど……嫌じゃない。



「あの……お手を」



 私はイーリアス様の大きな手を取る。

 触れる練習のあとは、触れられる練習。

 だけどまだ人のペースでは恐い。

 なので、自分でイーリアス様の手を取って、頬や、額など、触れられても平気そうなところに当てる。


 その手の感触を、これは優しくて安心できるものなのだと、自分に納得させていくのだ。


 結婚式の土壇場で凍りついてしまったように……私が過去に男性たちにされた嫌なことの記憶は、いまだに意図しないときに突然ぞわりと私の身体を這うようによみがえる。毒蛇のように、なめくじのように。


 それはまるで、私を諦めさせようとしつこく取り憑いて心を折ろうとする悪魔みたいだ。



(……負けない)イーリアス様の固くて温かい手に、何度も誓う。


 イーリアス様と触れあいたい。口づけられるようになりたい。愛し合いたい。

 願いをこめながら、私は夫の大きな手を、自分に触れさせていく。


 最後にイーリアス様の手の甲に、ゆっくりと口づけ、ふうっと息をついた。



「続けてみて、いかがですか?」


「……少し、自分の中で変わったなと思うことがあります。

 『取り戻した』と思うときが」


「取り戻す?」


「語弊があるかもしれないのですけど……以前イーリアス様が、性被害に遭った女性のことを教えてくださいましたよね。

 私のように嫌悪が取れない人もいれば、自傷的に多くの人と関係を持ったり、加害者に奪われた主体性をもう一度取り戻そうとして性に走る人もいる、と」


「? ええ」


「最後のその……取り戻そうとした主体性?というのが少しわかる気がしました。

 イーリアス様に触れて、触れられる。

 繰り返すなかで、自分の身体や自分の思いは、自分だけのものなんだって実感できて、確かにそれが、『奪われた』自分のものを『取り戻した』感じがしたのです。

 うまく言えないんですけど……。

 私は自分の意思で望んで、世界でただ1人イーリアス様とだけ触れ合う、そう確認しながら、毎日、その……」



 言いながら恥ずかしくなってきてしまった。

 何だか自分のことばかりだわ。



「私……も、早くイーリアス様の心の支えになれるようになりたいです」


「そのお言葉は嬉しく思います。ただ、すでにここにいてくださることが、そうですが」


「……そう言ってくださるのは、私も嬉しい、ですけど。

 あの、イーリアス様ももし何か悩むことや嫌なこと、苦しいことがあれば、遠慮なくおっしゃってくださいね。

 私にできることもあるかもしれないですし、その……愛する人に苦しんでほしくない、ので」



 そう言うと、一瞬複雑な光がイーリアス様の瞳に宿った気がした。

 けれどそれはすぐにかき消えて、



「……愛しています、殿下」



 イーリアス様が、そっと私の手を握った。

 手は慣れたはずなのに、心臓が急に早鐘を打ち始め、つい恥ずかしくてうつむいてしまった。



   ◇ ◇ ◇



 美味しい朝食を頂いたあと、ナナから今朝届いたという手紙を受け取った。

 カサンドラ様からだ。



「西部の食糧支援、やっぱり送って正解だったみたいです。現地の様子を見たら、農民自身が食糧危機慣れしていなくて悲惨な状況になる一歩手前だったようで……追加支援を送ると」


「そうだったのですね。間に合うようならば良いのですが……。

 ご助言くださって、本当に良かったですね」


「それで、お礼ということで、午後、カサンドラ様から王太子殿下同席でのお茶に誘われているのですが」



 ピシッ

 と何かガラスにヒビが入ったように、イーリアス様が何故か硬直した。



「どうかされました?」

「……いいえ。……ぜひ行っていらしてください。王太子殿下直々にお礼をとのことかと」

「? はい」



 なんかまたちょっと、イーリアス様の様子がおかしいような……。


 それにしても、相変わらずトリニアスから手紙が届かないのが不気味だ。



(まぁ、あんまり考えないようにしましょう。国王陛下の中でもうどうでもよくなったのかもしれないし、たんにあちらも忙しいのかも)



 愛する人と触れあうのもこんなに苦労しているなかで、私の中では放棄したハニートラップ任務のことを言われたら本気で腹を立ててしまいそうだから、連絡ないのは好都合だと思うようにしよう。



   ◇ ◇ ◇

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