三ノ巻36話 沙羅と至寂
「さて」
至寂はかすみに向き直る。
「今この場がどういった状況かは分かりかねますが。これまでの経緯は沙羅よりうかがっております。貴方は沙羅たちの協力者、そして――」
倒れたままの帝釈天を見る。穏やかな顔のまま、突き刺すように視線を下に向けて。
「貴方は敵。そうですね」
「――ぐ……」
帝釈天は歯噛みして、独鈷杵を握り締める。だが、そこから身動きはしなかった。ただ視線を素早くめぐらせ、位置と距離を測っているように見えた。倒れた鈴下と怪仏ら、そして剣を構える不動明王との。
そのまま、三人とも押し黙る。
どうすればいいのだろう、倒れたままかすみはそう考える。
至寂という人は味方だとはいうが。何者なのか分からなさ過ぎる、どこまで頼っていいものかも分からない。
だが、とにかく。この場では、この人にすがるしかない。いや、その前に何者なのか、崇春たちとどういう関係なのかを聞いた方がいいのか――
そう思い、至寂を見上げて口を開く。
「あの、あなたは――」
「さて、貴方がた怪仏のことですが――」
「――娘御よ、汝はこう考えて――」
が。三人が三人――かすみは至寂に、至寂は帝釈天に、帝釈天はかすみに向かって口を開いていた。
慌ててかすみは頭を下げる。倒れたまま。
「あっ、すいません、どうぞ――」
至寂も頭を下げていた。
「恐縮です、そちらからお先に――」
帝釈天も至寂とかすみの顔を見回し、促すように片手を向ける。
「――あーいやいや気にせず、汝らからどうぞどうぞ――」
なんだこれ。
そう思っていたとき、別の声がした。聞き覚えのある声がした。低く響く、だが崇春より歳経た男の声。
「おーい、どこだー! どこ行きやがった至寂ー! ……ったく勝手によぉ、車停めろだの降りるだの、携帯もつながらねぇしよ……」
霧の向こうから小走りに。仕事の制服の上からジャージを羽織った、渦生が辺りを見回しながらこちらに向かってきていた。
「渦生さん!」
思わずかすみは身を起こし、大声を上げていた。
渦生は足を止めてかすみの方に目を向け。それから駆けてきた。
「谷﨑か? 何でこんなとこに……って、こりゃあ……!?」
近くまで来たところで。顔の前の霧を払うような仕草をしていた、渦生の目が周囲へ向けられた。
切り開かれた竹林、これまでの衝撃を受けて打ち砕かれ打ち払われ、掘り返されたようになっている辺りの地面。そこに倒れた賀来と斉藤、鈴下と怪仏ら。吉祥天と刀八毘沙門天。そしてやはり倒れたままの、かすみと帝釈天。たたずむ至寂と不動明王。
渦生は足を止め、その光景を見回していたが。やがて、全速力でかすみの元に駆け寄る。滑り込むようにそばにかがんで、かすみの顔をのぞき込む。
「大丈夫か、立てるか! 至寂、帝釈天は敵だ、見張ってろ! ……とにかく離れるぞ、いけるか」
かすみがうなずくと、渦生はかすみの手を取った。その手を肩にかつぎながら背を向け、かすみを半ばおぶるような形になった。
かすみはその背に体重を預け、震えながらどうにか、立ち上がることができた。
渦生はそのままかすみを背に、引きずるように歩いていく。
かすみは渦生の背に半ば体重を預け、ふらつく足を継いで、どうにかついていく。
前を――倒れた賀来と斉藤の方を――見たまま渦生が言う。
「すまねえな……外せねぇ仕事があって、迎えに行けなかった。終わって電話しても圏外。で、探しに出たらこれだ」
横目でかすみの目を見る。
「何がどうなってんのか、さっぱりだが。これだけは分かるぜ」
片手で強く、かすみの背をはたいた。
「よく頑張った」
その手が、広い背中が温かくて。かすみは思わず目をつむる。その端から涙がにじんだ。
うつむき、片手に目を押しつけてうなずいた。
「……はい……っ!」
やがて賀来と斉藤の近くに下ろされる。今度は軽く、肩をはたかれた。
「もう大丈夫だ、後は任せろ。っと、こいつは……?」
賀来の近くでかがみ込む吉祥天に目を向け、渦生が身構える。
どう説明したものか分からないが、とにかくかすみは言う。
「あ~……それは、その。味方、というか……私の、です」
「あ?」
眉を歪ませる渦生に向け、指差す。離れた所で身を起こし、片膝立ちにかがんでいる刀八毘沙門天を。
「あと……あれも、私の……らしいです」
「えええ!? ってお前、怪仏だろあれ、何で二体、いやそもそも何でお前が――」
目を見開く渦生に。離れた所で目を閉じたまま倒れている鈴下を指差す。
「で。あの人が、黒幕の一人です。今回の、一連の事件の」
「って、黒ま、く……でええええっっ!?」
大口を開ける渦生は鈴下を見、吉祥天と毘沙門天を見。それをもう一周した後で声を上げた。かすみの肩をつかみ、がくがくと揺さぶりながら。
「ってオイ、どうなってんだそれ!? 何がどうなってそんな進展が――」
そのとき。帝釈天に向き合ったまま、至寂が鋭く声を上げる。
「沙羅。何ですさっきから、騒々しい」
渦生は口をわななかせながら言う。
「いいいやややいやいや待て、待て! いいから聞け、そこに――」
聞いた風もなく、息をついた至寂がかぶりを振る。
「興奮し過ぎです、みっともない……女子高生と触れ合えたことがそんなに嬉しいのですか」
「そうじゃねぇよ!」
至寂は目をつむり、またゆっくりとかぶりを振る。
「何と罪深い……沙羅よ、貴方の六根――眼耳鼻舌身意――全てが煩悩にまみれています。まったく罪深い……そんなに興奮しなくてもよいでしょう、女子高生の胸の柔らかさを味わったからといって」
「んなこと言ってねぇだろ!? ……いやちょっと思った、案外発育いいなって思ったけどよ!」
そういえば前に渦生は言っていた、かつては沙羅という戒名の僧だったが、十年ほど前に還俗――僧をやめること――したと。
それはそれとして、渦生の口にした内容に。かすみの頬が強く、ぴくり、と引きつる。
眉根を寄せ、叩きつけるように至寂は言う。
「実に汚らわしい……そんなに嬉しかったのですか! 鬼も十六番茶も出花、今が盛りのピチピチ女子高生の匂いを間近に胸いっぱい嗅いで。ああ嘆かわしい嘆かわしい」
「いや思ってねぇ!? 思ってねぇよそこまでは! ってかそれお前の願望じゃねぇのか!?」
かすみの頬が未だ引きつっているのに気づいた様子もなく、渦生は鈴下を指差す。
「とにかくだ! そこの奴、そいつが黒幕の一人らしい、詳しい状況はまだ分からんが――」
鈴下へ向き直って言う。
「とにかく。詳しい話を聞く必要がある、そいつは確保する」
至寂は言う。
「待ちなさい。そうは言いましても……果たして、彼が許すでしょうか」
その視線の先には帝釈天。上半身を起こし、片手は油断なく独鈷杵を握り。もう片方の手は革鎧の内側、懐へと差し込まれていた。
渦生が鼻を鳴らす。
「ふん……こないだ俺にボコられた奴じゃねぇか。そんな奴が今さら出てきたところでよ。どうにかなると思ってんのか、あぁ?」
拳を握り鳴らし、帝釈天をにらんだ。
至寂が制するように片手を上げる。
「待ちなさい。……帝釈天よ、貴方とそちらの黒幕とやら。そしてそちらに倒れた、斬られ裂かれた怪仏ら……お仲間ということでよろしいですか」
帝釈天が至寂の目を見る。
「――それが、どうしたのだ」
「いえ、あの怪仏ら、息はあるようですが。そのばらばらに裂かれた体、どのようにして持ち帰るのかと思いまして」
帝釈天は視線をそらさない。
「――左様なこと、汝が心配するようなことでは――」
刺すように至寂が言葉を放つ。
「『大黒袋』。……もしや、それを預かっているのでは? その持ち主たる怪仏『大黒天』、またの名を『大暗黒天』。その力を使う何者かから」
帝釈天の体が、ぴたり、と固まる。視線を至寂に向けたまま。
至寂はその視線を受け止めるように微笑み。
それからきびすを返し、渦生の方を向いた。微笑んだまま言う。
「さて。帰りましょうか」
渦生が、かくり、と口を開ける。鈴下を指差して叫んだ。
「なぁ……っ!? 話聞いてんのかてめぇ! だから黒幕がそこに――」
合掌し、さえぎるように至寂が言う。
「南贍部宗本山よりの知らせあり。いわく『大暗黒天、その力を使う何者かが斑野町、そこでの怪仏事件に関わっている疑いあり』と。……怪仏・大暗黒天のかつぐ『大黒袋』、それに具わる力は。数多の『怪仏を収めておく』力。……その者が、倒れている怪物をいわば回収に来たというのなら、そして大黒袋を持っているのなら――」
息を継いで言う。
「『本地なしとはいえ、数多の怪仏をいつでも放てる』状態にあるはず。それらの怪仏を放たれた場合。最終的に、拙僧と貴方なら敗れることはありますまいが――」
倒れた賀来と斉藤に目をやる。
「谷﨑かすみさんの、おそらく知人であろうその方々。そちらが巻き込まれ、殺められることは考えられます。我々が一度に対応し切れない数の怪仏を放たれた場合は。つまり――」
辺りを見渡し、高く通る声で言う。
「我々は、相手を討ち得、捕らえ得る状態ながら。同時に、人質を取られているのですよ」
「何……!?」
表情をこわばらせる渦生をよそに、至寂は合掌し、帝釈天に微笑かける。
「そのようなわけです。この場はお互い痛み分け。……引きませんか」
表情を崩さず帝釈天は言う。
「――……よかろう。ただし、こちらは情報を持ち帰られる身、これ以上後でもつけられてはかなわぬ。そちらが先に立ち去るがよい」
「承知しました」
至寂が頭を下げる中、渦生が舌打ちする。
「チッ……勝手に話進めんじゃねぇ。しかし――」
至寂と帝釈天の顔を見回し。息をついて、苦く笑った。
「これじゃあよ。まるであの頃みてぇなメンツだなオイ」
そう聞いて、至寂は無言で頬を緩め、うつむく。
帝釈天も口を開け、同じ表情をしていた。どこか遠くを見るような目で、しかし視線を落として。
「――……そうよな、全くそうよな、小僧ども。まるで時がさかのぼったように、あの頃と同じよ。……我が本地がおらぬ他はな」
「な……」
言って、渦生は口を開け。呆けたような表情で続けた。
「まさか、お前……あの時の、あの人の……覚えてんの、か……?」
帝釈天は、ふ、と息をつく。
「――さて、な」
何の話だ。何のことだ。かすみがそう思ったとき。
「――ォ、オ、オ……」
刀八毘沙門天が幾本もの手で刀を杖につき、身を起こし。震える残りの腕で斬りかかろうと――誰に向かってかは分からなかった、振るえる刀を天にかざしたのみだった――、が。
力尽きたように体勢を崩し、再び膝をつき。その身を黒いもやと変えて、かき消え始めた。
吉祥天もまた、白いもやにその身を変えていき。
「……ぁ……」
かすみの背から、腕から力が抜け。天地が揺らぐように、地平線が空へと昇り――いや、かすみ自身が地面に倒れて――。
やがて、意識を手放す。
(三ノ巻 たどる双路の怪仏探し 了)
(四ノ巻へ続く)