第9話 魔王女? と昼食を
「カラベラ嬢。よろしければ、昼食などご一緒していただけませんか」
昼休みの教室で。右手を胸に当ててひざまづき、百見はそう言った。
「……」
席に座ったままの賀来は目だけちらりとそちらに向けたが、聞こえていないかのようにそっぽを向いた。
本人と直接話をしながら様子をうかがうという計画だったが。いきなり頓挫しそうな状況だ。
見かねてかすみも声をかける。
「えと、ベラさん、でいいです? 今朝話したのも何かの縁ですし、よければ私もご一緒したいなーって……だめ、ですかね?」
賀来はこちらを向こうとはしなかった。どころか、より一層顔を背け、決してかすみを見ようとはしなかった。
離れたところから崇春が声を上げた。
「どうしたんじゃい、ガーライルは来んのか? だったら先に食うぞ」
「誰がガーライルだ!」
椅子の音を立てて賀来が腰を上げた。それから我に返ったように咳を一つして、崇春に――かすみと百見の方は決して見ずに――言った。
「フン……いいだろう、貴様がどうしてもと言うなら、その招待甘んじて受けよう。だがせいぜい後悔せぬことだな……フ、ククククフハハ!」
無理のある感じで高笑いした後、賀来は鞄から断熱タイプのお弁当袋を取り出した。
その日は皆弁当を用意していたので、机を寄せて教室で食べることになった。崇春と賀来が一緒にいる時点で相当な絵面だ――そのせいだろう、どうしても他の子たちの視線を感じる――。
「いただきます」
かすみは手を合わせてから弁当の包みを開ける。中に入っていたのは母親の用意してくれたサンドイッチだ。
百見が言う。
「谷﨑さんは無難にサンドイッチか。さて、カラベラ嬢のが気になるところだが」
賀来はリボン柄の描かれた弁当箱のふたを、隠すように小さく開けたが。隠し切れるわけもなく、中身が見えた。炊き込みご飯の小さなおにぎりがいくつかと、じゃがいもとイカの煮物。ポテトサラダと生野菜に、タコの形に切られた焼きウインナー。
「これは……すごく……」
かすみの後を受けて百見が言う。
「すごく、家庭的というか素朴というか。普通、だな」
噛みつくような顔をして、賀来は弁当箱のふたを閉める。
「う、うるさい! き、貴様ら凡百の徒にはそう見えるだろうがな……これはっ、そう、邪神弁当よ!」
「邪神、弁当」
謎の単語を思わず繰り返してしまったが。それをさらに賀来は繰り返す。
「そう、邪神弁当。クトゥルフの芋煮と姿焼きの入った……邪神をも喰らう、これぞ魔王女の昼食よ!」
「……はあ」
かすみは首をかしげたが。百見が眼鏡を押し上げて言う。
「クトゥルフ……アメリカの作家、ハワード・フィリップス・ラブクラフトが提唱した一連の現代神話。クトゥルフら邪悪な神々が太古より存在し、人類を翻弄するといった話だが。なぜか、クトゥルフはイカのような姿で描かれる」
「……イカ」
「そう、イカ。欧米人にとっては不気味なのだろうが……海産物の、イカだ」
賀来は箸でつまんだイカを、歯を剥き出して食いちぎり。よく噛んで飲み込んだ後で言う。
「そうよ、その邪神をも捕食する、いわば闇の生態系の頂点……それが我よ」
百見は再び眼鏡を押し上げる。
「まあ神話といっても、近現代の小説家による創作なわけだが」
ウインナーを食いちぎりかけたまま、賀来の動きが止まる。そのまま、誰も何も言わなかった。
賀来が静かにウインナーを飲み込んでうつむいた後。崇春が弁当の包みを取り出す。
「よう分からんが、わしもいただくとするか。今日はお手製のポテサラ弁当よ!」
「ポテトサラダですか? すごいですね、自分で作っ――」
言いかけたかすみの口が開いたままで止まる。何しろ、崇春が取り出していたのは。ソフトボール大の丸いおにぎり。丸のままのキュウリ。四分の一にカットされたキャベツ。そして、泥を落としただけの、明らかに生の――芽さえ出ている――じゃがいもだった。
「作っ……え?」
「ポテト……サラ、ダ?」
かすみも賀来も、言ったきり何度も目を瞬かせていた。
崇春は音を立てて合掌する。
「押忍! いただきますわい!」
おにぎりを頬張った後、音を立ててキュウリ、キャベツに食らいつき。じゃがいもを手にし――
「ちょっ、待ってー!」
「食べるな、食べるなよ絶対!」
かすみと賀来が手を伸ばしたが。崇春はすでに、じゃがいもにかぶりついていた。よりによって芽の部分を。
「ちょ、わあああっ!」
「吐け、早く吐け!」
慌てる二人をよそに、崇春はゆっくりと咀嚼する。
「何じゃい二人とも。落ち着いて食わせんか、この芽の部分に滋養があっての――」
「毒! 毒ですからあるのは!」
「いいから吐け! 早く!」
それでも咀嚼を続ける崇春。
その後ろに、百見が無言で回り込み、手にした本を大きく振りかぶり。頭へと振り下ろした。
「痛ったあああ!」
声を上げると同時に口の中のものがこぼれ出る。
百見はポケットティッシュを出すと中身を数枚、軽やかに抜き取り。崇春が吐き出したものの上にかけた。
「やれやれ、目を離すと何をするか分からないな。それはちゃんと片づけておけ」
かすみは息をつく。本当に、何をするか分からない。
賀来も息をついた。
「まったく。大体、ポテトサラダが何か分かっているのか? ……ほら、これだ」
自分の弁当箱から生野菜と付け合せのポテトサラダを箸の頭側で取り、崇春のおにぎりに載せる。
「むう」
首をかしげた後、崇春は一口食べる。
「……むう! これは! こいつは、美味いもんじゃのう!」
言うなり残りにかぶりつき、噛みしめるように食べていた。
賀来はそれを見てはにかんだように頬を緩め。思い出したように視線を逸らし、固い表情で言った。
「フン……まるで家畜のようながっつき方だな。下品極まりない……そんなに美味いか、我が作ったのは」
かすみは賀来の顔を見た。
「え、すごい。お弁当自分で作ったんですか」
賀来は目をそらせる。
「いや、まあ。昨日作ったポテトサラダと、炊き込みご飯だけだが」
「炊き込みご飯作れるんですか!」
賀来はさらに目をそらせる。
「ま、まあな。調味料の分量さえ覚えておけば、具と米と水を炊飯器に入れるだけだ……難しいものではない」
「すごい、教えて下さいよ!」
「う、うむ……」
視線を泳がせる賀来をよそに。不意に百見が口を開いた。教室の空いている席に目を向けながら。
「なるほど、上質な食事とは素晴らしいものだね。残念ながら、それを味わえない人もいるわけだが」
かすみは百見の顔を見た。倒れた人たちのことについてカマをかけてみるとは聞いていたが、今まで和やかに話していたのに急過ぎないか。
百見は穏やかな表情で続ける。
「僕も転校してきたばかりで、詳しくは知らないが。突然謎の意識不明になる生徒が何人も出たと聞いている。いったい何故だろうね」
視線をそらせたまま賀来が言う。
「何故と、我に聞かれてもな」
「失礼。君が今朝、僕を呪うようなことを言っていたのでまさかと思ってね。いやしかし、気にすることもなかったかな」
鼻息をついて続ける。
「呪い? 地獄の王に悪魔の王女? この現代に非科学的極まりない。いや、すまない。気にした僕が悪かったんだ、こんなどうでもいいジョークをね」
はっきりと賀来の頬が引きつる。
表情を変えず百見は続けた。
「ああ、そうそう。ちゃんと自己紹介していなかったかな、改めて名乗らせていただこうか。僕は岸山一見、こちらは丸藤崇春。だが百見と、崇春と呼んでくれていい。戒名で、ね」
「……ん? 戒名?」
かすみが言うと、百見は答えた。
「宗派によっては法名とか法号とも言うが。亡くなった人につける名前、という認識が一般的だろうね。だが正確に言えば、仏門に入った者につける名前のことだ。仏式の葬儀の場合、亡くなった方のことを仏様の弟子になった、と考えて戒名をつける。逆に言えば、仏弟子たる僧侶は生前から戒名を名乗るわけだ。この場合、戸籍上の名前も戒名に変える」
「え、じゃあお二人の本名って」
「いや、正式な得度――僧となること、僧籍を登録すること――はまだしていない。だが、その時のために祖父が考えてくれた戒名さ。ちなみに漢字二文字で音読みという規則がある」
「へえ……なるほど、それでスシュン、って読み方になったんですね。普通にあだ名かと思ってました」
「そう、ただのあだ名ではないんだよ。いずれは本名になるわけだしね。どこかの誰かみたいに適当な自称とは違って、ね」
そこで明らかに、賀来の方を見た。
「……何が言いたい」
真っ直ぐに見返した賀来の視線に。むしろかすみの方が血の気の引く思いがした。
いったい何を言い出すのだ。その前の呪いがどうこうといった話だって、カマをかけるにしても挑発的過ぎたのに。
百見は笑って首を横に振る。
「いやいや、別に貴女のことを言ったわけじゃあないんだ。たとえ言語設定がろくに考慮されていない自称で――」
「ちょ、百見さん!」
さすがにかすみは口を挟んだ。
本当に何をやっているのだ、これでは単に馬鹿にしているだけだ。情報も何もあったものではない。呪うとか言われたせいで、彼女のことを嫌っているのだろうか? そういう風には見えなかったが。
「えー、はい、とにかく! お弁当食べましょう、お弁当! あ、百見さんのお弁当はどんなのですか?」
「ふ……これさ」
悪びれた様子もなく、取り出した包みをほどく。
出てきたものは。一瞬、スライスした丸太に見えた。それほどの大きさのあるバームクーヘンだった。外側はたっぷりとした溶かし砂糖で白くコーティングされてある。
「これ、は……」
かすみが言葉を詰まらせていると、崇春が言った。
「ほう、今日はバームクーヘン弁当か。なかなか豪勢じゃのう」
「ああ、昨晩いい菓子屋を見つけてね」
崇春が野宿している間に何をやっているんだ。そう言ってやりたかったが、今はやめておいた。
「いや、あの……バームクーヘンは、お弁当にはならないんじゃないですかね」
「心配は無用だ」
百見はさらに取り出したものを机に並べてみせる。パック入りの青汁と牛乳。
「炭水化物と脂質、糖類に加えてビタミンにたんぱく質……完璧だ」
「カロリーが! カロリーが巨大過ぎますからー!」
「そう言わないでくれ、君にも分けるから。賀来さんも……失礼、カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス嬢もいかがかな」
賀来は無言だった。椅子の音を立てて席を立ち、一度強く床を踏み締め。弁当箱のふたを閉めて袋に戻し、そのまま大股で教室の出入口へ向かった。
「あ、あの……」
かすみは賀来と百見を交互に見たが。百見は黙ってバームクーヘンを取り分けていた。
不意に崇春が声を上げる。
「ガーライル!」
賀来は背を向けたまま立ち止まった。
崇春は音を立てて合掌する。
「ガーライルよ、お主の寄進してくれたポテトサラダ。美味かったぞ」
賀来はしばらく立ち止まっていたが、そのまま教室を出ていった。